花音はナポリタンを、ぼくはカレーピラフを平らげた。途中、花音が「一口ちょうだい」と、ぼくのカレーピラフをフォークで上手にすくって食べた。「わたしのも食べる?」と花音が言ったけど、ぼくはスプーンでナポリタンをすくえそうにない。「いや、いいよ」とぼくは断った。
食事を終えコーヒーを飲んだ。そう言えば、二人でコーヒーを飲むなんて、初めてのことだ。子供のころは、決まってぼくはコーラ、花音はアップルジュースを飲んでいた。誕生日会のあの日も、ぼくの父親はそれを知っていて、ペットボトルのコーラとアップルジュースを用意してくれていたっけ。
「これから優一のお母さんに会いにいくってのに、こんな満腹で満足してていいものなのかな」
花音がポツリとつぶやいた。
「今から話そうとすることって、きっと優一のお母さんにとっては辛いことだよね。優一の死体を探しにきたなんて、言えないよ」
ぼくも同感だった。何か別のアプローチを考えるべきなのだろうけど、全く思いつかない。
「でも、訊くしかないよね、何があったのか。だって優一が覚えてないって言うんだからさ」
「嘘ついても仕方ないしね」
「うん」
ぼくたちはしばらく話し合った。まずは挨拶をしよう。菓子折りも持っていこう。元気かどうか、確かめてから話をしよう。ぼくたちは当たり前のことを何度も確かめ合った。
ぼくたちが、話し終えたのを見計らってか、マスターがぼくたちに声をかけてきた。
「さっきのことだけど」
「はい」
ぼくは背筋を伸ばした。
「俺は中務さんの同級生でね、この店にも実は何度か来たことがあるんだよ。でもねえ、ある日元ダンナの、ほら、優一君のお父さんがこの街に来てね、それから間も無く、中務さんは逃げるようにこの街から出ていったんだ」
ぼくたちの知っている住所は役に立たないじゃないか。ぼくは愕然とした。
「でもなんで、そこまで会いたいのかねえ?」
花音が真剣な顔つきになる。強い目で、マスターを見ながらこう言った。
「わたしたち、優一君の死体を探してるんです」
ぼくは焦った。止めようと思ったけど、花音は真剣な眼差しで続けた。
「優一君は、彷徨ったままじゃかわいそうだと思いませんか? 生きてるって信じるだけじゃ、虚しくないですか? わたしは友だちとして、できることをしてあげたいです。もちろん、優一君のお母さんを傷つけるとは思います。でもちゃんと配慮しますから、知っていることがあれば、教えていただきたいんです」
マスターは顎ひげを触りながら、思考していた。そしておもむろに口を開いた。
「同級生という巡り合わせは不思議なもんだよなあ。たまたま同じ年に生まれ、たまたま近くに住んでいる、それだけのことなのになあ。でも、その巡り合わせを、どう受け止めるか、どう活かしていくかは、自分次第なんだよなあ」
ぼくはコップの底に残ったコーヒーをすすった。ソーサーにコップを置き、話に加わった。
「あの、ぼくは時計が読めないんです」
マスターが不思議そうな顔をする。
「だけどその代わり、時間の狭間に行くことができるんです」
「時間の狭間?」
「信じなくてもいいです。ただぼくは、今どこにもいない優一と、言葉を交わせる。その姿を見ることができる。それって、本当に良いことなんでしょうか」
「恵斗……」
心配そうに花音がぼくを見る視線を感じる。ぼく自身も、口をついて出た自分の言葉に驚いていた。ぼくは優一と会えることを、本当は良いことだと思っていない。その本心に、自ら気付いてしまったのだ。
「死体を見つけてほしい。そう言ったんです、優一が」
マスターはますます不思議そうな顔をした。そしてしばらく考え、
「ちょっと待ってろ」
とキッチンへと戻った。
「そんなふうに思ってたんだね、恵斗」
「会えるのは嬉しいけど、本当の幸せじゃないよそれって」
「そうだよね……」
ぼくたちは、しばし沈黙する。どこにあるのか、時計の針の音が聞こえるような気がした。それはぼくの鼓動だったかもしれない。
しばらくしてマスターが紙切れを持って戻ってきた。
「新しい住所だ」
「え?」
花音とぼくは目を目合わせた。
「きみたちの話を鵜呑みにはできない。でも、嘘をついているようにも思えない。どういう結果になるか、俺にはわからないが、やろうとしてることは理解できたよ」
マスターも、同じなのだろうか。同級生という巡り合わせに翻弄されているのだろうか。
「彼女は真面目な子だったよ。それこそ、学校の廊下は絶対に走らないような、まあ、ちょっとお堅いところのある子だったなあ。それがどうだ。この街に戻ってきてからの彼女と言ったら、それは目も当てられないほど荒んでいたよ。子供もいるってのに夜遅くまで飲み歩いてねえ。子供のことを考えると、なんとかしてやりたいと思ったもんだよ。でも俺には何もできなかった。罪滅ぼしかな、これは」
マスターの目が、さっきよりも潤んで見えた。
「旧姓は早川。今は隣町にいるよ」
「ありがとうございます」
花音とぼくの声が重なった。ぼくは紙切れを受け取ろうと手を伸ばすと、マスターはそれをすっと引っ込めた。
「ただし、ただしだ。この住所、他の誰にも教えるな。逃げるようにこの街を出たのには訳があるんだろうからな。特に、元ダンナには絶対に知られないようにしてくれよ。いいな?」
「はい」
また花音とぼくの声が重なった。ぼくは紙切れを受け取った。鉛筆で書かれた住所は、太い字で正直読みにくいほど汚かった。でも、手がかりがつかめた。まずは一歩前進だと思った。
ぼくたちは、何度も何度もマスターに頭を下げ、店を出た。
潮の香りが漂っていた。花音はまたキャラメルの箱を出し、ぼくにも一粒、キャラメルをくれた。潮の香りとキャラメルの甘い香りが、なんともミスマッチだった。