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第18話 スケープゴート

 幕張ホールを目指す4人が、目的地に着いたのは開場1時間前のことだった。しかし、招待券特典で列に並ばず入れる。

 2日前の放課後、悠陽に衣装一式を渡された澪はコスプレのために更衣室に入る必要が有り、一度そこで3人と別れる。3人が最初に向かったのは、やはりEXCのブースだった。

「流雫くん」

とオッドアイの少年の名を呼ぶ椎葉に、流雫は頭を下げる。詩応と真がそれに続く。

「昨日の騒動は知っているだろう?まあ、終わりよければ何とやらだ」

と椎葉は言う。イベントは今日までだ、何事も無く夕方の閉場時間を迎えるだけの話。会場サイドも、再発を警戒して警備員をEXC関連ブースに重点的に置くことにした。

 「折角のイベントだ、今日は楽しむといい」

と椎葉は言う。詩応と真は2人で、来場客でごった返す前の会場を見て回ることにする。残った流雫に、椎葉は

「ただ、此処には近寄らないのが、楽しく過ごすコツだ。俺が言うのも何だがな」

と椎葉は言う。招待していながら近寄るな、とは矛盾している。だが、残念ながらそれが正しいようだ。

 シュヴァルツに対して、ブースのリーダーが今日のステージキャンセルを打診したが、大学生は拒否した。一種のプロ根性と言えば聞こえはよいが、裏を返せばプライドの塊だ。カリスマとしての自尊心を護るべく、必死になっているだけに過ぎない。

「そうしたいな」

と流雫が言うと、澪からのメッセージが届く。流雫は踵を返した。


 逢沙は休憩スペースでタブレットを開き、新たな記事を打っていた。しかし、スーツを着ていた昨日とは打って変わって、紅と黒の衣装を纏っている。このコスプレは、逢沙のアバター……テルミルージュだ。

 逢沙は、一晩でフォロワーを3割減らしたシュヴァルツ……千代が気懸かりだった。

 千代は普段から威勢はよいが、予想外の事態には弱い。それがプレイにも現れている。火力で押し切るのも、動揺を誤魔化したいから相手を叩きのめして黙らせたいのが根底に有る。それは、逢沙の現役時代から変わっていない。そして今は、ゲーム系インフルエンサーとして最大のピンチに陥っている。

 必要な取材は昨日のうちに済ませた。今日はEXCのブースに張り付いていたとしても問題無い。

 逢沙は記事を投稿すると、タブレットを鞄に仕舞う。その隣には小口径の銃。使うことは無いと信じたい。

 逢沙が休憩スペースを後にしようとすると、更衣室から出てくるシスターに目が止まる。その顔には見覚えが有る。顔を合わせてこよう、と思った記者は靴音を鳴らした。


 更衣室から出てきた澪を最初に目にしたのは、最愛の少年だった。

「どう、かな……」

と赤面する澪は、武器が無いことを除いて完全に碧きシスター、ミスティになっていた。贔屓目を除いても似合っている……流雫にはそう断言できる。

「似合ってる」

と言った流雫に、安堵の表情を浮かべた澪は、カメラを流雫に渡す。デジタルカメラとインスタントカメラを掛け合わせたものだが、流雫と遊ぶために買ったものだ。

「澪さん!似合ってるわよ」

と逢沙が呼び止める。見知った相手とは云え、第三者にそう言われると澪の脈が速くなる。逢沙に悪気は無く、ただ澪にそう云う耐性が無さ過ぎるだけだ。

「流雫くんも元気そうね。……椎葉が世話になったとかで」

「美浜さんに世話になったのは僕だけどね。EXCの色々な面を聞けたし」

と流雫は言葉を返す。

「シュヴァルツには気を付けて。あの炎上ぶりは異様だわ」

と逢沙は言う。自業自得だが、同情を禁じ得ないほどに大変なことになっている。イベントの愉しみに水を差すのは忍びないが、このトピックに意識を注がねばならない。

 ……ゲームしかできない女ではない。現役を引退し、ネットニュース記者になる時に、何度もそう言い聞かせた。その言葉を原動力に、競合から恐れられる記者になった。

 だからこそ、逢沙には真相を追い求めると同時に、漏洩に当たらない範囲で安全に関する情報として流す義務が有る。

「殺害予告が無いだけマシ、ですか……?」

と問う澪に、逢沙は頷いた後で

「無事に終わることを願うしかないわね」

と言った。


 屋外の搬入出ヤードがコスプレエリア。未だ他の人はいない。

 流雫の手に握られる小さなカメラのディスプレイに映る澪は、撮らせるのは流雫だけと決めてある。悠陽のように不特定多数に撮られることには抵抗が有るが、恋人だけは特別だ。

