****
「──ねえ、パパ、ねえねえ、聞いてよ」
年齢は3歳手前だろうか。
白い肌に80センチほどの背丈で、つぶらな瞳に腰まで伸びた茶色の髪。
その髪をピンクの髪飾りでポニーテールにした少女が、ご機嫌ななめな顔で部屋掃除の真っ最中の父親に問いかけてくる。
少女の服装は水色のロングシャツの上に白いカーディガン、灰色のスカート。
髪飾りといい、とても3歳の子供には思えない、お洒落な服の組み合わせ。
ミーハーな親が選んだファッションセンスだろうか。
「何だい? 今忙しいんだが……」
その少女の言葉に、コードレスのハンドクリーナーで木製のテレビ台を掃除していた腕を止める父親。
白い長袖シャツと青のジーパンが隠れた、大きな緑のエプロンを着けている。
そのエプロンから、まるでアマガエルを想像させるだろう。
「あのね。わたしの友だちが、アンタのおやは、せいじかさんとか言うガリベンのカタマリの下で、えらそうにしてウザすぎるだって」
「いや、政治家は偉くないと、やっていけないよ」
「そうなの?」
「ああ、色々と考えを回さないと、世界がおかしくなる。
そのことに友達は気づいていないんじゃないかな」
「へえー、せいじかさんはすごいんだね!」
少女が好奇心に満ち溢れた顔で、父親を尊敬のまなざしで見つめる。
「そうだよ、天気を変えたり、地球を回したり、大忙しさ」
父親が両腕で、大きなドーナツのような丸いわっかを作り、左右に体を振って踊り始める。
「それ、なあに?」
「雨ごいの踊りさ。政治家は踊って、踊りまくって、お恵みの大雨を降らすからね。
えらいこっちゃ、えらいこっちゃ♪」
「おもしろぃ♪
えらいー、こーちゃー♪」
「あなた!」
そこへ背後からドスの効いた声がする。
赤の薔薇の刺繍が描かれた、ドレスのようなコーデが女王様な品格にも映る。
いつからここは、上流貴族が住む館になったのだろうか。
「また、
「いててて、タンマタンマ、ギブギブ!?」
そのまま後ろから頭をグリグリされて、あまりの痛みに退けぞる父親。
「ママ。パパをいじめないで……」
由美香がママの行為に眉をひそめる。
「由美香、これはいじめではありません。天罰です」
神なる存在的な母親が、父親への天罰(グリグリ攻撃)を強める。
「イダダダッ!? 由美香ちゃん、助けて。
保育園のお姉さんから教わらなかったか。
見ているだけでもいじめだぞ!」
「あなたは余計な事を言わずに、さっさと掃除しなさい!」
「はひー、分かりもうしたー!」
ポーンとグリグリから、父親を野(カーペット)に放す母親。
「まったくもう。
付き合って当初は、あんなとぼけた人じゃなかったのに……。
これでは老後が思いやられますわ……」
思わず、ため息が漏れる苦労人な妻。
「ユミ、愛、ラビュー♪」
「ママ、アイアイらびゅー♪」
「
由美香が真似してるでしょ、いい加減にしなさいー!!」
寝室のドアの間から、
それに反して、ヒステリックに怒鳴りちらす
****
──そう、龍牙達がケドラーのKプロジェクトの策略を無事に止めて、約4年の歳月が流れていた。
ケドラーが首相を引退して、校長へと代わりを務め、そのまま龍牙の父親の
息子の龍牙は石垣首相を影から支えて、新たに設立された、学園の教師のリーダーとなったのだ。
それから、龍牙と弓は三ヶ月の交際で、そのままスピード結婚し、一人の子宝にも恵まれた。
その娘の由美香の名前の由来は、二人の名前の
そんな孫娘は今日も何も知らず、元気に最近建てた新築の庭を駆け回っていた。
まさに犬は喜び、庭駆け回る状態だ。
****
「──弓、大変だ!?」
水色で彩られている寝室の掃除をしていた龍牙が、血相を変えてやってくる。
「何かありましたか?」
「ありありだぜ!」
龍牙が、リビングで家計簿をつけていた弓が座っている肌色のテーブルに、一通の白い手紙を置く。
「ああっ! この招待状、
すっかり忘れていました!」
弓が差出人を見て、手紙の封を開けて、中身の便せんを見る。
招待の日にちは今日をさしていた。
「龍牙さん、どうしましょう!?」
「いや、今からなら、まだ間に合うぜ」
龍牙が、鳩が鳴き声を告げる壁時計を見て呟く。
ちょうど時計の下部分が開いて、鳩が飛び出し、『クルックー♪』と鳴き始めた。
その時刻は10時きっちりだった。
「さあ、由美香ちゃん、車で出かけるぞ」
