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第50話 【最愛】の災厄と幸い

翌日。


朝、目が覚めると、一人で部屋に寝ていて焦って部屋を出た。


5年前まで、暮らしていた自宅の和室。


昨夜は、親子3人で布団を川の字に並べて眠りについたのに。


リビングに行くと、荷作りをしている両親を見つけて、心細い気持ちに襲われながら、二人に声をかけた。


「お父さん、お母さん。もう、帰っちゃうの?」



私の言葉に、二人は満面の笑みを浮かべて言った。


「あぁ、置き手紙を残して、朝食を食べてから、帰るよ。なぁ?」


「えぇ、帰るわ。トモも無事に戻ったし、もう、ここに思い残す事は、無い。記憶も無事に戻って、私も狼狽えないで、生きていける。 りりあ、朝ごはんにしましょう。あっ、布団をベランダに天日干し、してからね」


私は、神妙な面持ちで自分の布団をベランダで干してから、お母さんと朝食を準備して、お父さんは置き手紙を書いていた。


そりゃ、いくら大鏡神社と比べて、氏子の乏しい潰れかけの神社とは言え。


おいそれと何日も、突然、家を空けたり出来ないのは分かっているが。


寂しかった。



朝食を摂って、玄関に立つ両親と一緒に家を出て、郵便ポストに鍵を入れて、お父さんが呼んだタクシーに乗るよう言われて、私は戸惑った。


見送りについて行って良いのは嬉しい。


でも、私はからだ1つで家を飛び出して来たから、財布が無い。


スマホも氷室さんに没収されている。


正に無一文なのだ。


恐らく博多駅から、新幹線に乗って帰るんだろうけど、私はお金を持ってないから、博多駅から大鏡谷まで帰れないんだ。



「お父さん。私、お金持ってないから、博多駅から帰れないよ」


「お前、何処に帰るつもりなんだ?」


何処って、大鏡谷の家だ。


そう思った。


「りりあの家は、私達の家よ。一緒に帰るわよ、四国に。 もう、絶対離さないから」


「えっ、お母さん。えっ、お父さん」


「帰ろう、りりあ。髪の呪いも、トモも戻った。 もう良い。ここでの記憶は、ここに置いて、今のお前で良いじゃないか? 帰ろう。 俺達と」


私は両親に抱き締められて、到着したタクシーに乗せられて、一緒に博多駅に向かった。


途中で、色んな事を考えた。


鏡子ちゃんやセイレンちゃんの事。


一ノ瀬君や篠崎さんや、ユキナリの事。


卒業まで、担任で居てくれると言ってくれた菅原先生の事。


宇賀神先輩の事。


セイさんにソウさんに竹中さんの事。


りゅうとりょうの事。


柚木崎さんの事。


氷室さんの事。



「りりあ?」


お父さんが言った。


「何で⋯泣いてるの?」


お母さんにそう言われて、私は自分が泣いていることに気が付いた。

涙が止まらない。

帰ろうって、帰っても良いって、私はそれが嬉しいはずなのに。

一年前だったら、嬉しかった。

そう思うと、更に切ない。



「お⋯⋯と⋯⋯う、さん、おかあ⋯⋯さんごめん。

私、ここに居たい。 ここで、みんなと暮らしたい。 だから、行けない」


「りりあ⋯⋯お前、記憶は戻ってないんだろ? もう、神様⋯は良いんだろ?」


「まだ、願うの? 私達と同じ、人間じゃ駄目なの? 何で⋯りりあ」


お父さんとお母さんが、狼狽えながらそう言って、私の両端で両親まで泣き出してしまった。



結局、両親は、私を途中では降ろしてくれず、博多駅の改札口前の緑の窓口の列に並んだ。


新幹線や特急券を販売する緑の窓口は、春休みで混雑していた。


どうしよう。


ここは、博多駅は、もう中央区ではない。


六封じを出ている。


もう、後戻りは出来ない。


でも、どうしよう。


二人と一緒に居たいけど、ってか。


そもそも、だが。



「お父さん、私、死ぬまでもう、あの家を出られ無いって言うから、信じてたのに。 違うの?」



私の疑問にお父さんは言った。



「りゅうは死ぬまで、お前を逃さない。何処へ逃げても、必ずお前を連れ戻すと言った。だが、もう良い。 俺達は、だったら、死んでもお前を離さない。りゅうには、渡さない」


「そうよ、死んだって、貴方を離さないわ。私もお父さんも、六封じのレンズサイドウォーカー。決して、強くはないけど、でもだからって、最強のりゅうに怯んで我が子を手放したりしない。ねえ、あなた」