 2人でセルフィーした後、流雫は澪を撮る。澪を誰より知り尽くしている、だから普通のスナップ写真だろうと澪の魅力を誰より、否唯一引き出せると思っている。

 10枚だけ撮ると、オレンジ色のシスター風衣装をまとった少女が近寄ってくる。

「うん、似合ってるわ」

と言ったのは悠陽だった。衣装製作は自慢のスキルで、特にミスティの衣装は自画自賛したい。

 悠陽と澪がセルフィーを始める。やはり澪はぎこちない。ただ、それは写真を撮られることへの抵抗感からではない。

 同級生や名古屋からの2人、そして流雫とは何度もしてきた。しかし、悠陽とは未だそうするほどの関係に無いと思っている。澪は詩応や真を引き寄せるエサ、悠陽がそう思っている以上は無防備ではいられない。

「澪はコスプレ、初めてだっけ?そのうち撮られるのも、自然になってくるわよ」

と悠陽は言う。澪は微笑んでみせるが、流雫には取り繕っているように見える。

 「見つけたよ」

流雫の後ろから詩応が言い、真がそれに続く。

「似合ってるがね!」

赤面する澪の隣で、悠陽はショートヘアの少女がフレアだと察した。

「ミスティのフレンド?」

と問う悠陽に、詩応は

「……フレア」

と答える。その隣で真が

「うちはヴォルタだがね」

と続く。

 詩応の態度は、結奈や彩花に逢った時と違って警戒心が露骨だ。だから真が牽制に走った。悠陽に対する悪目立ちで、詩応へのアプローチから気を逸らさせたい。

「ミスティとフレアはうちのものだがね!」

と言った真に、悠陽は

「私はアウロラ。よろしくね、フレア、ヴォルタ」

と返す。ヴォルタの存在は知らなかったが、フレアよりは仲よくなりやすい……悠陽は真に対してそう思った。

 詩応は自然と澪の隣に寄る。悠陽に対する敵視を緩めない。

「……澪はアタシのものだ……」

と詩応は言う。アタシの恩人に手を出すなら容赦しない。少し過激なのは自覚しているが、それほどに澪は大事だ。

 ふと、カメラを持った男が悠陽に近寄る。オレンジのシスター風戦士の衣装をなびかせる悠陽は、

「少しなら」

と言う。少しだけ、それが引き金になり、入れ替わり立ち替わりで数十分その場でポーズを変え続けることになる。ただ、その間は他の人がバリケードになり、平和でいられることを期待したい。

「後で合流しよう」

と言った悠陽は、ホールの外壁を背にしながら、カメラのレンズに向かって小道具の銃を構えた。


 会場は、VRやARのゲームも有った。そのARパルクールゲームに、澪に勧められるがまま参戦し、最上級ステージをこの2日間延べ200人以上のチャレンジャーで唯一クリアした流雫。制限時間残り1秒を切ってのゴールに、ブースは沸き上がった。澪はARゴーグルを外して笑う流雫に笑い返す。

「こうして見ると、流雫凄いがね……」

と真は感心し、詩応も頷く。2人より僅かに足が遅い反面、2人には無い上下の動きが何よりの武器だ。

 コスプレエリアから響めきが上がる。流雫が目を向けると、そこには1週間前に対峙したアバターのコスプレをした男がいた。黒い戦士……間違いない。

「シュヴァルツ……!」 

と、流雫はその名を口にした。


 コスプレエリアに向かうシュヴァルツに、ファンが近寄って写真を求める。エナジードリンクを一気に飲み干したシュヴァルツは、アウロラの近くでファンサービスを始める。

 意識する気は無い、しかし意識せざるを得ない。アウロラは険しい目をシュヴァルツに向ける。しかし相手は眼中に無い。単に空いているのが其処しか無く、また視界にすら入っていないのだ。

