駅に戻ったぼくたちは、帰りの電車を待っていた。なぜだろう、今日という日がとても長く、重たく感じるのは。花音もおそらくひどく疲れているに違いない。さっきから、だんまりを決め込んでいる。この沈黙に、ぼくは耐えられそうになかった。
「ねえ花音?」
「ん?」
「時間ってなんなんだろうね」
「時間かあ。なんかさ、どこかで読んだんだけど、時間なんてものは存在しないらしいよ? 話は難しくてよく分からなかったけど、でもわたしも最近そう思うようになったんだよね」
「なんで?」
「そう思いたいから。時間なんてなくってさ、今だけがあるんだよ。でも今見てるものも全部現象でしかなくて、実態がない。そしたら自分という感覚だけが、はっきりと感じられると思うんだよね」
「今感じられてないってこと?」
「うっすいの、自分が。毎日頑張って働いてるけどさ、ほんと時間に追われてて、時間の感覚だけが手の中にある感じがしてさ。ああ、わたし、どこに行っちゃったんだろうって思って」
「そっか」
「わたしも、優一みたいになってたかもしれない……」
自分を時間の狭間に閉じ込める。誰もがそんなことを望んでいるわけではないけれど、誰もが閉じこもってしまう可能性があったのではないか。ぼくだって、母親が死んだ時、父親が心配するくらいに、ぼーっと宙を見つめていたらしいし、友達のいない学校生活の中で、ぼくは自分がどこにいるのか分からなくなる時がある。みんなが消えればいい。いや、自分が消えた方が早い。そんな気がするのだ。ましてや優一のように、家族から虐げられている人は、逃げ場がもう、ないのだから。
「わたしはね、両親のこと、別に嫌いじゃないんだよ」
「わかるよ」
「ただ、親の選択ひとつで変わっちゃったことって、自分の力じゃ取り戻せなかったりするよね。わたしは絵を描きたいけど、いつかって思ってるけど、時々はね、逃げたくなったりするんだよね」
「何から逃げるの?」
「自分の理想からだよ。そんなもの、どこ探したってないものなのにさ」
「時間と似てるな、理想って」
「かもね」
電車が遠くに見えた。だんだんと近づいてくる。時間はレールのように長く伸びていくものではないのかもしれない。もっと瞬間的で刹那、いや、花音の言うように、ないのかもしれない。
ぼくたちは電車に乗り込んだ。なぜかバナナクレープの話になって、花音がバナナと生クリームの組み合わせが苦手だとか、バナナはお腹が膨らむからスイーツではなく主食だとか、くだらない話をした。こんな時間が続けばいいのにと思うのも、時間なんて存在しないからなのかもしれない。
ぼくたちの住む街に戻ってくると、雨が降り始めていた。そしてみるみるうちに雨足が強くなっていった。花音もぼくも傘を持っていなかった。
「雨の狭間を歩いてやる!」
花音が雨の中に飛び出した。
「狭間なんて無理だよ。濡れるって」
ぼくは無茶なことをする花音が、羨ましかった。
「じゃあわたしは、晴れの日の狭間にいるんだよ。さっきまでの晴れと、これから来る晴れの日の狭間で、ちょっと濡れてるだけなんだよ!」
花音はもうビチャビチャになっていた。ぼくはどうしようかと迷って、思い切って雨の中に飛び出した。
「ぼくも、晴れの狭間にいるぞー!」
「ハハハ、恵斗もやればできんじゃん!」
ぼくは嬉しくなった。雨は冷たく気持ちが良かった。ぼくたちだけが、雨の中で生き生きと笑っていた。