目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第19話 手がかり

花音はナポリタンを、ぼくはカレーピラフを平らげた。途中、花音が「一口ちょうだい」と、ぼくのカレーピラフをフォークで上手にすくって食べた。「わたしのも食べる?」と花音が言ったけど、ぼくはスプーンでナポリタンをすくえそうにない。「いや、いいよ」とぼくは断った。

食事を終えコーヒーを飲んだ。そう言えば、二人でコーヒーを飲むなんて、初めてのことだ。子供のころは、決まってぼくはコーラ、花音はアップルジュースを飲んでいた。誕生日会のあの日も、ぼくの父親はそれを知っていて、ペットボトルのコーラとアップルジュースを用意してくれていたっけ。


「これから優一のお母さんに会いにいくってのに、こんな満腹で満足してていいものなのかな」


花音がポツリとつぶやいた。


「今から話そうとすることって、きっと優一のお母さんにとっては辛いことだよね。優一の死体を探しにきたなんて、言えないよ」


ぼくも同感だった。何か別のアプローチを考えるべきなのだろうけど、全く思いつかない。


「でも、訊くしかないよね、何があったのか。だって優一が覚えてないって言うんだからさ」

「嘘ついても仕方ないしね」

「うん」


ぼくたちはしばらく話し合った。まずは挨拶をしよう。菓子折りも持っていこう。元気かどうか、確かめてから話をしよう。ぼくたちは当たり前のことを何度も確かめ合った。

ぼくたちが、話し終えたのを見計らってか、マスターがぼくたちに声をかけてきた。


「さっきのことだけど」

「はい」


ぼくは背筋を伸ばした。


「俺は中務さんの同級生でね、この店にも実は何度か来たことがあるんだよ。でもねえ、ある日元ダンナの、ほら、優一君のお父さんがこの街に来てね、それから間も無く、中務さんは逃げるようにこの街から出ていったんだ」


ぼくたちの知っている住所は役に立たないじゃないか。ぼくは愕然とした。


「でもなんで、そこまで会いたいのかねえ?」


花音が真剣な顔つきになる。強い目で、マスターを見ながらこう言った。


「わたしたち、優一君の死体を探してるんです」


ぼくは焦った。止めようと思ったけど、花音は真剣な眼差しで続けた。


「優一君は、彷徨ったままじゃかわいそうだと思いませんか? 生きてるって信じるだけじゃ、虚しくないですか? わたしは友だちとして、できることをしてあげたいです。もちろん、優一君のお母さんを傷つけるとは思います。でもちゃんと配慮しますから、知っていることがあれば、教えていただきたいんです」


マスターは顎ひげを触りながら、思考していた。そしておもむろに口を開いた。


「同級生という巡り合わせは不思議なもんだよなあ。たまたま同じ年に生まれ、たまたま近くに住んでいる、それだけのことなのになあ。でも、その巡り合わせを、どう受け止めるか、どう活かしていくかは、自分次第なんだよなあ」


ぼくはコップの底に残ったコーヒーをすすった。ソーサーにコップを置き、話に加わった。


「あの、ぼくは時計が読めないんです」


マスターが不思議そうな顔をする。


「だけどその代わり、時間の狭間に行くことができるんです」

「時間の狭間?」

「信じなくてもいいです。ただぼくは、今どこにもいない優一と、言葉を交わせる。その姿を見ることができる。それって、本当に良いことなんでしょうか」

「恵斗……」


心配そうに花音がぼくを見る視線を感じる。ぼく自身も、口をついて出た自分の言葉に驚いていた。ぼくは優一と会えることを、本当は良いことだと思っていない。その本心に、自ら気付いてしまったのだ。


「死体を見つけてほしい。そう言ったんです、優一が」


マスターはますます不思議そうな顔をした。そしてしばらく考え、


「ちょっと待ってろ」


とキッチンへと戻った。


「そんなふうに思ってたんだね、恵斗」

「会えるのは嬉しいけど、本当の幸せじゃないよそれって」

「そうだよね……」


ぼくたちは、しばし沈黙する。どこにあるのか、時計の針の音が聞こえるような気がした。それはぼくの鼓動だったかもしれない。


しばらくしてマスターが紙切れを持って戻ってきた。


「新しい住所だ」

「え?」


花音とぼくは目を目合わせた。


「きみたちの話を鵜呑みにはできない。でも、嘘をついているようにも思えない。どういう結果になるか、俺にはわからないが、やろうとしてることは理解できたよ」


マスターも、同じなのだろうか。同級生という巡り合わせに翻弄されているのだろうか。


「彼女は真面目な子だったよ。それこそ、学校の廊下は絶対に走らないような、まあ、ちょっとお堅いところのある子だったなあ。それがどうだ。この街に戻ってきてからの彼女と言ったら、それは目も当てられないほど荒んでいたよ。子供もいるってのに夜遅くまで飲み歩いてねえ。子供のことを考えると、なんとかしてやりたいと思ったもんだよ。でも俺には何もできなかった。罪滅ぼしかな、これは」


マスターの目が、さっきよりも潤んで見えた。


「旧姓は早川。今は隣町にいるよ」

「ありがとうございます」


花音とぼくの声が重なった。ぼくは紙切れを受け取ろうと手を伸ばすと、マスターはそれをすっと引っ込めた。


「ただし、ただしだ。この住所、他の誰にも教えるな。逃げるようにこの街を出たのには訳があるんだろうからな。特に、元ダンナには絶対に知られないようにしてくれよ。いいな?」

「はい」


また花音とぼくの声が重なった。ぼくは紙切れを受け取った。鉛筆で書かれた住所は、太い字で正直読みにくいほど汚かった。でも、手がかりがつかめた。まずは一歩前進だと思った。


ぼくたちは、何度も何度もマスターに頭を下げ、店を出た。


潮の香りが漂っていた。花音はまたキャラメルの箱を出し、ぼくにも一粒、キャラメルをくれた。潮の香りとキャラメルの甘い香りが、なんともミスマッチだった。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?