「わーい。おでかけ楽しみ♪
今日はゆうえんち、どうぶつえん?」
「うーん。
色んな人がいるから、動物園に近いかな」
「わーい。ゾウさんに会える♪」
まあ、あながち嘘は発言していない龍牙からの誘いに、ドタバタと走ってきた由美香がキャイキャイとはしゃいでいる。
三人は簡単に身支度をして、荷物を纏め、大慌てで、招待状の会場へと急いだ。
****
──それから一時間後……。
「おっ、お待たせしましたっ……」
肩でゼイゼイと大きな息をする龍牙。
「……お主、さてはワレらのことを忘れてたな」
「……い、いえ、とんでもないです」
「いえ、人間だから、飛べないんですぅ♪」
龍牙の謝罪に、悪気もなく入り込んでくる、純粋無垢な子供。
「由美香ちゃん、紛らわしいから、ママのところに行って」
「やだあー、パパといっしょがいいの」
泣き顔で駄々《だだ》をこねる、父親大好きな娘。
「かかかっ。お主はモテモテだな」
「ケドラーさん、からかわないでください。
……それよりも、お二人の大事な結婚式に遅れてすみません」
灰色のシワのないスーツに、胸元の一輪の赤い薔薇のアクセントが決まっているケドラーに再び、律儀に謝る龍牙。
「別によい。
あの愛らしい姿に癒されたわ。
ワレもあんな子がほしいの」
「あら、ケドラー、それは侮辱してるのかい?
あたいは、まだ女の子の日はあるわよ」
そこへ、ケドラーの隣で食事を
「だから、ケドラーは止めよ。
これからは夫婦になるのだから、名前で呼ばないと周りから混乱を招くぞ」
「別にいいじゃないか。
エンなんちゃらとか長すぎで意味不明だわ。ケドラーの方が言いやすいし」
彼女は高齢で定年を過ぎた年齢や、女性としての立場の都合により、校長をケドラーに譲り、忙しいゲルニカの教頭の仕事をサポートしながら、現在は気楽なただの名誉会長として、過ごしている。
今は、ちょうどこの式場も、昼食の時間帯のようだ。
「レキさんのウエディングドレス姿、凄くお綺麗ですね」
龍牙がケドラーの新婦のレキを眺めて、率直な感想を述べる。
「へえ、あの横暴な口調だった龍牙も、随分と口が上手くなったもんだね」
「はい。だてに教師をやってませんから。それに下手な言葉遣いで、生徒達に不快な思いはさせられませんから」
「ふーん。あたいが生徒かい?
ちょっと無理な設定じゃないかい?
まあ、いいわ」
そう言うとレキが、真っ赤な口紅がついた唇を指先で触り、龍牙の唇につける。
予想外の反応に固まる龍牙。
俗に言う間接キスである。
「女に対しての甘い発言には気をつけな。そんなん言ったら、妻がいない間に襲うわよ」
何に関しても食欲旺盛なレキがケラケラと笑いながら、ケドラーの元へ戻っていく。
純情な感情を弄ばれた龍牙は、心の底から真っかっかだ……。
「龍牙君?」
「はっ、はひー!?」
そこへ来た新たな来客に、すっとんきょうな雄叫びをあげる龍牙。
「ど、どうしたの?」
いつの間にか隣には、
朝顔の絵柄が冴えた青紫の着物の一瀬に、全身茶色のスーツの沖縄。
あの日以来、一瀬は女として生き、こんな風に女の子らしい服装も着るようになった。
まあ、一瀬本人が沖縄の男心にくすぐられて、意識するようになったらしいが……。
ちなみに現在はセフレな関係ではなく、二人は心が通じあえる恋人同士となっていた。
もちろん沖縄は教師の継続、一瀬も同じ道を進み、二人も学園の教師として、龍牙と一緒に頑張っている。
「ははーん。
さては、お前、果てしなくエロい妄想でもしていたか?」
「ちっ、違うわい!」
沖縄の鋭い一言に両手をブンブン振り、赤くなった顔で否定をする龍牙。
非常に分かりやすい男である……。
「まあ、何にしろ、
弓ちゃんを泣かすなよ。
結婚倦怠期で離婚とかなったら、洒落にならねえぞ」
沖縄が脅しを言いながら、龍牙の肩を軽くポンポンと叩く。
「……いいか、よく聞け。
いい女は何があっても離すんじゃねえぞ。
後から後悔してもおせーからな」
ヒソヒソと小声で耳元に忠告する沖縄。
その鋭い言葉に、龍牙の肩がビクッと震えあがった。
「ははは、まあ、これからも頑張れよ」
幾つになっても、いたずらっ子の沖縄が笑いながら、一瀬の元に戻る。
「……龍牙君と小声で何を話してたの?」
「いんや、ただの世間話さ」
「そのわりには深刻そうだったけど……?」
「……おっ、一瀬きゅん?
