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食後の一時。そして気さくな彼女との距離感を、僕はまだ掴めずにいる。



「ごちそうさま」


「ごちそうさまでした……」


 そして数分後。僕と如月さんはほぼ同時にそう口にして、昼食を終えた。結局、如月さんはあの激辛麻婆豆腐を何事もなく完食してしまったのだ。それを見て驚いたのと同時に、少しだけ尊敬の念を抱いたことは内緒だ。


 僕も自分の注文した分は完食出来たはいいけど、さっき如月さんが食べさせてくれたほんの少しの激辛麻婆豆腐のせいで、口内が未だにヒリヒリとしている。


 それを和らげようと僕は定食に付いていたウーロン茶の残りを一気に飲み干した。


「ふぅ……」


 そこで一息吐くと、如月さんがこちらを見ていることに気が付いた。


「どうかした?」


「ううん、何でもない」


 僕が尋ねると、如月さんは首を横に振ってそう言った。その割には何か言いたげな表情をしている気がするけど、気のせいかな?


 まぁ、本人が何も言わないなら、無理に聞くこともないだろう。僕はそう思い、それ以上は聞かないことにした。


「それにしても、如月さんって本当に辛いもの好きなんだね。びっくりしちゃったよ」


 僕は話題を変えようとして、そう口にした。すると、如月さんは少し視線を外して、小さな声で答える。


「好きというか……昔からよく食べてるから。もう慣れてるだけ」


「へぇ……そうなんだ」


「うん。辛いものは入れれば入れるほど、美味しくなるから」


 如月さんの言葉に僕は無言で頷いたけど、正直言ってあまり理解が出来ない話だった。確かに辛味成分には味覚を刺激したり、食欲増進の効果があったりするみたいだけど、あのレベルまで入れるとなると、すごく体に悪いのでは? そんな風に思ってしまう。


「じゃあさ、さっき食べたものよりも、辛いものって食べたことはある?」


 気になったので聞いてみたところ、彼女は表情を変えずにこう返してきた。


「あるよ。ハバネロを使ったペペロンチーノとか、ブートジョロキア入りのラーメンとか、世界一辛い唐辛子と言われるキャロライナリーパーを混ぜ込んだカレーライスとか」


「そ、そうなんだ……」


 無表情ながら嬉々としてそう語る如月さんに僕はそう言って相槌を打つ。しかし、ジョロキアやらキャロ……何とかという、ハバネロ以外の単語については初めて聞いたんだけど。


 ただ、さっきの麻婆豆腐よりも辛いということは、相当な辛さなんだろう。多分、僕が口に入れることすら出来ないと思う。というか、そんなに辛くて果たして美味しいといえるのだろうか。


 やっぱり如月さんはどこか変わっていると思うと共に、そんな彼女のことをもっと知りたいと思った。如月さんとこうして付き合っていなければ、彼女が激辛好きだなんて知りようも無かったのだから、これはこれで良かったのかもしれない。


 そんなことを考えていると、如月さんは急に席から立ち上がった。


「あっ、もう帰るの?」


 僕が如月さんにそう問い掛けると、彼女は首を横に振って答えた。


「違う。トイレ」


「あ……その、ごめんなさい」


「……? ちょっと行ってくる」


 違ったことと失礼なことを聞いてしまったのを合わせて謝罪をすると、如月さんは特に気にした素振りも見せずにトイレに向かって歩いていった。


 それを見送った後、僕は天井を軽く見上げて息を吐いた。何だか今日はすごい一日だったなと、心の中でそう思い返す。


 本当に今日は朝から色々なことがあり過ぎて、まだ半日しか経っていないというのに、何だかとても疲れた気分だ。でもそれは嫌な疲れじゃない。むしろ心地良い疲労感だった。


 こんなに楽しいと思えるような時間を過ごすことが出来たのはいつ以来だろうか。そんなことを考えてしまうくらい、充実した時間を過ごせていたように思う。


 それもこれも、全て如月さんのお陰だった。僕は改めて、彼女という存在に感謝の気持ちを抱く。そして彼女を好きになって良かったとも思うのだった。


 そんな風に考えていると、こちらに向かって近付いてくる人影があることに僕は気付く。如月さんが戻ってきたのかななんて、僕がそちらへ顔を向けると―――


「失礼しまーす! 空いているお皿、下げにきたよー」


 そう言って現れたのは弥生さんだ。如月さんが席から立ったのを見て、食べ終えたのだと察したのだろう。空いた食器を片付けに来てくれたようだ。


「あ、ありがとうございます……」


「で、で、どうだった? うちの料理? 美味しかったっしょ?」


「あっ、はい。とても美味しかったです」


「でしょー!? うちの店、結構評判いいんだよね!」


 僕が素直に感想を述べると、嬉しそうな笑みを浮かべつつ、僕にそう言ってくる。本当に元気の良い人だとつくづく思う。


「てかさ、立花くん。一つ聞いていい?」


「え、あの、何でしょう……?」


 突然、弥生さんからそう尋ねられたので、僕は驚きつつも聞き返す。すると、彼女は僕の顔をじっと見つめてきた。そしてこう言ったのだ。


「何であーしに敬語なん? 別に友達なんだからさ、タメで良くない?」


「えっ……いや、でも……」


「あーしはその方が嬉しいし、そっちの方が楽なんだけどなー」


 突然の申し出に戸惑う僕に対して、彼女は軽い口調でそう言う。そう言われても、弥生さんみたいな女の子と気さくに話せだなんて、僕にはハードルが高過ぎて無理があるというものだ。


「それにさー、さっき聞いてたけど、如月さんにはそんな堅苦しい話し方してないじゃん。何であーしにはダメなの?」


「うっ……」


 僕は言葉に詰まった。まさかそこを突かれるとは思ってもみなかったからだ。


「えっと、その……」


 だけど何も言えないまま黙っているわけにもいかないので、僕は必死に言葉を絞り出すことにした。そして考えた末に出てきた言葉がこれだ。


「い、いきなりは難しいというか……慣れの問題といいますか…………」


 結局、歯切れの悪い言い方になってしまったけど、これが今の僕にとって精一杯だ。こればっかりは仕方ないと思って欲しい。


 そもそも、弥生さんは僕のことを友達と思っているみたいだけど、僕からすればそこまで話したことのある相手でもない。まだ彼女のことについて、知らないことが多過ぎる。


 それなのに敬語じゃなくてタメ口で話せはいくらなんでも無茶振りが過ぎないだろうか。


「んー、そっかぁ。まぁ、すぐにとは言わないけどさ、友達なんだからさ、あーしと話す時は普通に話してくれると嬉しいかも」


「は、はぁ……」


 僕は曖昧な返事をしつつ、内心どうしたものかと頭を抱えていた。


「まぁ、とりあえず今はいいや。じゃあね、立花くん」


「あっ、はい。また」


 弥生さんは笑顔でそう言うと、空いた食器を持って厨房へと戻っていった。僕はそんな彼女の後ろ姿を眺めながら、軽く息を吐く。


 すると、弥生さんと入れ替わるように如月さんが戻ってきて、僕の真横に立った。


「お待たせ」


「ううん、全然待ってないよ」


「そう」


 如月さんは短くそう答えると、彼女はお店の出入り口へ視線を移した。


「そろそろ行こ?」


「うん、そうだね」


 僕も如月さんの言葉に頷いて同意する。そして僕らは会計を済ませ、店の外へ出るのだった。





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