「そうだ。俺は、けっしてお前達ほどの優れた力は無かった。でも、母さんの言う通り、だからと言って、それに屈して、お前を手放すなんてするものか」



もう、お父さんも、お母さんも。



「お父さん、お母さん。 だったら、残るよ。 お父さんとお母さんに、りゅうと喧嘩して欲しくない」


私の言葉に、目の前にりゅうが現れた。


姿は、氷室さんだったが、これは、氷室さんの表情ではない。


りゅうが氷室さんに化けている。


氷室さんは、にやついた笑みなんて浮かべないんだ。



「脱走のくわだてとは、穏やかじゃないな」


「氷室さん⋯⋯じゃない。アナタは⋯⋯りゅうですか?」



震える声でお父さんは言った。



「そうだ。りりあが呼んだのは、そっちじゃない――。 りゅうである俺だ。 そうだろう? りりあ――」


厭味ったらしく聞こえるのは、気のせいか?


いや、厭味で間違いない。


「そうだよ。私、今、呼んだのは、りゅうだよ。心から呼んだよ。六封じの外まで出てごめん。 付き添い無しで、出歩いてごめん」


「龍一に何故、頼まなかった。 この二人じゃ、狙われるだろう? 力あるモノの付き添い無しで出歩かないと言う条件は守れ」


「うん、分かってるよ。でもさ。 だったらさ。 最初から、居たでしょ。ずっと、大鏡神社の前から、私の傍に」


気配してた。


大鏡神社を出た時から、何かが視てるって、分かってた。


六封じを出ても、何もして来ないから、後回しにしてただけ。


「りりあ、帰ろう」


お父さんとお母さんは、りゅうを前にしても、私を連れ帰りたいとりゅうに言った。


狼狽えていると、りゅうは私を見つめて言った。


「りりあが決めろ」


随分、生易しいな。


「良いの?」


「勝手にしろ――」


チビりあが居れば、それで、もう満足なのかも知れない。


私は散々迷ってはいたが、そもそも自分の気持ちにもう答えは出ていた。


言うなら今だ。


そう思った。


二人の事が大好きだ。


一緒に、暮らせてずっと幸せだった。



「お父さん、お母さん。私、ここに残るよ――。ここで、2人が卒業した若葉に通って、卒業する。 私、ここで生きる。 神様になる為でも、六封じの神様の為でも無い。私は、ここで幸せに生きて死にたい、人間として。友達も、良い先生も、親身になってくれる大人の人もいる。⋯⋯あと、その⋯⋯恋人も。 だから、ごめんね」


