「――おい、リリス。起きろ。起きろってば」
「んっ……」
さわさわと頬を撫でられ、リリスは意識を取り戻していた。
頭上に生い茂る、枝の隙間から差し込む日差しに目をショボショボとさせる。
それから、リリスは自分が大きな木の根元に身を横たえている自分に気がついた。かたわらには、身を丸めたタックがスヤスヤ安らかな寝息を立てている。
そして、目の前にあったのは、今にも泣き出しそうなアブンの顔。
「おはよう……」
身体を起こしながら、取り敢えず、リリスはそう挨拶をする。
他にも言うべきことは沢山ある様な気がしたが――、頭の中がゴチャゴチャしていて、思考が一向にまとまらなかった。
「おはよう、じゃねえよ」
目を剥いて、アブンが言った。
「ビックリさせやがって。何で、お前まで迷子になってるんだよ?」
「それは――」
ふと、リリスは口をつぐむ。
朝の光に照らし出された森は、平穏そのものだった。
地面にはただ草が生い茂り、落ち葉が敷き詰められているだけだった。頭上の木々から聞こえてくるのは、可愛らしい小鳥の囀り。
あの奇怪極る、怪物どもの死骸はどこにも見当たらない。
そして、銀のステッキを携えた、仮面の男の姿も。
夢でも見ていたのかな?
思えば、昨夜の出来事は何もかもが現実離れしている……。
再び、ボーっとしてきた頭をリリスは振っていた。
「ま、まあ、無事ならいいけどよ……」
黙っているリリスを気遣うようにアブンが口調を和らげる。
「あ、そうだ。一つ、いい知らせがあるぜ」
「……いい知らせ?」
「うん。道しるべを見つけたんだ。俺達が野営をしていた場所のすぐ近くにな。多分、街道に戻れる。……暗くて気がつかなかったんだよな」
全く嫌になるよな、と自嘲気味に笑うアブン。
そんな兄貴分に相槌を返しながら、リリスは落ち着きなく視線をさ迷わせる。
と、木の根元に何か、光るものが落ちている。
そっと手を伸ばし、リリスは拾い上げていた。
それは、連ねた貝殻に紐を通した、首飾りだった。
貝殻には、それぞれ、色とりどりの塗料が塗られており、陽の光を反射し美しく輝いていた。専門の職人の手によるものとは思えないが、かなり丹念に拵えられた者であるということは、リリスにも容易に想像できた。
これって……、あの人の?
リリスは仮面の男の立ち振る舞いを思い出していた。
ひょっとしたら、何かの拍子で落としてしまったのかもしれない。
しかし、ステッキ一本で怪物の群れを皆殺しにする男の持ち物にしては、可愛らしすぎると思えた。
「大体、このチビが悪いんだよ。……起きろ、コラ」
そう言って、アブンはタックの尻を爪先で突く。
「お前のせいで、みんな、大迷惑だったんだぞ? わかってんのか?」
「うるさいなぁ」
目をこすりながら、唇を尖らせるタック。
「アブンなんか、毎朝、二日酔いのくせに」
「アブン兄さん、だろ!! アブン兄さん!! 呼び捨てにすんな!!」
「やだ」
ソッポを向くタックと地団太を踏んで喚きだすアブン。
うんざりした視線を二人に送りながら、リリスは立ち上がった。
アブンの言った通り、村へと続く街道はすぐに見つかった。揺れながら進む幌馬車の中で次第に遠ざかって行く森を見つめながらリリスは肩をすくめた。
何だか拍子抜けだね。
気が狂わんばかりの恐怖に突き動かされ、森の中を駆けずり回った昨夜の出来事が、一夜限りの悪夢だったような気がしてくる。
奇妙なことに――、タックは自分が迷子になったことも、人の顔を持つ怪物どものことも、一切、覚えていなかった。
ジョパンニや一座の芸人達は、無事に帰って来た子ども達を疲れ切った笑顔と小言で応じてくれた。
しかし、リリス達を襲った怪異に気がついた様子はなかった。
これ以上、アレコレ考えるのはやめておこう。
馬車に揺られながら、リリスは思った。
あたしって学ないし。
昨夜の出来事に説明をつけることはできそうにない。
だけど、あの仮面の男――、ヴァロフェスは決して幻想ではない。
スカートにしまった、貝殻の首飾りがその証拠だ。
あの異様な井出達の男は、リリスとタックを救った後、一体、どこに消えたのだろうか?そう言えば、あたしったら、あの人にお礼の一言もいってないんだよね……。
「どうしたんだい? リリス。ため息なんかついて。気分でも悪いのかい?」
幌の中から心配そうに声を掛けて来たのはチコリ婆さんだった。
膝の上には、安心しきったタックの寝顔が乗せられている。
「一晩中、夜風に曝されてたんだろ? 女の子は身体を冷やしちゃいけないんだよ? タックを守ってくれたのは有難いけど……」
「大丈夫だよ、婆ちゃん。ちょっと考えごとをしていただけ」
苦笑し、リリスはチコリ婆さんに答えていた。
と、
「おい、みんな」
手綱を握っていたジョパンニが笑顔で振り返り、言った。
「見てごらん。村が――、翠玉が丘が見えて来たぞ」