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第19話 言うから、ちゃんと聞いて

『好きだからだよ』


 この言葉が何度も頭の中で繰り返される。陽翔の言う「好き」とは恋愛感情ではないはずだ。ペットとかに向けられるのと同じような「好き」のはず……。だって、自分から人を好きになったことがないって言ってたから。


 午後からの授業はその言葉が頭の中を駆け巡り、全く身が入らなかった。教授の声も遠くからかすかに聞こえてくるような気がするだけで、ノートを取ることすら忘れていた。


 それにしても、自分の思ったことをさらっと言える陽翔はすごいと感心する。俺は言葉にするのが苦手だし、相手がどのように受け取るのだろうと思うと怖くてなかなか口に出すことができない。


 今日の授業が全て終わり、夕陽に染まる大学の様子をスケッチしようとしたが、なかなか手が動かない。鉛筆を握る指先が震え、頭の中には陽翔の笑顔や言葉が次々と浮かんでくる。


 ――今日は陽翔さんのことで頭がいっぱいで、スケッチどころじゃないな。


 パタンとスケッチブックを閉じて、家に帰ることにした。


 大学の裏門から出た住宅街の一本道を自宅マンションへ向けて歩き出した。入学してからこのルートで帰るのが一番近いと言うことについ最近気づいたのだ。


 この時間は帰宅を急ぐ学生が多く通る。春の夕暮れは、まだ少し風が冷たい。ぶるっと身震いをして家へと急いだ。


「叶翔くん!」


 後ろから声をかけられて振り向くと、そこには陽翔が立っていた。夕陽に照らされた彼の姿は、まるで舞台上のスポットライトを浴びているかのようだった。


「陽翔さん?」


 なんでここにいるのだろう? 陽翔の帰り道はこちらなのだろうか。


「たまたま、見かけたからさ。追いかけてきちゃった」


 屈託のない笑顔を見せられると、思わず胸がキュッと締め付けられる。


「陽翔さんもこっちなの?」


「えーっと……、う……うん。多分?」


 目を泳がせている陽翔を見る限り、きっと違うのだろうな。わざわざ俺を探して来たんだ。その考えに、温かな感情が胸に広がる。まぁ、話に乗っかっておこう。


「一緒に帰る?」


「うんっ!」


 子供のような無邪気な笑顔で頷く陽翔を横目に見て、俺はクスッと笑ってしまった。


「あ、今、笑ったでしょ? 絶対笑った!」


 そう言いながら俺の方を穴が開くほどガン見してくる。あまりにもしつこく見てくるので、恥ずかしくなって目を逸らした。


「あー、もうっ! 今の顔、写真に撮りたかったー! 保存して待ち受けにしたいぐらいだった」


 まったく……。こんなことを平気で言うんだから困ったもんだ。そう言われると、もう笑えないじゃん。


 陽翔といると心がふんわりと柔らかくなる。だから、多分……止められないんだ。自分の気持ちが。本当は止めないといけないと分かっているのに。


 いまだに目を合わせることはできないが、気が緩んでいるのが自分でも分かる。


「陽翔さん、大げさ。写真なんか撮らなくても、明日も一緒に昼ごはん食べるんだろ?」


「だってさー、叶翔くんの笑顔、めちゃくちゃ可愛いんだもん」


 えへへと嬉しそうに飾らない笑顔を向けてくる。こんな子供っぽく笑うこの人が、本当に、あの、人気バンドのボーカルなのだろうかと疑いたくなる。


 そして、毎度毎度、ストレートに自分の気持ちをぶつけてくる陽翔の言葉に思わず閉口した。


「そ、そんなことないよ……。俺なんて……」


 口元に手をやり、俯いた。頬が熱っているのがバレないように話を逸らしてしまおう。


「あ、あのさ……。俺、あんまり音楽には詳しくないんだけど、陽翔さんのバンドってどんな音楽やってるの?」


 ゆっくりとした歩調で歩きながら何気ないそぶりで聞いてみる。俺たちの周りには穏やかな時間が流れているようだった。行き交う人も少なく、夕暮れ時の静けさが二人を包んでいる。


「そうだなぁ。強いて言えばロックになるかな? あ、そんなハードな感じじゃなくて、ポップス寄りというか……」


 顎に手をやってうーんと唸りながら真摯に答えてくれた。その姿はまるで音楽の授業の先生のようだ。


「俺、陽翔さんたちのバンドの曲聴いたことないから、今度聴いてみたいな……」


「そっかぁ。最近ライブやってないからな……。直近だと 春フェスでライブやるから、必ず観にきて!」


 メジャーデビュー目前という噂だから、きっと観客はものすごい数が来るんだろうな。有名人の横にいる自分を想像して、少し緊張する。


「……うん。観に行く」


 二人で肩を並べて人気のない住宅街を歩いていると、陽翔が急に立ち止まり俺を見つめてきた。


 夕暮れの陽が二人の影を長く伸ばしていた。ゆっくりとした風が吹き抜け、俺の髪の毛をサラサラと揺らした。


「あのさ、叶翔くん……」


 陽翔がゴクリと唾を飲み込んだのが分かった。喉仏が上下に動く。彼の声は少し震えていて、いつもの自信に満ちた様子とは違った。


「俺……、叶翔くんのことが好き……なんだ」


「……っ!」


 陽翔の瞳は真っ直ぐに俺を射抜いていた。俺は目を合わせることができないが、それが本気であることが分かる。瞳の奥に熱い光がゆらゆらとゆらめいているのが感じられた。茶化しているわけでもなく、冗談で言っているのでもなく、本気だった。


 ――何か言わなきゃいけないのに、言葉が出てこない……。


 頭の中が真っ白になり、喉から声を絞り出すことができない。


「俺、君のこと……ずっと前から気になってた。入学式のあの日から……。叶翔くんの美しい目に釘付けになったんだ」


 そういえば、入学式の時、俺を見て固まっていたのを思い出した。あれで、次の日から俺に付き纏っていたのか……。


「でも、今は、好きだって、はっきり言える」


 躊躇いのない告白に胸がギュッと締め付けられる。鼓動が早まり、耳の奥でドクドクと血液が流れる音が聞こえた。


  --ダメだ。こんなこといわれたら、勘違いしたくなる……。


 陽翔の"好き"という言葉は、きっと、間違い……の、はず……。


「叶翔くんが目を逸らすときも、笑わないときも、俺は好きだよ」


 熱い眼差しを向けられて俺の胸は早鐘を打った。足がすくみ、その場から動けなくなる。


 --そ、そんなこと言われたら、信じたくなるじゃないか……。信じたら、ダメなのに……。


 信じたいという気持ちと信じてはいけないという思いが入り混じって、頭の中がパニック状態になった。


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