「は? 恋人っ誰だっ。 ま、まさか、ひ、氷室さんじゃ無いだろうな」


お父さんの素っ頓狂な空振りに顔が引き攣ったが、それ以上に、お母さんが凄い剣幕で、お父さんを怒鳴った。


「あんな40絡みの独り神と書いて独神【ドクシン】、みたいなつまらない洒落も似合わないような人な訳ないでしょ。柚木崎君よっ、ねえ、りりあ」


「あっ、うん、勿論」


お母さん、氷室さんの事、まさか嫌いなんじゃ無かろうか?  まさかね。



私はりゅうと一緒に、駅のホームまで二人を見送り出て、お父さんからなけなしの千円のお小遣いを貰って、新幹線に乗る二人を見送った。


「りゅう、ありがとう。ちょっと、絆されて。帰っちゃいそうになったよ」


「帰っても良かったぞ。  【また、俺がりょうを串刺しにして、もう一度、龍一と亮一と仲良く4人で】 お前を迎えに行くまでだ」


私は、その言葉に凍り付いた。


もう心の底から。


本当に。


帰らなくて良かった。


と、ホッと胸を撫で下ろした。





「屋敷まで転移するか?」


「うん、そうだね⋯⋯いや、良いよ。少し、歩きたい。帰ると寂しくなっちゃいそうだから」


私は博多駅を出て、歩いて大鏡谷を目指して歩いた。


「レンズサイドで行けば、疲れる事も無い。 お前、あまり、生身は丈夫では無いだろう?」


「少しは動かないと、これでも、結構丈夫になったんだよ」


私はりゅうと博多口から博多駅を出た。


大通りを真っ直ぐ進み、通りかかったキャナルシティと言う運河の名を冠する商業施設の中の巨大噴水の広間で、丁度、噴水ショーが始まり、それに魅入った。


「綺麗だね」


「そうだな、人間は面白いことを考え付く」


キャナルを出て薬院に差し掛かってやっと六封じに入り、大きな坂を上がって降りて、やっと大鏡谷の手前の桜木町まで戻って来た。


もう、正午を過ぎていた。


「りりあ」


「何、りゅう⋯⋯」


「お前は今⋯幸せか?」


私は、少し考え込んで、笑った。


「幸せだよ。何で?」


「子が産めなくても、か? 俺を、憎くは無いのか? 恨めしくは、無いのか?」


私は、また笑ってしまった。


「2人が子供を産めないのに、私が産めても仕方ないじゃん」


って、自然に何の躊躇いもなくそう答えて、ハッとした。


誰にも、まだ言ったことの無い正直な気持ちを、うっかり喋ってしまったからだ。


「2人が子供を産めない? ⋯⋯龍一と亮一の事か」


私は、思わずりゅうから目を背けた。


「は⋯⋯何だ。だったら、良いんだな? だったら、一生、返さんからな」


「それは、良いけど、今、言ったの、二人に言わないで。言ったら、チビりあと夜遊びしちゃうからね」


「馬鹿なっ。やめろっ」


りゅうは怒った。


マジで、今のは、誰にも言わないで欲しいと、私は切に願った。



チェリーブロッサムの前でりゅうは、ここで帰ると、姿を消した。


チビりあを引き合いに出して、ばつが悪くなったようだった。


私がチェリーブロッサムの正面玄関前の遊園地スペースで、ぼんやりメリーゴーランドを見て黄昏れていると、後ろから急に声をかけられて、驚いた。



「りりあか? あっ、やっぱ、お前だ。 おい、社長、やっぱ、りりあだぜ」


後ろから、かばりと抱き締められた、と言うか、これは捕獲に近い、と思った。


「えっ、シュウさん?」


「ばかっ、お前、何してんだよ。 離せっ」


慶太さんが、慌てて駆け寄って来て、私からシュウさんを引き離した。


「はっ、この前は捕まえろって行ってただろっ」


「もう、それは、良いんだよっ」


「ごめん。りりあちゃん、驚いたよね?」


「いえ、良いんです。シュウさん、この前は、驚かせてすみませんでした」


「気にすんなっ。俺の方こそ、手加減が苦手で、悪い事したな。あのぼうやに謝っといてくれ」


「は?」



そう言えば、三日前にに慶太さんとシュウさんから逃げようと、鏡子ちゃんと一ノ瀬君を残して立ち去ったが、まさか、その時か。


えっ、ぼうやって、一ノ瀬君か?



何してくれちゃったの?


わなわなする私に、慶太さんが言った。



「ごめん。シュウが君を逃がそうとした男の方の胸ぐら掴んで、ちょっと、脅しちゃって。 ちゃんと、謝らせたし、勿論、手を出す前に俺がシュウをぶん殴って止めたから」



何だその阿鼻叫喚の修羅場は。



「鏡子がビビって、思わずドラゴンゲートでチトセに助けを求めて、もう二人して、シュウを叱ったから」


「そうなんですね。あの昨日、遅くまでありがとうございました」


「こっちこそ、りりあちゃん。あれ、ご両親は?」


「もう帰っちゃいました」


「そっか⋯⋯」


慶太さんは、昼休憩がずれ込んで今から昼食なのだそうだ。


昨日は、あの後、菅原先生と氷室さんと3人で夜遊びをして寝不足なのだそうだから。


3人の夜遊びって、どんな遊びなのか、興味が湧いた。


「りりあちゃん、何で、1人なの?」


「あっ、何となく」


私がそう答えると、慶太さんは言った。



「何となくで1人になっちゃ駄目だよ。君の保護者がまた怒り狂うじゃ無いか? 柚木崎の息子は⋯⋯今は無理か。 氷室は、忙しいの?」


「へっ⋯⋯あぁ、えっと、その、何か、どうして⋯良いか分からなくて」


私が俯くと、慶太さんは私の肩をぽんぽんと叩いて言った。



「どうしたの?」


どうしたって。


まぁ、そうだ。


りゅうとここまで、歩いて帰って来たけれど、実は家に帰りづらいんだ。


だって、最悪な出て行き方して、どの面下げて帰ったら良いか。


いや、それ以前に、氷室さん怒ってもう、帰って来ないかも知れなくて、それが怖くて、帰れないんだ。


その事を、考えるのも、いやで、考えるのさえ、拒絶して、何となく、ウロウロしてたなんて、もう。



「おう、嬢ちゃん。氷室さんとの鬼ごっこは終わったのか?」



不意に、ソウさんの声に、振り返るとにんまり笑って、私の所に来て、私の肩を叩いてきた。


「菅原、シュウ。どうなんだ?」


ソウさんの言葉に、苦笑いで慶太さんは言った?



