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翌朝、街はざわめいていた。
道では人々が右往左往、路傍には言い合いをする剣呑な
「これ……一体なにがあったの? なんだか、バベルに向かっていく人が多いような気がするけど」
「わからない。……ともかく〈サンダーソニア〉のギルドハウスに向かってみよう。シンダーたちならきっと事情を知っているはずだ」
「う、うんっ。そうよね」
窓の外の異変を察知し、外へ出てきたアレンたちはその有様を見て、顔を見合わせる。そして結論が出ると、ギルドハウスへ向けて街路を駆け出す。
もう〈サンダーソニア〉のギルドハウスに着くまでの道のりも、すっかり馴染みの風景といった感じではあったが、今日に限っては様子が違う。各ギルドのギルドハウスが並ぶ
(なんなんだ? 騎士団がなくなった時でもここまでの混乱はなかったぞ)
不可解なのは、焦った様子の
バベルに向かっていく者。逆にバベルから戻ってくる者。道具屋や装備屋に向かう者。あるいは街の外に駆けていく者。
さらには、たまたますれ違ったパーティからは「もっと安い宿を探さないと」という言葉が聞こえてきた。
たったの一夜にしてなにがあったのか。まだ、パンドラに対抗する手立てもまるで探せていないというのに。
答えを求め、ギルドハウスの門を叩く。そして応接間に通されたアレンたちを待ち受けていたのは、まだ早朝だというのに疲労を隠しきれない表情のシンダーだった。
「おはようございます。アレンさま、ノゾミさま。よい朝……とはいかないのが大変残念なところです」
「昨日の今日でいきなり訪ねちゃって悪いな。単刀直入に言うが、なにがあったんだ?」
「それについてですが——ちょうどあの方に話すところでした。ので、どうぞこちらに」
「あの方? ……あっ」
シンダーが促す先。ソファの端に先客がいた。
「ユウさんっ」
「やあやあ。今日も先回り成功~、ってね」
ユウだ。多忙そうな様子を見て彼から断ったのか、今日はコーヒーカップを持つのではなく、代わりにボーナスウェポンである両面に渦の描かれたカードを手持ち無沙汰に指先で弄んでいる。
「ユウも来てたのか……本当にいつも先にいるな、お前。実は俺たちの部屋に盗聴器とか仕掛けてないよな?」
「そんな便利なアイテムがアーカディアにあるなら、カフカの企みももう少し上手く止めてみせたよ。……ん? 俺たちの部屋?」
聞き流しかけた言葉に反応し、アレンをじっと見つめるユウ。
——しまった、失言だった。
『鷹の眼』をフル稼働させ、アレンは弁解の余地を模索する。発散的思考により25通りの言い訳を精査。0.5秒の思考時間で最適解を出力する。
「ああ、俺とノゾミの部屋、それぞれにって意味だよ。ていうそれ以外になにがあるんだ?」
「ふうん、同じ部屋で寝泊まりしてるんだ、アレンちゃんとノゾミ君。いや、別にいいと思うよ僕は。キミたちの関係に水を差すつもりもないし、馬に蹴られるのも御免だからね」
「なんで嘘ってわかるんだよお前はぁ……!」
完璧なポーカーフェイスでしらばっくれたアレンだったが、なぜか看破された。これがFPSゲーマーとカードゲーマーの読みの差というやつだろか。
「え、えと、ユウさん。同じ部屋って言ってもベッドは違うし、その、わたしたちは別に……」
「その辺りの話はまた余裕があるときに訊くとするよ、アレンちゃんをからかいながらね。それより今は街の話だ。僕の見立てでは、バベルに異変が起きたんじゃないかと思ってるんだけど」
赤面してしどろもどろになるノゾミ。だがユウは真面目な顔つきになり、話題を換える。
ユウの指摘を聞き、ここでアレンもその可能性に気が付いた。
「そうか。バベル、それもお金……PPのドロップにまつわるなにかか?」
バベルに異変が起きた——そう推論できる筋道はふたつある。
ひとつは、街におけるちぐはぐな行動を示す
(経済不安による一種のパニック……もちろん現実じゃモンスターが金を落とすことなんてないが、似たような例は現実でもたびたびある)
PPがなければ
恐怖が混乱を呼び、人々は助かる手段を探してさまよう。ある者はPPを少しでも節約するためにより安い宿を探し、ある者は街の外にPPを稼ぐ手段を求める。そしてもし恒久的にPPを得られなければ、他者から物資を奪う暴徒じみた
