柚葉ちゃんは、ゆっくりとぼくたちに近づいてきた。近づきながら、少し短く切りすぎた前髪をギュッと引っ張っていた。
「柚葉ちゃん。久しぶりだね」
ぼくは嬉しさを隠しきれず、うわずった声でそう言った。
「お久しぶりです。お元気ですか?」
「うん」
「わたしも」
花音がぼくを見てにこっと笑った。
「あ、あの、さっきはお母さんがすみません。朝から呑んでて……」
「いつもああなの?」
花音が心配そうに尋ねる。
「ほとんどは。でも、きっと兄のことがあったので、傷ついているだけだと思うんです」
この十年を、柚葉ちゃんはどう過ごしてきたんだろう。どうしてそんなふうに解釈できるんだろう。ぼくには不思議に思えた。
「ひょっとしてだけど、わたしたちの話聞いてた?」
花音がそう訊くと、柚葉ちゃんはこくりと大きくうなずいた。
「ごめんね。びっくりしたよね」
「でも、わたしもいつか、こんな日が来るんじゃないかって思ってました。いや、こんな日が来るのを待ち望んでいたのかもしれません」
「待ち望む?」
ぼくは理解ができなかった。死体を探すなんて普通じゃ言えないことを言ったのに、待ち望むなんて、どういうことなんだろう。
「あの頃、わたしはまだ小さくて、記憶が定かじゃないんですけど、お父さんが冷たい目をしてたのを覚えてるんです。それは兄に対してだけじゃなかったから。わたしのことも、ただの駒のように感じていたんじゃないかって」
「駒?」
「自分の人生をより良くするための駒。兄は特に、医者になるようにプログラムされていましたから、必要ないと思ったら、プログラムを書き換えるより、手っ取り早く、その駒を捨てるんじゃないかって」
高校生の柚葉ちゃんがどれだけ重たいものを背負っているのか、想像できない。でも静かに、丁寧に話をする柚葉ちゃんの言葉には、説得力があった。
「わたしも、兄はもう殺されてしまったと思っています……。悲しいけど、もう戻ってはこない……。だから、わたしも見つけたいんです。見つけてあげたいんです。でないとわたし、なんか……お父さんみたいに、何もかも失ってしまうんじゃないかって……」
柚葉ちゃんが、涙を堪えているのがわかった。何もかも失う。父親だけではなく、母親も失う、自分自身の存在価値もきっと分からなくなる、そんなの、耐えられることではない。
「何か、手がかりが欲しいんだ」
ぼくは慰める代わりにそう言った。そんな言葉しか出てこなかった。だが柚葉ちゃんは落ち着いた様子でこう答えた。
「あの日、わたし二階の窓から見たんです。お父さんがぐったりした兄を、車に運び入れるところを……」
「え?」
花音とぼくは息を呑んだ。
「それは確かなの?」
花音が恐る恐る訊く。
「確かです。あれだけは忘れられませんから。優ちゃんがどこかへ行ってしまう、そんな不安がいまだに続いている感じなんです」
だから待ち望んでいたのだろう。この悪夢が終わることを。ぼくはなんとしても、優一の死体を見つけたいと思った。
「車はどこへ行ったかわかる?」
「北の山の方へ行きました。それだけしか……」
「そうか……」
山か、とぼくは思った。ぼくたちが住む街には住宅街の北側に小さな山がある。小さいとはいっても、軽い気持ちで入ると迷子になりかねないそんな山だ。死体はその中にあるというのだろうか。ぼくが考えていると、花音が思わぬ質問をした。
「じゃあ、何分で帰って来た?」
「え?」
「家を出てから帰ってくるまで、何分だったか」
「確か……眠れなくて時計を見たのが10時頃で、その時車がガレージに入って来たような気がします。だから、一時間くらいじゃないかなって」
「一時間か」
花音が何かを考え始める。
「どうかしたの?」
ぼくは尋ねた。
「一時間しか掛からなかったのなら、やっぱりあの山なんだよ。こんなこと言いたくないけど、死体を埋めるのにだって時間がかかるよね。でも一時間で帰って来たとするなら、遠くには行ってないってことでしょ?」
「そっか」
「あ、ごめんね柚葉ちゃん。死体を埋めるとか言って」
「いえ、いいんです。わたしは覚悟できてますから」
柚葉ちゃんのかぼそい声は、いつしかしっかりとした声に変わっていた。
「わたしたちの手で、山を端から端まで探すしかないのかもね」
それにはどれくらいの時間がかかるんだろう。そう考えると、気が遠くなりそうだった。でも、柚葉ちゃんの思いを知った以上、放っておくわけにはいかない。ぼくたちは、きっと優一を探し出すと柚葉ちゃんに誓った。
そしてぼくは柚葉ちゃんに、優一と時間の狭間で会っているという話をした。少し戸惑っているようだったが、「兄なら、優ちゃんなら、そういうことしそうな気がする」と微笑んでみせた。
僕たちは連絡先を交換した。もしかしたらと太一郎と正哉の居所を知らないかと訊くと、柚葉ちゃんは、太一郎が今通う高校の先輩に当たると教えてくれた。そして、そのあとどうしているのかはわからないが、先生に訊いてくれるとのことだった。
ぼくたちは、柚葉ちゃんが家に帰るのをしっかりと見届けた。水色のドアを開けそして閉まるまで、ちゃんと見届けた。