「そうだね。 聞いてみるよ。 まだ、鬼ごっこしてるの? りりあちゃん」


もう、終わってる⋯⋯と思いたいけど、分からない。


慶太さんの言葉に、私は言った。


「分かりません」


「だったら、俺が味方するぜ。 何処までも、逃げる手伝いしてやる」


「シュウ⋯お前は、黙ってろ」





盛大に恥ずかしながら、私の空腹で、お腹の虫が鳴り、場の緊張の糸が切れた。


ソウさんが私に言った。


「何だ、腹減ってんのか。まぁ、取り敢えず、飯にすっか?」


「えっ、昼食べてないの? いつから食べてないの?」


「朝は食べました」


「早く言ってよ。食堂に行こう」


私達は、チェリーブロッサムの食堂に向かった。


すると、食堂には、夕方の情報番組福岡キラキラマップのリポーターをする傍ら、氷室さんの税理士事務所で事務員のアルバイトをしている美咲さんとマリアンヌさんが二人仲良く昼食を摂っていた。


「美咲、マリアンヌ。お前らも今日は昼飯遅いじゃねぇか」


「聞いて下さいよ。氷室先生が、ここ数日、全く使いものにならないんです。 アポすっぽかすし、もう、閉業するつもりかってぐらい、仕事してくれないんですよ」


「⋯⋯おっ、おう。そうか」


美咲さんの熱弁に、ソウさんは私の方をチラリと見た。



「いくら黒字だからって、こんなんじゃ、困ってしまって。 失恋でもしたのかって、感じなんですよ。 今日なんて、お酒なんて滅多に飲まない。下戸だって言ってたのに。ブランデーのお湯割り1杯が自分の適量で限界だって。の癖に、明け方まで飲んで、二日酔いで頭が痛いってのたまているんですよ。 唯でさえ、怖い顔なのに、今日は般若みたいなんですよ。午前の訪問の方が震えてましたよっ」



あっ、夜遊び分かった。


3人であの後、飲みに行ったんだ。


私は無言で納得していると、美咲さんと目が合って。


「仕事は完璧なのに、接客が⋯⋯あれ、貴方はっ」


美咲さんは驚きのあまり席を立った。





美咲さんは、私を見つけて、驚いて席を立って言った。


「貴方、氷室さんが後生大事にしている人ですよねっ。良かった。 あの良いですか?」


「えっ、あの⋯何ですか?」


「氷室先生と喧嘩してませんか?っ、何か、居なくなったって貴方を、探しに出てから、先生おかしくなったんです。 だから、貴方に愛想尽かされて、それで、氷室先生⋯⋯」


「美咲、ストップ。⋯⋯いやぁ、そんな事、ねえよ。うん、ねえ。 氷室先生⋯に限ってなぁ? 菅原」


話しを、振られて苦笑いの慶太さんは言った。


「あぁ、流石にそこまで⋯⋯。まぁ、うん。 友達のよしみだ。 ないって、事にしておこう。 でもね、美咲ちゃん」


「何ですか? うちのお隣の菅原社長」


「氷室⋯⋯ぷっ。ひ、氷室先生に、アナタとずっと鬼ごっこしている、玄関ホール前の絵に描かれた女子高生が、僕らと昼食を摂っているって、それと無く言ってあげて。あっ、もし、万が一、へそを曲げて、それを聞いてとんで来ないようなら、食堂の外線番号知ってるだろ? それで、電話して」


「あっ、ありがとうございますっ。マリアンヌさん、戻りましょう。氷室先生に正気に戻って貰わないと、今後の取材もままなりませんよ。もうっ、折角、コロナも終わってこれからって時に、本業をこれ以上おろそかに出来ません」


そう言って、二人は大急ぎで食堂を出ていった。




「やだっ、りー聞いたよっ。この前、保護者とクラスメイト巻き込んで、大鬼ごっこ大会やっんでしょ? 無事、逃げ切れた? あっ、その前に今日の日替わりは、鰆のフライとセイの旦那のストイックなゴロゴロ野菜のミネストローネだよ。フライには、悪魔のバター香るトマトソースをかけて食べて。デザートは牛乳寒天だよっ」



ララさん⋯⋯相変わらずだ。


日替わりメニューを受け取り、みんなで、テーブルについて食事を摂ったが、氷室さんは来なかった。


でも、そんなの気にする余裕が無い位、ご飯が美味しかった。


「美味しい。お父さんたちと帰らなくて良かった」


「は、りりあちゃん。 えっ、お父さんたちと帰るってどういう事?」


「あぁ、今朝、一緒に四国に帰ろうって言われたんです。 もう、へへ、私も、若葉を卒業したいからって、タクシーで博多駅までは行ったんですけど、何とか説得して、ホームで見送りました。それで、ここまで、帰ってきちゃいました」


