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第20話 その人

隣町にいる優一の母親を訪ねるため、花音とぼくは早速電車に乗り込んだ。午後1時、電車内は空いていた。ぼくたちは座席に腰掛けた。

三つ目の駅で、ぼくたちは電車を降りた。海から少し離れたその街は、どこか寂しい雰囲気が漂っていた。さっきと違い、駅の周りに商店街など見当たらない。不動産屋がポツリと一件あるだけで、あとは古い家がまばらに建っているだけのところだった。ぼくたちは地図アプリでマスターから教えてもらった場所へと向かった。その途中、小さな公園があり、小学生の子どもたちが野球をしていた。


「そうだ」


花音が足を止めた。


「太一郎ってさ、まだ野球やってるのかな」

「どうだろう」

「もしやってるならさ、大学の野球部訪ねたら会えるかもしれないよね。わ、いいこと思いついちゃった!」


花音の顔がパッと明るくなった。


──太一郎。


ぼくたちとよく遊んでいた友達の一人だ。野球少年で活発で、なぜぼくたちと友だちになったのか訊いても、「ただそこにいたから」としか答えてくれなかったぼくとつな奴。でもその答えはあたたかく、優一とぼくの心に刺さったのだ。


「そうか。でもどの大学かわからないよね」

「試合に出てると思うんだ。だからメンバー表を見つけられたら、すぐわかると思う。太一郎はレギュラー顔だもん」


(レギュラー顔って……)


僕はツッコミたくなるのを、なんとか抑えた。


「太一郎と連絡がつけば、正哉とも連絡がつくと思うんだよね」

「そうだよね」


確かにそうだ。でも、二人と会って今更何を話せばいいのか。そんな疑問がふと頭に浮かんだ。花音はそんなこと気にも留めない様子で、「そうだよそうだよ」と繰り返した。


優一の母親が住んでいるであろうアパートは、公園から十分くらいのところにあった。色が煤けたコンクリートの壁が、不気味に思えた。


「行くよ、恵斗」


すっかりぼくは、主導権を花音に握られている。でも子供の頃からそうだった。ぼくはその方が結局のところ、居心地が良いのだ。


アパートの階段を上り、二階へつく。206号室。ぼくたちは部屋の前で足を止めた。小さなチャイムがついている。ぼくらはためらいながらも、勇気を出してチャイムを押した。

返事がない。二度、三度とチャイムを押した。何度目かのチャイムを鳴らそうと、ぼくが指を伸ばしたところで、水色のドアがガチャリと開いた。中から、優一の母親らしき人が顔を見せた。


「何回押すんだよ! こっちは寝てるってのにさ!」


しゃがれた声と、ボサボサな髪。かつての姿とは似ても似つかない、みすぼらしい服装。やれやれのTシャツが、全てを物語っていた。


「は、早川さんですか?」

「だったらなんだよ」

「あの、ぼくは、岸原恵斗です」

「あ、わたしは、遊川花音です。覚えていらっしゃいますか?」


その人は、僕たちの顔を睨みつける。しばらくしてその人は、目を伏せて、こう言った。


「いつか来ると思ってたよ」


その言葉を好意的に受け止めて良いのだろうか。わからなかった。だがその人は、ぼくたちをすぐ、家の中へと招き入れた。


家の中は雑然としていた。めくり忘れたカレンダーが、三月で止まっている。入ってすぐの居間には、こたつがあり、シミのついたカバーがかけられている。おそらく長い間洗ってないのではないか。

ぼくたちはダイニングテーブルへと案内され、座った。


「これしかないけど」


と、ぼくたちの目の前に、その人は缶ビールを置いた。ぼくたちが戸惑っていると、カーッと笑い「酒の飲める年だろう」と、日本酒の一升瓶までテーブルの上にドンと置いた。


「で、何を訊きたいんだい?」


明らかに酔っ払ったその人は、優一のお母さんの面影が一つもない。でも、どこか淋しげな目が、母親だと語っている。


「あの、優一君がいなくなったあの日のことを訊きたいんです」

「ふーん。それでどうしようって言うんだい?」

「し、死体を見つけてあげたい。いや、見つけたいんです」


その人は、ビールを開け、ぐいと飲んだ。


「優一ねえ。いたねえそんな子。あたしの息子だねえ」

「ええ」

「あの日のことは忘れるもんか。あたしは誕生日会なんかには行くなと言ったのに、聞きもせず、出かけていったんだよ。で、消えた。おしまい」

「いやでも、家の前までは送ったんです。ぼくの父が」

「わたしもいました。恵斗とわたしも」

「ああ、そうだったね。ああ、帰ってきたね。でもアイツがどこかへやったんだよ」

「アイツ?」

「アイツ。憎き男」


そう言うと、またぐいとビールを飲んだ。「憎き男」優一の父親のことだろうとぼくは思った。


「アイツ、ひどく落ち込んで帰ってきてねえ、どうやら仕事で失敗か何かやらかしたらしいんだ。やらかした時はいつもそう、餌食になるのはあの子だった……」


その人が遠い目をした。


「あたしは無力な人間だよ……」


優一の父親が何かした。それだけはわかった。


「じゃあ、優一はなぜ、見つかっていないんですか?」


花音が優しく訊く。


「見つからないんだよそれが。アイツが優一を、車に乗せたのは間違いないんだけどね。あたし怖くてさ、こんなこと話すの、今日が初めてだよ」


その人が悲しい表情を見せた。


「話したくて話したくて、待ってたんだよ本当は。恵斗って言ったかな?」

「あ、はい」

「あんたの父親には悪いことをした。警察にも嘘を言った。本当は、本当は、アイツにあの子……殺されたんだと思う」


わかってはいたのに、改めて「殺された」と母親の口から聞くと、苦しくなった。もう逃れられない真実を突きつけられたのだ。


「死体を、見つけてあげたいんです」

「そればかりはわからないよ、あたしには。アイツに訊くしかないと思うけどね」

「ああ、でも……」

「ハハハ、アイツいかれちまったんだろう? 噂で聞いてるよ。自業自得だよまったく」


その人がビールを全て飲み干す。ぼくたちは、やり場のない無念さを感じていた。これ以上の展開は期待できそうもない。そう思った。


花音とぼくは、礼を言い、アパートを出た。出る間際にその人が言った。


「これ以上、子供は奪われたくないんだよ。あたしの居所、誰にも喋んじゃないよ。アイツにもだ!」


ぼくたちは、その強い口調に、圧倒され、「はい、わかりました」と何度も繰り返した。


アパートの階段を下りると、ぼくたちは大きくため息をついた。変わり果てた優一のお母さん。時の流れのなんと酷いことだろう。そう思った。


帰り道、ぼくたちは言葉を交わさなかった。一言もだ。でも、公園の横を通り過ぎようとした時、背後からぼくたちを呼ぶ声が聞こえた。


「恵斗くん、花音ちゃん!」


聞き覚えのある声だ。ぼくたちは振り返る。そこにいたのは、優一の妹、柚葉だった。高校生になった柚葉。すっかり大人っぽくなっていたけど、すぐにその声でわかった。子供の頃より声は低くなっていたけど、自信なさげな震えるような細い声は、あの頃と変わっていなかった。

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