なにせここはアーカディア。国家もなく、法もない。ゲームじみた世界は現実感を薄れさせ、悪徳への抵抗を感じづらくさせる。善良な一般人とプレイヤーキラーとを分かつ線は、想像以上に細く頼りないのだ。
そうして終末を予期した者——現状では過剰反応じみてはいるが——は今のうちに物資を買い漁り、宿に引きこもる。あるいは自衛のために装備を整える。
(それが街の混乱の理由だ。そしてこの前提に立った時、PPの供給に問題を起こせるような
ふたつ目の筋道——
昨日、ネームレスは言った。パンドラが持つ、権能の力が及ぶのはバベルの中だけだ、と。ならば街の混乱は、パンドラが権能によってバベルに及ぼしたなんらかの異変による影響と見ることができる。
街まで波及する影響ともなれば、真っ先に浮かぶのはPPだろう。
アレンの考察に肯定を示すように、シンダーがうなずく。
「さすがですわね、おふたりの言う通りです」
「え……な、なんでわかるの? バベル? PP??」
「シンダー、そっちはもう事情をあらかた把握しているのか?」
「ちょっと無視しないでよぉー! アレン! ねえっ」
「いえ、完全には。ですがこちらで調査をしたところ、第50階層から下は完全にモンスターが枯渇している状況になります。そこから上はモンスターと遭遇した際の危険を鑑み、シルヴァを中心とした少数精鋭で調査している最中です」
「モンスターの枯渇? そうか、その結果PPも入手できなくなったってことか。しかし、モンスターそのものが消えたとなると……」
「ねえってばぁー!!」
ノゾミを除き、深刻な雰囲気が漂う。モンスターの枯渇、それが意味するところは明らかだ。深刻にもなろう。
まず間違いなくパンドラの仕業。なんらかの権能によるものか、もしくは彼女が丁寧に一層一層モンスターを狩り尽くしたのか。後者の可能性は低いが、彼女であればやりかねない。
「もしかすると、パンドラの狙いとしてはPPのドロップを防ぐことより、経験値の獲得を防ぐことの方が大きいのかもしれないね。まあ、それはそれでゲームマスターとしてどうかと思う一手だけど」
「まったくだ! レベル上げを封じるなんて前代未聞だぞ。なりふり構わないにもほどがある!」
思わず不満を漏らすアレン。それくらいパンドラのやり口はセオリーを無視していた。
一方的にレベル上げを禁止されるRPGなど、ゲームバランスもなにもない。最初の街の外にスライムがいなければどんな勇者もゲームオーバーなのだ。
「そうなると次は——森だ。少しすれば
「バベルのほかにモンスターが出現するのは街の外の森しかない。道理だな。だがそうなると、狩場の奪い合いが起きるんじゃ……」
「そうだね、森もモンスターは有限だ。今すぐ食うものに困らずとも、
「——! そうだったな……パニックになって正常な判断が付かなくなれば、レッドティラノに無謀な戦いを挑みかねない。危険だ」
「それにわたくしはやはり
「そんな……た、たったの一晩でそんなに大変なことになっちゃったの? 一体どうすれば——」
事の大きさがようやく伝わったらしく、一同に遅れてノゾミの表情も険しさを帯びる。
と、そこへ廊下の方から早足に歩く音が響き、バンッと荒々しく応接間のドアが開かれる。
「団長、いますかね——おっと、皆さんおそろいで」
「シルヴァ。早かったですわね」
現れたのは無精ひげを生やした〈サンダーソニア〉の数少ない戦力、シルヴァだ。ドアを開ける勢いといい、荒々しい所作は普段のシンダーであれば注意しそうなところではあったが、今ばかりは咎める余裕もなかった。
「ええ、おおかた予想通りだったんで。……アレンさんたち相手なら、結果を隠すことはないですかね?」
「もちろんです、団員でなくとも今や大切な仲間ですから。して、第50階層より上はどのような様子で?」
「想定できる最悪ですよ。第51階層から第70階層まで、モンスターがいないことを確認できました。そんで第71階層はふつうにモンスターがいたんで、そこで調査は打ち切りってな感じです」
「……最悪ですわね。いえ、第50階層までモンスターが枯渇していた時点で、狩場と呼べるような階層はことごとくつぶされているのですけど」
「現状の最前線、第71階層については今まで通りモンスターが健在。狩場でモンスターを狩るのも無理、さりとて第100層のパンドラに特攻を仕掛けるのも無理。まあ、狙ってやってんでしょうね、一番