笑いながら話す私に、慶太さんは、何故か深刻そうな顔をした。


「たつみとゆうひが、君に、帰ろうって言ったの?」


そう言えば、慶太さんは私のお父さんと同じ生徒会メンバーなんだった。


お母さんの事も、名前で呼ぶって事は面識もあるんだ。


「はい。ここに初めて来る時は⋯⋯私が泣いても、行けって送り出した癖に。私も、お父さんもお母さんも⋯⋯変ですよね。 逆になっちゃった⋯⋯今度は」



言ってしまって、気付いたが。


しまった。


私、ソウさんの前で、何、言ってんだよ。



「⋯⋯何か⋯よく分かんねえけど。嬢ちゃんも大変だな。 菅原、美咲から連絡ねえな。 もう、仕方ねぇな⋯⋯大の大人が」


「えっ、ソウさん?」


「悪い、シュウ。俺の食器片付けといてくれ」


「俺も行っちゃ駄目か?」


「馬鹿、血の雨、降らすつもりか」



ソウさんは、シュウさんを嗜めて食堂を後にした。


そして、私は、昼食のデザートの牛乳寒天を食べ終わる頃、まさに般若の様に不機嫌な顔をした氷室さんを連れて、ソウさんが戻って来た。


「氷室、何だ、その顔」


「俺の顔がどうした? 頭が痛いんだ」


「二日酔いの薬、頭痛薬、あるのか?」


「そんなもの無い」


「これ、飲め⋯⋯。俺も、流石に朝飲んだ。人間なんだ。 そういう時は薬を頼れ」


慶太さんの差し出した薬を氷室さんは

、受け取り慶太さんが何で、途中で水を取りに行って居たか不思議だったが、その為か。


氷室さんは、薬を飲んだ。



「⋯⋯りりあ。もう、食事は良いのか?」


氷室さんは、改まって、やっと私にそう声をかけて来た。


口きいて貰えて、嬉しい。


「はい。今、デザートまで、食べ終わりました」


「そうか⋯⋯。で、もう⋯⋯」


言い澱む氷室さんに、私は肩が震えた。


もう、何だ?


愛想が尽きたか?


やっぱ、怒ってるのか?


もう、また無理を突き付けるのか?


「えっ、何ですか?」


でも、氷室さんの素直な気持ちから、逃げたら、駄目だ。


もう、逃げない。


「もう⋯⋯俺とお前の⋯⋯鬼ごっこは終わった⋯⋯のか?」


そんなの、とっくに終わってる。


白夜の所に行く私を、一番、長く、しつこく追いかけてたから、終わりが分から無かったのか。


だったら、本当に、悪い事、してしまった。


「勝手して、申し訳ございませんでした」


「謝るな。⋯⋯終わらせてくれ。もう、お前が俺から逃げて、俺が追いかけなくて良いと。 もう終わりだと、言ってくれ。⋯⋯それだけで、良い」


「はい、もう終わりです。 我が儘は全部無事通りました。 だから、氷室さんと、私、家に帰りたい。1人じゃ、帰れない」



私の言葉に、氷室さんは言った。



「分かった。 おかえり、りりあ。 帰ろう、一緒に」


「氷室さん、ただいま」





私は、氷室さんと一緒に家に帰った。


氷室さんの運転する車で、私はいつもの後部座席に乗り込み、車が停まって、車を降りて私は運転席から降りてくる氷室さんに声をかけた。


「鍵、持って出ませんでした」


「分かっている」


氷室さんが鍵を開け、一緒に玄関に入る。


「お前、その靴はどうした?」


「買って貰いました。靴⋯⋯履かずに出たので」


苦笑いする私に氷室さんは、尋ねる。


「誰に買って貰ったんだ?」


「あ、あの⋯⋯。手紙の人です」


「そうか、捨てろ。もう、必要無い」


私はその言葉にもう早速、身体が硬直してしまった。


「⋯⋯捨てなくては、駄目ですか?」


「捨てたく無いのか?」



私は、少し考えて言った。



「えぇ、善意で貰ったと思ってます。  次、会った時、敵だとしても、捨てるのは気が引けます」


「そうか。⋯⋯だったら、燃やしてやっても、良いぞ?」


「お焚き上げじゃないんで、火事、困るんで⋯⋯」


私は、靴を脱ごうとして、気が付いたら廊下に倒れていた。


氷室さんの目線から外れて居たようで、倒れた後、驚いた声で抱き起こされた。



「どうしたっ? お前⋯⋯」


「えっ⋯⋯あぁ、くらっと、して。すみません、部屋で休みます」


部屋で寝てたら、治る。


流石に、長く歩き過ぎたし、帰って来て、緊張の糸が切れたのか、どちらにしろ。



あれ、だ。


過労と疲労だ。


ずっと、緊張の連続で、次々、無理難題が舞い込んで。


家にたどり着き、目の前に氷室さんも、居る。


私、今、正に、全部の事が。


終わった。



「動くなっ。⋯⋯じっとしてろ」


氷室さんは私を抱き上げた。


「えっ、2階までは、階段は⋯⋯こわい。危ない」


「一度も落とした事無い筈た。目を閉じてろ」


私は、胸がドキッとした。


そうだ。


何度かベッドに恐らく運んでる。


去年の夏も、チャリティーバザーの時も、三日前眠らされた時も。


氷室さん、私を抱いて連れて行ったんだ。


胸がバクバクして、私は目を閉じて氷室さんにしがみついた。


「怯えるな」


「⋯はい」


そう答えたものの、氷室さんの服を掴む手の力を私は、弱める事が出来なかった。


「着替えて、休め。制服にしわが寄るぞ」


「はい、あの⋯⋯。氷室さん、お仕事忙しいのに、ごめんなさい」


「お前に心配される程、俺は、ぼけてない」



そうか?


