四月三十日、快晴!
ゴールデンウィークが丸ごと休みだなんて夢みたいだ。
ちょっと肌寒かった季節にも別れを告げて、照り付ける日差しは初夏の訪れさえ感じさせる。
「こーづかちゃーんっ!」
「
聞き慣れた声に名前を呼ばれて、反射的に叫びながら大きく手を振った。
向こうから淡い水色のブラウスに黒のスキニーパンツ姿の先輩が小さい歩幅で駆け寄ってくる。
「ごめんごめん! 家出るのが遅れちゃって」
息を切らしながら合流した先輩に私はスマホの画面の時計を見せる。
「ぴったり十時! 遅刻じゃないですよ」
三月末に異動になってからだから、先輩と会うのは一ヶ月ぶりだ。
嬉しくて楽しみで、九時半には待ち合わせ場所のキッカイ駅前広場に着いていた私は、勢い余って二人ぶんのアイスコーヒーを買ってしまっていた。
それを手渡すと韮居先輩は目を輝かせてすぐに口をつけた。
「さっすがこーづかちゃん。気が利くなぁ」
「そんなことないですよ〜。ところで韮居先輩、今日はどこのお店に行くんですか?」
「んーとね、『ますたぁきい』ってお店なんだけど……こーづかちゃん、今日はそんなかしこまってなくていいんだよ?」
「あ、そっか!」
久しぶりすぎてつい仕事モードになっちゃってた。
今日はプライベートだから「かなちゃん」でいいんだ!
韮居
私が新人としてキッカイ町役場に入った時に指導役でついてくれた先輩だ。
キッカイ町そのものが初めての土地な私のため、かなちゃんは仕事だけでなく私生活の面でもたくさんサポートしてくれた。
そして、気が付くとお互いの予定が空いている週末にはこうして一緒に出掛けるほどの間柄になっていた。
「……で、ますたぁきいってお店はどこにあるんですか?」
「今日は
「
かなちゃんの言い回しが気になって聞き返してしまう。
もしかして今流行りのキッチンカーとか移動式のお店なのかな?
「毎日どこに現れるかわからないんだって。なんかお店の人も辿り着けない日があるらしくて、そのせいで不定休なんだよね」
「なにそれ」
「隠れ家的○○って言われる店があるじゃない。あんな感じで……隠れ家ならぬ
まよい、が? マヨイガ……迷家、あ。
「迷家、どこかで聞いた言葉だと思ったら私の
「あぁ~。あれはその~……あの時からこのお店に行ってみたいと思ってたんだよ。それがつい出ちゃったっていうか」
本当かなぁ?
ただ単にかなちゃんが迷家って言葉が好きなだけな気もする。
とりあえず、店の場所はかなちゃんが調べながら案内してくれるというので後をついていくことにした。
「あ、あったぁぁぁぁぁ~!!!」
歩き続けること一時間。
ついに目的の「ますたぁきい」が見つかった。
そこは私の住むアパートから歩いて十分ほどの古い住宅が立ち並ぶ住宅街の一角だった。
見た目は普通の民家で、ドアにかけられた白い「OPEN」の掛札の片隅に手書きで「ますたぁきい」と書き足されている以外は何も情報がない。
知らない人が見てもここが喫茶店だとは気付かないだろう。
現に、私は岡志奈に住んで三年になるし、この辺りは何度も通っているはずなのに認識したのはこれが初めてだ。
「なんか入るのに勇気がいりますね」
「そう?」
小さく首をかしげて、かなちゃんは迷うことなく扉に手をかけた。
「いらっしゃいま……」
店の中から男の人の声が聞こえたと思ったら、途中で息を呑む音に変わった。
なんだろう? と不思議に感じながらかなちゃんの後ろについて店内へ入る。
「……あ!!」
エプロンをつけてカウンターの中で立っている背の高い店主らしき人の顔を見て、私は思わず声を上げてしまった。
「
「
「へ? こーづかちゃんマスターと知り合いなの?」
私たちの間に挟まれて、かなちゃんはきょとんとしている。
ええと……、どう説明しよう?
「もしかして、こーづかちゃんのカレシ?」
「違います」
脊髄反射で答えてしまった。
あまりに即答しすぎて木井さんがちょっと悲しそうな顔をしている。
「木井さんは、私が住んでるアパートの隣の部屋に住んでるお兄さんで――」
「ああ! 前に話してた変人のお兄さん?」
「あ……」
「あ」
私とかなちゃんは顔を見合わせた。
そういえば線香を吸う変わり者のお兄さんが隣に住んでて~って言い方したこともあったかも。
木井さん、ごめんなさい。
申し訳なさすぎて顔も見れないや。
あまりにもいたたまれない空気になってしまったので、逃げるように店を出ようとした……のだけど。
「お飲み物、何にしますか? 一杯サービスしますよ」
木井さんの優しい声が突き刺さる。
ここで断ったら余計に傷つけてしまうかもしれない。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。
これからは言葉に気を付けます。
心の中で謝り倒しながらテーブル席に着く。
「オススメは?」
「今日は暖かいですからね。アイスコーヒーなんていかがでしょう?」
よかった。
思っていたより普通のメニューだ。
「じゃあそれ二つで」
店の中はカウンターに椅子が五つと二人用のテーブル席が二か所の小ぢんまりとした造りになっていた。
その代わりに広くスペースを取っているのは、なにやら怪しげな黒い背表紙の本がたっぷりと詰まった飾り棚だ。
飾り棚と言えばオシャレに小物を飾ったりする人が主だろうに、この店ではそんなことお構いなしに詰め込めるだけ本を詰め込み、空いたスペースには見慣れない雑貨のようなものが所狭しと並べられている。
「気になりますか? 触っても大丈夫ですよ」
木井さんに促されるまま私は飾り棚に歩み寄った。
日焼けした古い本が多いせいか、独特なホコリっぽい匂いが漂っている。
好き!
本はやっぱり、この匂いがあってこそだよね!
電子書籍からは摂取できない栄養を肺いっぱいに取り込みながら、並べられた本のタイトルを目でなぞる。
「黒魔術入門」「誰にでもできる悪魔召喚」「妖怪をつくる」「呪殺される前にやっておきたい10の呪術」……。
どれを見ても怪しげな本ばかりだ。
しかも、中には英語やアラビア文字のものまである。
木井さんは古今東西、魔導書やら呪術やら占いやらオカルト関連のものをかき集めているらしい。
雑貨の方も同じで、水晶玉や怪しげな小箱なんかがたくさんある。
「なんて言うか……すごいね」
これにはさすがのかなちゃんもドン引きしている。
やっぱり木井さんが変人なのは事実だなぁと改めて実感してしまった。
下手すると適当に手に取った本が読むと死ぬ呪いの本だったりするかもしれない。
……なんて妄想が頭をよぎる。
「お待たせしました」
今の仕事のおかげでタイトルに興味を引かれる気持ちはあったけれど、迂闊に手を出してはいけない気がして大人しくアイスコーヒーが運ばれてきた席に戻る。
その時、ジリリリリリと古いベルのような音が喫茶店に響き渡った。
「失礼。少し電話に出てきます」
ぺこりと頭を下げて木井さんが店の奥に引っ込み、私とかなちゃん二人きりの空間が生まれた。