「えっ、お父さん?」
「柚木崎君がまた、自宅を使っていいって言ってくれている。 お前が、その方が落ち着くだろうからって」
柚木崎さん、きっとおこっているはずだ。
さすがに今回ばかりは、振られてしまうかもしれない。
愛想尽かされて、嫌われて――。
そんな思考を巡らせていると、突然、車が急停止した。
私たちは大きく体を揺らし、驚いて前方を見つめた。
「うわっ。人がっ――」
運転手さんは、動揺している。
恐る恐る前を見ると、そこには氷室さんが立っていた。
「えっ、何で⋯氷室さんが」
お父さんがそうつぶやく。
「お父さんっ、ちょっと、行ってきて。 りりあは私が見てるから」
「分かった」
お父さんが車を降りて氷室さんの元に向かい、運転手さんは不安げにその様子を見守っていた。
「何かあったんですか? あの方と……?」
「……ね……がい。……おねがい」
お母さんは私を抱き締めて、運転手さんに懇願した。
「お願いします。出して、車を出して。お願いします。大鏡神社に連れて行って。この子を……もう、連れて行かせないでっ」
「えっ、でも、あのお連れの人が⋯」
「お願いっ、逃げてっ。もう、この子をあの人に取られるのは嫌。お願いします」
お母さんのききせまる訴えに、運転手さんは戸惑いながらも車を後退させ、来た道を戻り、迂回して大鏡神社へ向かってくれた。
大鏡神社に到着すると、お母さんは運転手さんにお礼を言いながら支払いを済ませ、タクシーを見送った。
「お母さん、ごめん。 心配ばっかかけて」
「りりあが謝る事無いの。さぁ、行きましょう。お父さんなら、歩いて帰ってこられるから」
私は、お母さんと柚木崎さんが鍵をポストに入れてくれていて、それを使って中に入った。
テーブルの上には、バレンタインの時に作った塩昆布のおいなりがラップをかけて並べられていた。
「これ、柚木崎君が作ったのかしら?」
思わず、名前を呼んでしまいそうになる。
名を呼んで呼び寄せちゃうなんて、今はできないのに。
迷惑かけちゃうし。
いまは、裏切って、勝手なことをした私に会いたく無いかも知れない。
何より、もう嫌われてしまったかも知れない。
そう思うと怖くて堪らない。
後悔はしないって決めたのに、今更なのに。
――それから、30分程経って、お父さんが帰って来た。
「多分、あれ……氷室さんじゃなかったと思う。 あれは、りゅうだったと思う」
「えっ?」
「【りりあが無事なら、それでいい】って、 そう言い残して消えたんだ」
菅原先生が話しをしてくれるって言ってたし、そうかもしれない、と思った。
私達は柚木崎さんの作ってくれたおいなりを食べた。
食後のお茶を飲み、片付けを終えたあと、お母さんが私に声をかけた。
「りりあ。お風呂に入る前に、おいで。前髪、切ってあげる」
「うん。お母さん、大好き」
お母さんに前髪を切ってもらい、お風呂に入ったあと、学園祭の時のように布団を3つ並べて眠りについた。
※
翌日、お母さんと朝食を作って、親子三人で朝ごはんを食べていると、インターフォンが鳴って、お父さんが玄関に出た。
「10時に社務所の応接室で、みんなでりりあの話しを聞きたいって。 柚木崎と氷室さん、菅原先生と学園長が来る。他に呼んでおくべき人がいれば言ってくれ。 他に誰かいるか?」
「……菅原 慶太さん」
「⋯⋯分かった」
私達親子三人は、時間に間に合うように社務所に向かい、みんなと合流した。
そこには、柚木崎さんのお父さんの姿はあったが、柚木崎さんの姿はなくて、氷室さんは居たけど、こちらを見向きもしなかった。
「懸さん、もう、君を咎めても仕方ない。 だから、言いたいことは山ほどあるけど、本題に入ってくれ」
学園長に促されて、私はみんなに白夜の話をした。
白夜の手紙は重要証拠物件だということで手元には無いが、菅原先生が鏑木っ刑事からコピーを持たされた、と同封物の生徒会メンバーの集合写真まで用意されていた。
「この手紙を見れば、君が何をしようとしたか⋯みんな分かった。君は、篠崎さんのお母さんの分魂の場所を確かめたって。 でもね、懸さん。君は根が正直で、素直で、真面目で……とても愚かだ」