めっちゃ、美咲さん、困っていた筈だが?


何の強がりだ。



「お仕事、終わったらで良いんです。 溜まってますよね? 美咲さんが困ってましたよ」


「要らん心配するな。 何が言いたいか、言え。 回りくどい」


怒りおった。


まぁ、いつも通りの通常運転で、逆にホッとしてしまった。


いつもの氷室さんだ。


通常運転だ。


「私、氷室さんに、話したい。 聞いて貰えると嬉しいです。 警察……恐かったとか……」


滔々と言うと氷室さんは、盛大に顔をしかめて言った。



「お前の体調が戻ってからだ。 良いな?」


「はい」



私は、氷室さんが部屋を出て行くのを待って、制服の上着のボタンを外した。








夕方、私は昼寝から目が覚めてベッドをおりた。


時刻は18時だった。


これ以上、寝ると夜眠れなくなると思ったし、お腹も減った。



私は、リビングに行き、台所に立ったが、笑える位、食料がない。



「う~ん。 明日、買い物行かなきゃ」


冷凍庫に赤魚の冷凍を見つけて、煮魚を作った。


味の染み込みが不安だったが、兎に角、最初にそれを作って、野菜室に合った萎びかけの小松菜を湯がいてゴママヨネーズと辛子で和えた。


冷凍ネギで卵焼きを焼いて。乾燥油揚げと乾燥ワカメをお湯で戻して、味噌汁を作って、ご飯を炊いた。


煮魚がせめて少しでも味が染み込むように、リビングのソファーに座ってうとうとしていると、氷室さんがやって来た。



「お前、夕飯を作ったのか?」


「はい。ご飯が炊けるまで、まだあるので、もうこれ以上寝ると夜眠れなくなるので、睡魔と戦ってました」


氷室さんは、私の所に来た。


「仕事は、全部片付いた」


「良かった……。氷室さん、ご飯、もうすぐ出来ます」


氷室さんは、私の顔をまじまじと見て言った。


「また、前髪、切って貰ったのか?」


「えへへ、お母さんが会ったその日に切ってくれました。もう、帰っちゃいましたけど」


そう言うと、氷室さんは、ソウさんから、私の両親が帰った事を聞いたと言った。


「りりあ。お前、両親と帰っても良かったんだ。 お前が望むなら、誰が反対しても、出来うる限り、なるべく長くお前の行きたいところに、俺はそれでも……」


「えっ、嫌ですよ。 四国に帰ったら、若葉に通えないし……」


氷室さんは、私の前に膝を折って、私を抱き締めんばかりの直前だった。


でも、そうはせず私を見上げながら言った。



「通えないし……後、何だ?」



「みんなと一緒に、ここで人間として、一生を終えたい。 氷室さんにも、居て欲しい。 出来うる限りしてくれるなら、突き放すより、突き放されるより⋯⋯。私は、氷室さんにずっと傍に居て欲しい」


私の言葉に、氷室さんは悲痛な表情で言った。


「それは、俺へのお前の願いか?」


「はい」


「だったら、少し、自重しろ。お前、俺を犯罪者にするつもりか?」



私は、きょとんとしてしまった。


ん、何だって?


え、私、何か氷室さんを犯罪者に仕立てあげるような真似したか?


そんな覚えはない。


「え、私、何かしました?」


「お前、警察の取り調べで、俺の事を全く話さなかったと、菅原から聞いたが。菅原と刑事の取り調べで、理解した筈だ」


「えっ、何をです?」


「……とぼけるな。俺がお前を抱き締めるのも、キスする事も、犯罪だと説明したと、菅原は言っていた。 まさか、理解出来なかったのか? 正気か?」 


警察で、その手の説明を確かに、菅原先生にして貰ったけど。



「えっ、未成年後見人なら、良いんですよね? 違うんですか?」


「何をどうもって、良いと思った。 犯罪だ。 馬鹿か、お前は?」


「……えっ、だって、法律上、良いと思ったんです。 えっ、そりゃ、成人した人が未成年に性行為や性的行為をしたら、私の合意があっても不同意猥褻が成立するって……説明は受けましたよ。でも、未成年後見人はセーフだと思ってました」  