妬いてくれてんのか?
心配すんな。俺はホモじゃねえから」
不機嫌そうな一瀬の発言を、軽々しく受け流す沖縄。
「分かってる。筋金入りの女たらしだもんね」
そんなおちゃらけた沖縄の真意を受け取ったのか、深く追求はしない一瀬。
こうやって、この二人はのらりくらりと、変わらない日常を過ごしてきたのだろう。
もう、そんな仲だったら、結婚すればいいのに……。
「いや、よく考えろって。結婚したら女遊びできねーじゃん。
ちったあ、無い脳ミソ使えよ」
それは一理あるかも知れない。
無い脳ミソは言い過ぎだが……。
……というか、ナレーションにつっこまないでほしい……。
****
「……あの、龍牙さん。
石垣首相はアメリコのジャネーブの会議があって出席していないそうです。
あと、
弓が由美香に鳥の唐揚げを食べさせながら、龍牙に伝える。
由美香は無言で美味しそうに、料理をほおばっていた。
ハンバーグ、オムライス、さらにこの鳥の唐揚げ。
なるほど、騒がしいチビッ子を黙らす、子供達が好きなおかずだらけな事はある。
どうやら、ここの披露宴はバイキング料理のようだ。
みんな、立食して好きな食材を取りながら、和やかに会話をしていた。
ちょっと料理を取るときにヒールなどの靴や車椅子では移動しにくいが、値段も安くてリーズナブルで、様々な人達とコミュニケーションができる。
かつての日本を纏めていたケドラーらしい考え方だ。
「そうか、久しぶりに父さんに会えると思っていたのに、相変わらず大変だな。
しかし、北開教師の旅はいきなりだな」
「……何でも自分を見つめ直したいとか」
「そうか、あれから色々あったもんな…」
◇◆◇◆
……ケドラーの計画を阻止したあの日。
東京大学院跡の核シェルターから、ぞろぞろと出てくる女性達。
その数は30を超え、とてもじゃないが、ヘリで日本武道館に運ぶのは無理だった。
何人かに分けてこまめに移動する手段もあったが、燃料が馬鹿にならないし、唯一、ヘリを操縦できる、石垣の体の負担も心配であった……。
「……ちょっと待つ、まだ回想に入るな」
そこへ、横槍を入れるようにクールな言葉のヤジが飛んでくる。
龍牙と目があったゲルニカ教頭は、口に大量のおかずを含み、ほっぺたを膨らませていた。
「もぐもぐ、ハンバーグ、合格」
「もぐもぐ、ナポリタンも合格」
「もぐもぐ、魚の南蛮漬けも合格」
さっきから合格と言いながら、目の前の料理を食べているだけである。
「やれやれ、ここは料理番組じゃないからな。評論なら他でやってくれ」
◇◆◇◆
──ケドラーの計画を阻止したあの日。
「……ちょっと待つ」
「だから何なんだよ。話が進まないじゃんか」
「一言、言わせて」
「何だよ」
「……レキに華やかな未来をくれてありがとう」
「その言葉は俺じゃなくて、ケドラーさんに言うべきじゃないのか?」
龍牙のその問いに頭を震わせ、
『あれは怖い……』
とゲルニカは、蚊の鳴くような一言で返答する。
まあ、分からなくもない。
二人の身長差もあるが、ケドラーには自信に満ちた覇気がある。
内気で弱々しいゲルニカの性格では、どう猛な獣に立ち向かうものであろう。
現にケドラーにはドラゴンの血が流れている。
だから、羽をむしられた鳥のように怖いのも無理はない。
しかも、これからゲルニカの父親になると考えただけでも、体に悪寒が走るのだろう。
「まあ、頑張れよ」
龍牙が、