「⋯⋯と言いますと?」
「これが嘘偽り無いと言う証拠も、確証も無い。 ただの罠かも知れない。 本当に、そこにトモのイノチと祝福があるとは限らないじゃないか」
確かに、そうだけど。
「でも、無視して、何か解決するんですか? 助けたって良いじゃ無いですか? 篠崎さんのお母さんは四年前、誰も裏切らなかった。 だから、会いに行ってあげてほしかった。 私じゃダメって言われたけど、誰も行かないなら、私が行きます」
私の言葉に、24年前の生徒会メンバーが全員が怒鳴った。
「行くよ。俺たちの問題だ」
柚木崎さんのお父さんが言った。
「俺達が行くのが筋だ」
菅原 慶太さんが言った。
「俺達の問題だ」
お父さんが言った。
「俺たちが助けに行く。 あのバカを、トモも居るなら、俺達が行く。四年前、お前に全部背負わせたが、本来は、俺達で助けるべきだった二人だ」
氷室さんが言った。
「君たちにもし何かあったら、誰が責任を取るんだい?」
学園長が呆れ気味に言った。
「そのときは、僕と菅原先生とりりあがいます。 りりあもそのつもりだったんだろう?」
柚木崎さんが、突然現れてそう言った。
私は面を喰らったか、勿論、そのつもりでだって頷きながら返事を返した。
「はい。私は、そのつもりです」
※
人目を避けて、日没を待ち、私達は大鏡公園の東屋に集まった。
篠崎さんのお母さんに、【呼ばなかったら呪う】と言われていて、その事を菅原先生に相談したら、篠崎さんは様態も安定していて後遺症の心配も無いと聞き――。
菅原先生の許可を得て、篠崎さんに事実を告げた為。
遅れてだが、篠崎さんのお母さんもその場にやって来て、場が凍り付いて困った。
「ごめんね。みんなを巻き込んで、本当にごめんなさいっ」
みんな、ぽかんとしていた。
「えっ、どういう事? えっ、篠崎⋯⋯なの本当に?」
柚木崎さんのお父さんが一番狼狽えていた。
「そうだよ。うろ覚えだけど、明さんだよね? その節は、貴方の社殿で人を呪ってすみませんでした。 菅原君も、在学中に人質に取って神様⋯脅し取ろうとして、ごめんなさいっ。えっと、ゆうひ、可愛いからって子分みたいにあごで使ってごめんね。あと、氷室くん、私、トモをイジメて怒られたのに、素直に謝れなくて本当にごめんっ。 ⋯⋯ごめん何より、一番肝心な時に、みんなに【助けて】って言えなくて、本当にごめん」
一気に言ってしまったその話の内容に、しばらく、その場に静寂の時が流れた。
※
私は、菅原先生と柚木崎さん、それにお母さんの四人で、東屋に向かうみんなを見送った。
お母さんも、【一緒に付き添う】と言って聞かなかった。
「トモは、親友だから、私も一瞬にいたいの」と――。
まるで子供の頃に戻ったように、私達と同年代になったかのような眼差しで言うから、私はびっくりだった。
「りりあ、おかえり」
「へっ? 柚木崎さん?」
いつもの優しい眼差しで、急にそんな事言われるなんて思わなくて、私は無き出した。
「泣かないで、ただいまを頂戴。 おかえり、りりあ」
「た⋯⋯た⋯ただいま。ごめんなさいっ亮一」
「名前で呼ぶのは、ふたりきりの時って言ったじゃん。どうしてくれるのさ、先生と君のお母さんの前で⋯⋯」
柚木崎さんは、そう言いながら、ちゃっかり、私のそばに来て、なく私の頭を撫でていた。
「君達、付き合っている事を、ちゃんと親御さんに説明してるの?」
「えっ、先生。私、聞いてない……って、よく見たら、私が卒業する時に生徒会長になった、菅原くん? えっ、あっ、先生が特待生で後輩で……。えっ、あっ、思い出した。 ああっ、ええっ。って、りりあ。柚木崎君と付き合っているの?」
「あっ、その、うん」
「嘘でしょっ、げっ」
――えっ、お母さん、【げって】って言った。
何故だ。
「えっ、お母さん、駄目だった?」
「半分うれしいけど、半分複雑だよ〜。う〜ん……」
お母さんはその場に頭を抱えて蹲った。
「えっ、お母さん、何その微妙な配分」
「いや、トモの息子だし、でも、柚木崎先輩の息子で、あぁ⋯⋯」
ん?