「な、なにを根拠に、そう思うに⋯⋯お前は至った?」


震える声の氷室さんに私は、自信を持って述べた。


「色々長ったらしい契約書、長々あれこれ書かれた書類に署名捺印したからです。 よもや、そんな事も出来ない契約だったんですか?」


「そうだ。お前の魂胆がおぞましい……」


「でも、不可抗力ですよ。氷室さん、今まで私に恋愛感情を持ったり、性的行為で私を抱き締めたり、キスしたりしてない。 したこと無いじゃないですか?」


「当たり前だ。だが、抱き締めたり、キスしてたりを 、だ。もしも、第三者が、目にしたり、知ってしまった時、俺はそれをどうやって、その第三者達に証明したら、良いんだ? 俺は犯罪者になるつもりはない。 だから、自重しろ」


ん、いや。


理屈は理解出来た。


でも、自重は分からない。



「氷室さんの立場は理解出来ました。でも、自重の下りが分かりません。具体的に、教えて下さい」


「俺の事をあまり口説くな……」


ん、口説く。


口説く?


あぁ、回りくどい話をやめろって事か。


「回りくどいを話をするな。イライラするって事ですか?」


「お前の耳はどうなっている?」



私は、すかさず横の髪を掻き分けて氷室さんに見せた。


「私の耳、変ですか?」


「……泥沼だ。気が狂う」


氷室さんはその場に項垂れてしまった。


そこで、キリ良く、ご飯の炊ける気の抜けた炊飯器のアラームに、私は氷室さんに声をかけた。


「続きは、夕飯の後にしましょう。私、あんまり常識が無いようで、警察ですんごく困ったんです。後で、常識と今後の過ごし方について引続き教えて下さい」


「頭が痛い⋯⋯」


「頭痛薬持ってますよ。お母さんが常備薬を一揃え、ここに来る時、持たせてくれたんです」


「ばか⋯⋯この頭の痛みは、精神的なモノだ。薬で治るなら、いくらでも飲むが――」


そう言うと、氷室さんは私の手を引き、やっと抱き締めて言った。



「恋愛感情は無い。俺にそんなもの、ある筈がない。  だから、こう言う事をやめたいのに。 なのに、自分を止められない。 壊れそうだ。 ⋯⋯少し、⋯⋯少しで良い。俺を、このままで⋯⋯いさせてくれ」


「どうぞ」


私には、恋愛感情があるんだけどな。


そうか、氷室さんには、無いのか。


折角抱き締めてくれたのに、残念だ、と私は思った。






氷室さんに気の済むまで、抱き締められて、私達は夕食を摂った。


「食事中に喋ってすみません。食料がこれで尽きました。明日は、ネギの餅粥です」



私の言葉に、氷室さんは、箸を持ったまま言った。


「明日、朝食の後で良いか?」


「ありがとうございます」


私が食事を続けると、今度は氷室さんから話しかけて来た。


「別に、全く喋るな⋯⋯。とは、思って無い。この前は、怒っていた。 程々なら、構わない」



そう言えば、怒ってた。


この前は⋯。


食事の後、氷室さんは、リビングのソファーで座って過ごしていた。


私が食器を片付けて、氷室さんの所に行くと、氷室さんは、私に言った。



「話しを、聞かせてくれるのか?」


「はい」



私は、氷室さんと別れて白夜の元に行き、対価の交換をした事。


白夜が最後は、篠崎さんを殺そうとした事を後悔した事。


白夜に解放されて、警察に保護されたと思っていたのに、実は篠崎さんの殺害未遂事件の重要参考人として、取り調べを受けた事。


私を担当してくれた刑事さんが、もと若葉の特別クラスの卒業生で4年前のシュウさんと猩々との一件の担当刑事で、先日のチェリーブロッサムの一件も知っていた事を話した。


「菅原を呼び出したのは、良い判断だった」


「えへへ、誉めてくれるんですね」


「あぁ、だが、それ以外、誉める所が無いのが残念だ」


氷室さんに釘を差されて、もう、苦笑いしか出なかった。


「はい⋯⋯。ごめんなさい⋯⋯氷室さん、私」


ずっと、謝りたかった。


どうしても、仕方なかったんだ。


大事にするって決めてたのに。


「それは、何に、対する謝罪だ⋯⋯今回は。もう、俺も含めて、だれがどれだけ、かずあまたの暴挙を誰か言いつらねようと、お前のもたらした結果に誰も文句はいえんだろう。よく、トモも無事に取り返して、誰一人の犠牲も出さずにお前は、最後まで我を通した。 見事だ。 文句の一つも出らん。だが、俺は、それを誉めたくはない」