 そして悠陽は、シュヴァルツの近くにディードールがいるのに気付いた。

 何度か、大会の公式プレイ動画を見たことが有るが、その軽快な動きに虜になった。既に現役でないことだけが残念だ。

 悠陽は眼を逸らし、再度ポーズを決める。その様子が目に止まった逢沙は、シュヴァルツの近くにいる。昨日の炎上を受けて警戒しているのだ。

 ステージをキャンセルして会場に近寄らない、その安全策を選ばなかったのは、カリスマとしてのプライドがそうさせたからか。

 一旦ファンの群れが落ち着くと、逢沙は黒い戦士に近寄る。

「インタビュー、いいかしら?」

「……何の真似だ?」

「見張っているのよ。炎上したカリスマに危害が及ばないように」

と逢沙は小声で返す。

 「それは建前で、俺に気が有るんじゃないのか?」

「相変わらず生意気ね。それが命取りにならないといいけど」

その生意気な口調に、千代は苛立ちを露わにする。

 「チートを介したAIテストが、結果として栄光の剣を分断した事実は変わらないわ。アルバに恨まれていたとしても仕方ないわよ?」

と逢沙は言い、問う。

「栄光の剣の、真の目的は何?誰が牛耳っているの?」

華麗な動きで敵を翻弄するプレイスタイルとは対照的な逢沙の直球の問いに、千代は

「俺だ」

と答える。しかし、逢沙は千代の次の言葉を遮った。

「エクシスに取締役として送られた、UACの箱崎常務じゃなくて?」


 逢沙がその名前を知ったのは、福岡で椎葉と会った日のことだった。エクシスの子会社化によるUACからの役員出向の話を耳にした。

 箱崎憲仁。SF映画で育ったと豪語する男は、エクシスに出向を命じられた。それは、AIメタバースへの関与を意味するものだった。

「エクシスのAIを中枢に据えたメタバースこそ、次の時代に必要なのだ。世界を便利にし、地勢図を書き換えていく。その行く末には、エクシスがメタバース業界の頂点に君臨する」

箱崎は逢沙にそう言った。

 あのサーバトラブルの翌日、逢沙は外部から招き入れた新取締役へのインタビューとして、エクシスを訪ねた。記事は既に上げてあるが、終始AIを過大評価しているように見えたのが気懸かりだった。尤も、経営に関与する以上これぐらいの覇気は必要なのだろうが。

「初めて聞く名前だ」

と千代は言ったが、逢沙は更に突撃する。

「UACのコンテンツ第三企画室を管理する常務。つまり、千代部長の上の地位。シュヴァルツが理事長なのは、その関係の賜物かしら?」

と問う。

 微塵も引かない女に、カリスマは飲まれている。ゲームでも厄介だったが、リアルの方が何倍も厄介だ。

「……その通りだ」

とシュヴァルツは言った。ハイエナと揶揄される記者には勝てない。


 「……親父からその話を受けた。安いが報酬も出るからと言われ、俺はそれに乗った」

「最初はEXCの広告塔として、自由にやってよかった。しかしチートの話が出た時、流石に疑った。思わず、誰の指示かと問い詰めた。親父はミハエルだと答えた。全てはミハエルの指示だ」

とシュヴァルツが続けたところで、逢沙は問う。

「ミハエルが、常務のこと?」

「そうだ。親父が誰かと通話しているのを盗み聞きし、判ったことだ。親父の立場を鑑みれば、指示に従うのが筋だ」

「チートのためのバックサポートは手厚かった。レアアイテムのドロップ率を引き上げ、プレイ中に容易に拾えるようにした。それと同時に、パラメータに手を入れたと言っていた」

そう言った千代に、逢沙は言葉を被せる。

 「アドミニストレータAIと不正検知システムにも介入した。そして一定のタイミングで、介入を解除してキルさせる。それでチートを隠蔽することができるわ」

「チートがアルバの分断を生み、池袋の射殺事件を引き起こした。そして一連のスケープゴートとして、とあるユーザを呆れる理由で炎上させ、更にはゾンビアバターを生み出させた」

 開発陣がリカバリに必死になっているのを尻目に、椎葉はゾンビアバターの発生について調べていた。専用SNSでのトレンドが一定の条件に達した際に初めて発動するように、プログラムが組まれていたことが判明した。

 ユーザの批判を上手く逸らそうとしたそれは、一定の成功を見せた。しかし、ゾンビアバターに疑問を持ったユーザの好奇心と、一連の事件に絡めた探究心までは、高性能AIでも予測できなかった。

「AIの有用性を確認するためだったとしても、フェアなゲームエクスペリエンスを阻害した。昨日の炎上は、因果応報よ」

「まさか、お前が洩らしたか?」

とシュヴァルツは言う。しかし、逢沙は冷静に言い返す。

「そうであってほしい?でも現実は甘くないわ」

やはり、ディードールは苦手な女だ。そう思う千代に、逢沙は

「とは云え、ゲームでの問題をリアルに持ち出すのは間違っているわ。元eスポーツプレイヤーとして、それだけは看過できない」

と言う。

 既に炎上は下火に向かっている。フォロワー数も下げ止まった。しかし、それとこれとは話は別だ。

「……居心地悪くない?スケープゴートとして炎上させた相手が、すぐ其処にいるのよ?」

と逢沙は言い、遠目に悠陽を見る。その瞬間、シュヴァルツに男が近寄る。そして。

「ぐぅっ……!?」

シュヴァルツが目を見開いた。咄嗟に左脇腹を押さえるが、黒い衣装を血で汚していく。

「シュヴァルツ!?」

血相を変えたポニーテールのニュース記者は、その男にナイフが握られているのを見て思わず身構えた。

 「お前がフラウを殺したんだ!」

そう怒鳴る男に、撮影を中断させた悠陽が顔を向けて顔を引き攣らせる。

 ……フラウの死を思い出し、その場から動けない悠陽の耳に、自分を呼ぶ声が聞こえた。

「アウロラ!!」

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