お母さん、柚木崎さんのお父さんに何かあるのか?
まさかね。
「あんまり、歓迎されてないみたいでごめんね」
「いえ、私には勿体ないです。私、嫌われて、愛想尽かされて、さすがに⋯⋯振られるかもって、思ってました」
「はは、煽るね。 そんな意味のないことしないよ。 僕は、君に嫌気がさしたことも、そりゃあったけど、突き放したりしなかっただろ?」
――なんのことだよって思った瞬間、視力がなくなるくらい柚木崎さんの能力で力を抜かれて、真夏にもかかわらず、裸でガチガチ震えていた事を思い出して、私は固まった。
「⋯⋯ですね。今後の参考にします」
「傍若無人もほどほどにね」
私達の会話に、菅原先生とお母さんはドン引きしていた。
でも、柚木崎さんのいつもの破天荒ぶりに私はホッとした。
※
しばらくして、大鏡公園の東屋から、どす黒い渦が巻き起こり、禍々しい嵐が吹き荒れた。
何かが、始まったんだ。
一体、何が始まろうと言うのか?
きっと恐ろしく、絶望的なナニカの為の、ナニカなんだろうけど。
真相は、あの東屋でしか分からない。
四方を柱で支え、朱塗りの柱と黒の瓦で、枠組まれたただの石作りの東屋に今、人影はない。
みんな中に入っていったのに。
柱と屋根だけの吹き抜け構造のそこには、柚木崎さんのお父さんと菅原 慶太さん、私のお父さん、篠崎さんのお母さん、そして氷室さんが向かったはずだった。
でも、見える限りそこは、無人にしか見えない。
「みんな⋯⋯大丈夫かしら?」
お母さんが心配気に言った。
私も、柚木崎さんも、押し黙っていたが――菅原先生が、ハッとした表情をして、突然叫んだ。
「誰だっ」
えっ? と私と柚木崎さんが辺りを見渡すと、空から白い虎が降りて来た。
「眷族の誘いを断るのは構わぬ、妾【わらわ】は、ここの全てが欲しい」
女の人の声だった。
「えっ……、君のノートに、【虎は女の人の声】って言ってたけど⋯⋯」
「妾はそもそも、元からこれが⋯本来の声じゃ、我がはらを痛めて産み落とした人の眷族に身体を貸して話した言葉を妾と思っておったか?」
「それって、篠崎さんのお父さんって事?」
「そうよ。家名安泰を願って、愚かにも命を捧げて妾と子を成した男の子供よ。 今は、何処ぞで命を寿命にくびられるのを待つばかりじゃろうよ。 我に逆らわぬ誓いを末代まで誓わせて産んでやったものを、愚かなややじゃ」
……何てことさせてんだよ。
えっ、じゃあ。
「篠崎さんのお父さんは、今⋯⋯」
「不死と不老を失くして何処かでの垂れておるはずじゃ。今、いくつと思っておる。あやつ、105歳じゃ、まだ生きておっても、もう持って、数年じゃろうて。今頃、老いぼれた肉体で死を待つだけじゃて。哀れよ」
こんな事、篠崎さん母娘に言えない。
【故郷に帰る】って言ってたのは、嘘だったのか?
