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「――ねぇ、リリス? ちゃんと見ていてよ?」

「ん。いいよ。……やってみな」

 うん、と頷き、緊張の面持ちで色鮮やかな三つのボールを手に取るタック。

 二、三回、深呼吸し――、天高く、ボールを放り投げる。

 しかし、

「あ、ダメだ」

 放り投げられたボールは、一つとして受け止められることなく、ポチャン、と悲しげな音を立てて川面に浮かんだ。

「おかしいなぁ。さっきは上手くいったのに……」

「おかしくないよ。いきなり、三つから始めるなんて欲張りすぎなの」

 水辺で芸人達の衣装をジャブジャブ選択しながら、リリスは苦笑した。

「いつも、おやっさんが言ってるでしょ? 基本の訓練をしっかりやらなきゃ、ちゃんとした芸は身につかないんだってば」

「でも、アブンは『生まれた時から俺は、槍の達人だった』って……」

「あの人の言うことは、話半分でいいの」

 リリスは思わず、片頬が強張るのを感じた。

 ホント、アブン兄ィっていい加減なことばかり言うんだから……。

「それはそうと――」

 水に流されてゆくボールを目で追いながら、ポツリとタックが言った。

「おやっさん達、今日も遅くまで帰って来ないのかな?」

「うーん。どうだろうね……」

表情を曇らせながら、リリスは洗濯桶を抱え立ち上がった。

 この村――、翆玉が丘に到着してから今日で三日目になる。その間、一座は、村の真ん中を流れる川のほとりで野営生活を送っていた。

 しかし、リリスは未だ、その芸を村人達に披露していない。

 これと言ってすることもなく、タックやチコリ婆さんとともに退屈な時間をボンヤリと過ごしていた。

「――今、この村の人々は、娯楽を楽しむような心境にはとてもなれないのです」

 そう説明してくれたのは、この村の領主夫人、エスメリア・ルーと言う女性だった。

 裂傷を負ったリリスの額に軟膏を貼りつけながら、ルー夫人は続けた。

「こんな話をお聞かせするのは、気が引けるのですが……。実は一年ほど前から、村の子ども達が次々に姿を消しているのです。先日、いなくなった子を合わせ、十人もの子ども達が」

ルー夫人曰く――、それは何の前触れもなく、突然、始まった。  ある男の子は、村外れにある共同墓地の付近で友達と探検ごっこをしている最中に忽然と姿を消した。

 また、別の子は庭から逃げ出した鶏を追いかけて、そのまま、森に消えてしまった。鶏は翌日、無惨にも引き千切られた姿で、その家の屋根の上に投げ捨てられていた。

 言葉もロクにしゃべれず、歩くことすらままならない赤子は、母親が風で吹き飛んだ洗濯物を拾い集める間に、揺り籠から跡形もなく消え去っていた。

 そして、最近、いなくなった女の子は、夕食の際、両親が目を閉じて、その日の糧を与えてもらったことを感謝している間に声もなく消えた。彼女のテーブルには、一口も手をつけていないスープの皿が残されていた。

子ども達は、全く違う場所、時間、状況の中で姿を消していた。

 唯一、共通しているのは村人たちが連日、彼らの行方を血眼になって捜索しているにも関わらず、彼らの死体はおろか、靴一つ見つかっていないということだけだ。

 この不気味な出来事を、村人達は、数年前、悪さを働き、息子ともども森に追い払われた女占い師が、自分達を逆恨みし、悪魔に魂を売り払って魔女になったのでは、と噂しあった。

 そして、次は自分の子供がいなくなるのでは、と怯えた毎日を送っているという。

この話を聞かされた時、リリスは鳥肌が立つのを覚えた。

 魔女やお化けなどは、大人が言うことを聞かない子どもを躾けるための方便だと思っていた。

 あの森で奇怪な一夜を明かすまでは。

「分かりました、奥様。村の皆さんは大変な心労を重ねておられたのですな」

 夫人の話を聞き終わり、涙ぐみながら言ったのはジョパンニだった。

「しかし、そうと聞けば何もしないわけにはいきませんな」

「えっ? でも、あなた方は……」

「人様を、特に子ども達を喜ばせ、楽しませることが我々、芸人の使命です。どうか、子ども達の捜索隊に我々を加えてください」

「ちょ、ちょっと、おやっさん」

 アブンが露骨に嫌そうな表情を浮かべたが、全く相手にしてもらえなかった。

 リリスが知る限り、男気を発揮した時、ジョパンニほど頑固な男は世界中、どこを探してもいなかった。

「――リリス? リリスってば」

「うん?」

クイクイ、とタックに袖を引っ張られ、リリスはハッと我に帰る。

「あそこに――、お客さんが来てるよ」

 タックが指を刺したのは、下男風の中年男だった。

 帽子の鍔を少し下げて挨拶し、ルー夫人からの使いで来た、と男は言った。

「……これ、あんたらに奥様から贈り物。受け取っておくれな」

 そう言って男は、ずっしりと重い、革の袋をリリスに手渡す。

 何だろうと覗いてみると、袋の中には金貨がぎっしりとつまっていた。

「ちょッ、ちょっと待って!!」

 見慣れぬ大金にリリスは慌てた。

「ねぇ、おじさん。これって何?」

「何って……、金貨だけど?」

「それは見ればわかるけど、一体、何のお金なの?」

「そりゃ、あんたらが村のガキどもを探す手伝いしてくれとる礼だよ」

「で、でも――、困るよ。これは」

眉間にしわを寄せながら、リリスは言った。

「うちのおやっさん、ああ見えて頑固でね。芸の後でしか、人様からお金は頂かない主義なの。それもこんな大金、受け取ったりしたらあたしが怒られちゃう」

 恐らくグレコーとザブもそうだろう。

 お世辞にも上品とは言えない兄貴分達だが、芸人としてのプライドは高い。

 アブンは……、まあ、酒さえ飲めれば文句はないのだろう。

「そう言われてもね、お嬢ちゃん」

 困ったように男は鼻の頭をかく。

「俺だって、仕事だからね。受け取ってもらわない訳にはいかんのよ」

「わかったよ、おじさん」

 肩をすくめ、リリスは頷いていた。

「とりあえず、今、貰う。で、すぐ奥様に返しにいく。……それなら問題ないよね?」

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