氷室さんの言葉に私は、首を左右に振った。


「い、いえ。誉める誉めないの、話じゃないんです。 お願いです。 謝らせて下さい」


「謝るな」


氷室さんにどうたしなめられようと、私の気持ちは変わらない。



「いいえ、謝ります。わたし⋯⋯氷室さんのバレンタインのお返し、身代わりに使って粉砕しちゃったんです。 篠崎さんのお母さんのイノチと引き換えにしちゃいました⋯⋯大事に出来なくてごめんなさい」


私の言葉に、氷室さんは、一瞬固まって、苦笑いした。



「馬鹿な⋯⋯。これ以上無い、使い道だ。あれを作り出したテンは、勿論。あれは、間違いなく使い手のお前が底上げして起こした奇跡だ。 あぁ、これは、誉めてやれるな。 よくやった」


氷室さんの賛辞に、私は素直に喜べなかった。


だって、ぐったりして、目も見えず、意識がないと思っていたのに。


何だ、そのちゃっかり見てたと言わんばかりの称賛は、やはり、まさか。


「氷室さん、もしかして、その時、私が膝で抱いているの気付いてました?」


「⋯⋯何の事だ?」


「えっ、だって、まるでその場で見てたみたいで。ずっと、倒れてたのに。あっ、怒らないで下さい。力を首に流し込むのに、みんなの前で、膝に氷室さんの頭を乗せちゃったりして、流石に、みんなの前で口移し出来なくて、ずっといつまでも膝に乗せていて申し訳ございませんでした」


「何故、謝る?」


「えっと、今までの話しの流れからすると、私と氷室さんとの間に、恋愛感情や性的目的で触れ合ったらアウトと認識⋯⋯してます。合ってますか?」


「合っている」


「だったら、私がアウトです。 私、氷室さんに恋愛感情があるんです。 だから、私は氷室さんに自分から触れちゃ駄目なんですよね? だから、駄目だったって」


氷室さんは、両手で頭を抱えた。


「だから、口説くな⋯⋯と言っているだろう。気が狂うと⋯⋯俺の理性が破綻すると」


「えっ、くどいですか?」


「だから、違うっ。⋯⋯兎に角、お前は他所で、口が裂けても俺に恋愛感情があるなんて言うな」


「分かってます。警察で身にしみました。レンズサイドの奇想天外摩訶不思議で、私、自分の常識バグってるって気付いたんです」


「お前は、そもそも、色々⋯⋯と。もう良い。なるべくお前の傍で、出来うる限り、お前が常識を正しく身に着けられるよう心がける。それで良いか? お前の願いは」


「はい。それで、そうしていただければ、願いは満了です」



私は、今、にっこり笑えて居るだろうか?



今、沢山の問題を解決し終えて、ここで氷室さんと一緒に居られるこの結末が幸せだと、それをちゃんと伝えたかった。




「分かった。後、もう一つ、俺からお前に謝らせてくれ」



えっ、何だろう?



何も、氷室さんに謝って貰うような事に心当たりは無いのだけど⋯。



「お前が、警察を出て、家路に着く時、突然、お前の前に現れて、驚かせてすまなかった。 お前に会いたいと心で願ったら、いつの間にか、転移していた」


「えっ、あれ、氷室さんだったんですか?」


「俺に見えなかったのか? 俺は、生身だっただろう?」


「えっ、だって、お父さんがすぐ消えちゃったって⋯⋯」


「あぁ、思わず転移したから、すぐ元の場所に戻った。 菅原との話しの途中だったからな」



えっ、心で願うだけで私の前に転移できたってじゃあそもそも。



「私の前に、何時でも転移出来ちゃうって事ですか?」


「あの時だけだ。自由にお前の前に転移出来ていたら、今日まで、お前と鬼ごっこが成立している訳がない。  理屈は分からない。 あの時だけだ。 お前、スマホを返すから、ドラゴンゲートのシークレットモードを解除しろ。 もう二度と設定変更するな。 良いな?」


「分かりました」


私は、氷室さんからスマホを返して貰い、設定変更を終えた。


よく見ると、測位情報でみんなの位置情報が分かり、測位なしが自分だけになっている事に気が付いた。






史上最悪の3月も後残す事、数日で、4月からは2年生。


卒業まであと2年もあるのに、何だか、それが惜しい気がした。


たった3年しか若葉に通えないなんて、と。


ずっと、高校生でいたい。


ワタシのカラダは、りゅうに犯されて、不妊だけでなく、不老のカラダになってしまったんだ。


胸も、下腹部も、未成熟のまま。


この先、老いる事も出来ないなら。


いっそ、このまま。


一生、氷室さんに、子供扱いして欲しい。


そして、ずっと、未成年後見人で居てくれまいか?


恋愛感情が、無くても。


愛が無くても、構わない。


私が、その分、愛すから。






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