本当は、呪いが解けて元の肉体に戻る姿を、二人に見せたくなかったのか。
「……で。お前は、何を、しに来た」
私は柄にもなく、偉そうに白い虎に語りかけてしまったが、腹が立って、苛立って、その感情を抑えられなかった。
白い虎は、私の言葉に不快を露にして言った。
「不完全な人間風情が妾を【お前】呼ばわりか。まぁ、良い⋯…お主ら、大鏡の封印を解け。その東屋の者達が対価じゃ。イノチのやり取りはせんが、対価の交換は【アリ】なのじゃろう? 我が孫と対価を酌み交わした、六封じの【最愛】よ」
私は目を閉じて、考えた。
白い虎の言う、【大鏡の封印】は、六封じの封印のこと。
社殿を開けて解かれるそれは大鏡=りゅうの呪縛ではなく、六封じの崩壊を意味するのに。
何か、目的とそれがもたらす結果に激しく行き違いが生じてないか?
元々、本来の4年前の本当の目的だったと思われるそれをしてしまえば、六封じに集まる力が全て流れ出してしまい、りゅうが力を取りこぼしてしまう。
それが、狙いなのか。
そうじゃないと思うが。
とにかく、私にそれを願っても。
私はそもそも。
「大鏡の封印の解き方は知らない」
私の言葉に、白い虎は言った。
「大鏡の社殿を開けよ。 掛け軸を破れ。 それが、依代ぞ」
社殿の⋯⋯掛け軸だと⋯⋯?
あれの事か?
あれ、掛け軸だったっけ。
いや、掛け軸じゃなかった。
トモの眠る孤殿の後ろに書かれた、りゅうの最初の奥さんのアレかも?
とも思ったが、あれは壁に直に書かれていた。
「【知らない】と言っている。まさか、言っている意味が分からないの?」
「ならば、良い。 さて、今、あの東屋の中は、地獄じゃ、全員が力尽きて死に絶え、そして、ここは壊滅じゃ。 望まぬなら、お主がやってみせよ。 さすれば、中のモノは助かるぞ。 お前の命で、やってみせぬか? 六封じの【最愛】よ」
私が、あの呪詛の代わりに、命を捧げて何をするものか?
馬鹿馬鹿しいが過ぎる。
そもそもだ。
「お前との、対価の交換には、応じない。自分が本当に願いを叶えて欲しい時に、相手に寄り添えない奴とは、何も出来ない、したくないよ。白夜は、本当に、叶えて欲しい願いのために、私の願いを叶えてくれた。お前は違うっ。 信用出来ないやつと信用できない事は出来ないし、しないっ。私は、愚かじゃないっ、馬鹿にするなっ」
怒る私の手を柚木崎さんが掴んだ。
「りりあ。落ち着いて……でも、今のは、模範解答だった。成長したね」
柚木崎さんに誉められて、ちょっと嬉しかった。
「ふん、好きにすれば良い……。大鏡の宮司の息子。あの東屋に両親がおるのじゃろう? 主はどうじゃ?」
「聞く耳無いよ。そもそも」
そう言うと、白い虎は、今度は菅原先生に語りかけた。
「お主はどうじゃ? あの東屋の者達を救いたいとは思わんか?」
「何故、救う必要があるの? 彼らを誰だと思っているの? あそこに誰がいるか――まさか、知らない訳じゃ無いだろう? あそこにいるのは、ここの最強の龍神の申し子だよ」
「そうか? 主も駄目か。 では、最後に聞こう。 懸 達美【あがた たつみ】 トモの親友で、夫を中に残した者よ。 主はどうじゃ?」
えっ、私のお母さんにまで、聞く?
ってか、何で、私のお母さんの名前知ってるのよ。
「えっ、私にも聞くの?」
お母さんも、困ってるじゃん。
私はうろたえて、お母さんを見た。
「そうよ。か弱き虫けら同然の自分の友人と、夫の助命をこうてみよ。哀れんで、夫くらいは助けてやっても良いぞ? どうする?」
こいつ、何、侮辱してんだ。
私は文句を言おうと思ったが、お母さんの方が早かった。
「断るわ。私は、みんなを信じる。【夫くらいは】って言ったけど……。もしかして、トモは本当に中にいるのよねっ? なんでトモを【助ける】とは言わなかったの?」
「さあな?」
私は、柚木崎さんに耳打ちした。
「宇賀神先輩……呼んじゃ駄目ですか? 呪詛の知識ある人が居ない」
「う~ん、それもそうだね。有識者、欲しいかな」
「じゃ、呼びます。宇賀神 柊【うがじん ひいらぎ】」
私の呼び掛けに、宇賀神先輩がやって来た。
「りりあのせいで、セイレンに口を聞いてもらえなくなった。 君たちが転移した後、叱ったら、ぶすってして……、いやふてくされたセイレンも可愛くて、好きなんだけど、
LINEでメッセージ送っても、ドラゴンゲートでメッセージを送っても、未読スルーなんだけど」
……いや、状況説明してないとはいえ、最低限の緊張感欲しいな。
「宇賀神後で、僕がりりあと取りなすって約束するから、事情察して」
「あのなぁ!! って、もうお前ら、もう仲直りして!! 本当、お前は、恋愛の神か?」
ヤバいこの人、使い物にならないかも?
※
「呪詛は見えない。だが、呪縛なら見える。中に入らないと、俺では無理だな。 ……七封じのちゅうはどうだ?」
「えっ」
「大鏡の呪縛を、見破った審美眼でなら、視えるかもしれない。俺には視えなかったが、あれはそれを見破った。 凄い逸材だ」
う~ん、ちゅうを呼び出すなら……あ、ドラゴンゲートを使って七封じに年末、みんなで転移して行った時、七封じのみんなに。
鏡子ちゃんがインストールしてた。
でも、今、私、スマホがない。
「スマホ没収されてて、私ドラゴンゲートが使えない。どうしよう……」
そんな会話に夢中になっていると、すっかり忘れていた白い虎が抗議するように声を上げた。
「わらわを無視するでない!」
「もう、うるさいな。あんたさ、結局、何しに来たの? 邪魔しに来たの?」
うっかり、煩わしい旨の正直な感情で、思ったまま邪険にする言葉を吐いてしまった。
「おのれっ小娘がっ」
白い虎がこちらめがけて突進してくる。
煽っちゃったから、自業自得ではあるが。
突っ込んで来ないで欲しい。
やばい、どうしよう。
怯む私に、柚木崎さんは落ち着いた口調で言った。
「りょう。来て。 りりあを護って」
柚木崎さんの呼び掛けに、即座にりょうが姿を現して、白い虎の前に立ちはだかった。
「驚いた。本体だな。 お前。 折角なのに、残念だな」
「……何が残念じゃ?」
「お前を殺すのは、りゅうと一緒にと言ってたからだ。今、東屋の中だ。 それが、残念だと言った」
あっ、本性出てる。
りょう、本気だ。
「そうか、りゅうも、入っておるのか。では、間違いないな」
「何の事だ?」
「思いの外、役者が揃っておるなら、安泰じゃ。 愚か者め。 あの東屋の呪詛の成立をもう見届けずとも良い」
そう言うと、白い虎は姿を消した。
「えっ、逃げた?」
私が呆気に取られて居ると、宇賀神先輩が首を傾げて、そして、言った。
「あの呪縛、中が気になる? 鏡子を呼ぶぞ。 あいつなら、ちゅうを呼び出す術あるだろう」
鏡子ちゃんを呼び出して、鏡子ちゃんはちゅうの呼び出しをなんなくやり遂げた。
審美眼の鼻を持つ、七封じのねずみの宙【ちゅう】が、それを従える双子の一人とともに転移してきた。
「今、夕飯食べたとこなんだけど……みんなどうしたの?」
「ごめん、早速で悪いんだけど、あの東屋の中を視てもらえる?」
「いいよ。お安い御用だ。 ちゅう、お願い」
ちゅうは東屋の岸辺の前で言った。
「これ以上は近寄れない」
次いで、鼻をクンクン鳴らして言った。
「呪縛の中で、呪詛が渦巻いてる。カタチを変えようとしていて、匂いも変わる。 呪縛は定まったモノ以外は中に入れず、且つ、足を踏み入れる事が出来たものは、呪縛が続く限り出ることは出来ない。 呪詛は、えっ、何でこんな事するの?」
「えっ、どういう事?」
「この呪詛は、それが成立すれば、六封じの封じが破れちゃうよ。 冗談じゃないよ。僕たちの故郷七封じだって、その封じがなければ、そこで生きるものがどうなるか分からないのに。 六封じで、こんな人が沢山いる場所で六封じが解けたら。少なくとも、この場所が壊滅して、更地になって……何人犠牲者が出るか分からないよ」
「えっ、壊滅? 更地? 犠牲者? って、りゅうそんな事言ってないよ」
「んっ、更地は駄目なのか?」
りょうの言葉に、私はこのりゅうとりょうが世間一般の常識的感覚が無いことをやっと実感した。
「柚木崎さん、白い虎の本懐が何か……私今やっと分かったんですけど」
「同じくだよ。えっ、りょう、ここ更地になる過程で、人ってその影響で死んだりする?」
「レンズサイドに切り替えれば、問題ない」
「出来ない人は!!」
「運が良ければ無事だよ。ごちゃごちゃしてるから、色々吹き飛ぶだろうから、当たったり、下敷きになったら死ぬかな」
大問題じゃないかっ。
もう、やめてよ。
「ちゅう、呪詛が変わろうとしているって言ったけど、どう言うこと?」
「中でダレかが、呪詛者に働きかけている。 呪詛を無効化しようとしている。でも、危険だ。呪詛をしくじった対価が視える。 呪詛を責任もってやり遂げる。その誓いに、呪詛者の魂とナニカの命が人質にされていて……。でも、なんとか、仕組まれた呪詛に何かを働きかけている。 誰だ?」
あの東屋に入ったメンバーで呪詛を扱える逸材は、篠崎さんの母親だ。
彼女しかいない。
「みんなが助かる方法はない。最小限の犠牲で、最大限の人の命を助ける選択を中でしようとしている。 地獄だ」
ヤバい。
これじゃあ、どのみち、どっちも嫌だ。
全部、最悪だ。
「ワシの能力で、出入り口は作れる。 わしも加勢する。 どうするかのう? りりあ」
突然、聞き覚えのある高齢女性の声に振り返るとそこには呼んでも無いのに、イタチの【ちゃちゃ】さんが霊獣と共に立っていた。
「えっ?」
「とにかく、状況次第じゃろうて⋯。誰か、行くなら、加勢する。 だが、わしに出来るのは、出入りを助ける……それだけじゃがな。 中に入ったとて、辛い選択しかないが、どうする?」
辛い選択しかない、か。
ちゃちゃさんの言う事は最も、だ。
現状、六封じの封印を解けば、甚大な被害が出て、ここを更地にして、沢山の人が犠牲になる。
チェリーブロッサムも、桜木町も、大鏡谷も、海沿いのモールも、中央区全域更地になんて、出来る訳がない。
でも、だからと言って、誰かを見殺しにしなきゃいけないなんて、嫌だ。
「おい、ちょっと聞いて良いか?」
ずっと、その場に残っていたりょうが声をかけて来た。
「何?」
「そこのネズミ。 六封じの封印は、他人の力で解けるような代物じゃない。デタラメをのたまうな」
ちゅうは、りょうに鼻を向け、クンクンさせて匂いをかいだ。
「……いや、解けるよ。 あなた、大鏡公園の中にいる【龍】と同じ匂いがする。東屋の中に【入っちゃいけない力】と、よく似てる。 あの東屋にカミサマを入れたのが悪かったんだ」
……えっ?
さっき、白い虎があの東屋にりゅうが居ることを知って、満足そうに消えたんだ。
「え、なんでりゅうとりょうは入れちゃダメなの?」
私の問いかけに、ちゅうは言った。
「呪詛が発動する為に、神レベルの魂が要る。 大鏡の龍も、同じ匂いがするカミサマだよね、この人も」
ちゅうの鼻の先には、りょうがいる。
「そうだよ」
「呪詛の威力は、そこで消費される力の量で増減する。もう、大爆発だよ」
「呪詛が発動すれば、術者とその命はどうなる?」
りゅうは言った。
え、なんでそっちを気にするんだ。
「無事に残るよ。自分の存在をかけた代物じゃないから、対価はあくまでおびき寄せた獲物を使ったモノだ」
「だったら、りりあ。中に入るなら、術を完成させて解かせてやれ」
りょうは平然と言った。
何いっているんだ?と、その場が凍り付いた。
「え、りょう? えっ、話し……聞いてた? あのさ、呪詛が成立すれば、大爆発を起こして、みんな死んじゃうんだよっ」
「東屋の中に居るものはりゅうが守る。外は、俺がここに居るもの位は守れる。 術者の持っている、イノチはトモだったなら、封印は壊して良い。呪詛が失敗してトモが犠牲になるのは回避すべきだろう?」
「良くない……それじゃ、死人が出る。ここに居ない、弱い、レンズサイドに逃れられない、普通の人間はどうなるの?」
「お前は、空を飛んでいる虫が死ぬのをいちいち惜しむのか? イノチ短く儚いモノを俺は惜しめない」
「いや、私はりょうの言う【イノチ短く儚いイノチ】だよ。なのに、区別するの? 命の尊さはおんなじじゃないの?」
「……違う、有象無象の命を惜しむなんて俺には出来ない。 だが、お前とトモはそうじゃない。 俺は、お前を愛している。 トモは、俺の心を打った。 亮一の母親だ。 泣きながら、その母親のイノチを願った亮一に必ず、無事にイノチを返す約束をした。 それが、例え、幾千万のイノチと引き換えでも、だ」
ダメだ!!
こいつ!!
いや、もう軽蔑とか、嫌気とかじゃない。
理屈が通じ合えない人となんて、ここ最近、何度もその齟齬で、けんけんがくがくに揉めて来た。
取り敢えず、りょうは、龍の人で、人間じゃない。
たぶん千年生きて、感覚バグってんだ。
私も、昨日、刑事さんと話して、自分が浮世離れにバグっていると思った。
もう、取り敢えず、今の事は聞かなかった事にしよう。
私はちゃちゃさんに言った。
「取り敢えず、中の人を逃がす方向で、後は中の様子を見て決めます」
「りりあ、お前も入るつもりか?」
「えっ、他に誰が行くんですか?」
「ええっ、私がちゃちゃさん連れてきたのよ。私が、遥と一緒に入るに決まってんじゃん」
げっ、鏡子ちゃんしか呼んでなかったのに。
なんで、要さんも遥さんも来るんだよ。
生徒会メンバーじゃないじゃん!!
「仲間外れの理由が生徒会メンバーじゃないからって、本当腹立つよね。私目の前で立候補用紙燃やされたのに」
「いや、俺も、要も行くのに、俺もクラスメイトだったのに、寂しいだろ。俺も行く」
いや、あの。
本当、この人たちも大概だな、と呆れてしまう。
大の大人が、この緊張感しかないはずの場面で何わがままぶっ込むんだよ。
こっちがはち切れてしまいそうだよ。
全く。
マジで、同窓会じゃないんだよぉおおおおお。