流雫と澪は、3人から少しだけ離れていた。澪と悠陽で二手に分かれている方が寧ろ安全、と云う澪の判断だ。
「イベントどころじゃない……」
と呟く流雫に、澪は
「ただ、どっちにしろ動けないわ」
と言葉を返す。
私服は、持ち歩いている不織布バッグに入れてある。しかし、更衣室への動線は事件を受けて引き上げようとする人で混雑している。コスプレのまま退場してはいけないルールだが、それに従うなら数十分はこのままだ。
2人は、もう少しだけ近くで写真を撮ることにした。こう云う時に遊んでいる場合ではないが、敵を油断させることはできる。尤も、千代が搬送された今、何がどう転ぶか全く予想できないのだが。
戦いをイメージしたのか、険しい顔で敵を見つめるような表情の澪は、それだけで碧きシスターを現実に降臨させたように見えるが、同時に近寄り難い印象を受ける。単なるポーズの一環ではないからだ。
「イベントが中断にならないのは珍しいわね」
と澪は言う。確かにそうだ、こう云う時は打ち切られるハズだ。一言で言えば大人の事情だろうが、それでも気になる。
「だから、澪は正しかった」
と流雫は言う。
万が一、更衣室の列のような密集状態で何かが起きれば、無事と云う保証は無いのだ。一方、コスプレエリアはその端から端がどうにか見通せる程しか人がいない。だから、イベントが続く限りはこうしているのが正しい、と2人は思っている。
「シュヴァルツを裏で操っていたのは、UACの常務だったのね」
と澪は言った。逢沙からシュヴァルツとの会話データを受け取り、聞いたのだ。
「本来無関係のアルバを分裂させ、栄光の剣すら分断し、自らの地位を落とす。そのリスクは判っていても、シュヴァルツは箱崎の指示に従った形ね」
と澪は言う。
「千代と箱崎の上下関係が引き金、か」
と流雫は続いた。もし、千代の息子がシュヴァルツでなければ、ゾンビアバターだけが問題だったハズだ。悠陽と出逢うことは無かった、それはまた別の話として。
「褒められた話ではないけど、シュヴァルツも被害者だったのね」
その澪の言葉が全てだった。或る意味自業自得だったとは云え、命を狙われていい理由は無い。
「シュヴァルツの件、黒幕が箱崎だとすると……」
と流雫は言う。
「え?」
「アルバの壊滅は、シュヴァルツのチートが全ての原因。それが内部調査で発覚した。確かにフラウを殺したのはナハト、しかしシュヴァルツがチートの口封じで殺すよう指示した。犯人にそう伝えた」
「伝えるって、どうやって?」
「データベースにアクセスしてメンバーを特定した。しかしEXC上に呼び出すことはできないから、直接外部のSNSにメッセージを送るのが手っ取り早いハズ。確か、EXCはサインアップ時にSNSアカウントを任意で登録できたよね」
と流雫は答える。流雫も澪も、わざわざ登録する意味が無いからと空欄のままだった。だが、こう云う形でアカウント情報を使われると思うと、空欄で正解だったと2人は思っていた。
「じゃあ、その犯人が動画サイトで炎上騒ぎを……?」
と澪は問う。流雫は数秒の沈黙の後、答えた。
「恐らくね」
真相を聞かされた後、最初に動画サイトを炎上させる。シュヴァルツのフォロワーを引き剥がし、四面楚歌に追い詰めるためだ。
そして、イベントでの登壇に合わせて断罪し、公開処刑する。イベントからの追放は最初から承知の上。それが当初の目論みだったと思える。
しかし、フラウを殺された怨念が、物理的な処刑に走らせた。それは箱崎にとっても予想外だったに違い無い。
「……シュヴァルツが刺されたことで、追い詰められるのは箱崎」
と流雫は言った。
「刺した理由を問われ、やがてチートの真相の出所まで突き止められる。そうすれば、箱崎が不正にユーザ情報にアクセスしたとして、EXCのプライバシーポリシーの問題に発展しかねない。ただでさえゾンビアバターの件も有る、EXCにとってのダメージは大きい」
「予想外の事態に、箱崎はどうすべきか迷っている頃ね」
と、澪は流雫に続く。
「……とは云え、EXCを踏み台としたメタバースのために、自分は生き残るべき。そう思ってるだろうね。だから、犯人がボロを出さないことを、適当な犯行動機で遣り過ごすことを願ってるハズ」
そう言った流雫のオッドアイは、会場の反対側にいる3人を映す。今のところは安全そうだが、それだけが幸いだ。そのままイベントからスムーズに出られるようになるまで遣り過ごせればいい。
同じ頃、逢沙はエクシスのブースに戻っていた。ホールでのイベントは全て中断された状態で、誰もがイベント管理サイドからの次のアナウンスを待っている。
「その衣装で取材は違和感が有るな」
と言いながら近寄る椎葉に、逢沙は
「折角だから」
と返す。
「それに、仕事はしてるわ。スクープを書くことになるとは、思ってなかったけどね」
そう続け、スマートフォンで手早く記事を書くネットニュース記者。
「フラウ殺害の私怨がシュヴァルツの殺人未遂に至った。そう見るのが普通だけど、誰が犯人に情報を教えたか」
「……エクシスの関係者か」
「そう見るのが自然ね。誰とは言わないけど。そして、これでシュヴァルツは粛清されたと思ってる。でも、栄光の剣の理事長を誰に仕立てる気のかな……」
と逢沙は言った。
理事長は、箱崎にとって従順な置物であることが条件だ。箱崎の人物像を取材する中で、イエスマンで周囲を固めたがる癖が強いことが露呈した。
千代は箱崎のイエスマンだった。そしてその息子シュヴァルツも、箱崎……ミハエルのイエスマンだった。それが要求された立場だった。
しかし、シュヴァルツはイエスマン故に上手く使われ、盲目的なフォロワーが起こした殺人事件の報復と云う形で捨てられる形になった。
自業自得だと断罪するのは簡単だが、それは乱暴だ、と逢沙は思っている。個人的にシュヴァルツを好きになることは無いが、元eスポーツプレイヤー同士として、見捨てることはできない。
「……この数日、EXCは別の意味で注目することになるわね」
と逢沙が言うと、その手に握られたスマートフォンが音を立てる。目の前の恋人からの通知だった。
EXCのブースでは、このフェス最後のイベントの準備が進められていた。
「ゲームで生まれたAIは世界を構築できるか」
と題され、登壇者は箱崎憲仁。大型ディスプレイに映し出される、EXCのロゴ入りの黒シャツを着た男は、中年ながら若く見える。
タブレットの画面に映し出される原稿には、UACとエクシスが手掛ける壮大なメタバースの概要が書かれている。
EXCのノウハウを惜しみなく投入する新たなサービスを、敢えてVRにしないことで、スマートフォンやタブレットでも容易にアクセス可能な環境を整備する。没入感よりも実用的なインフラを目指している。アク業界関係者や投資家向けにビズデイで話したが、週明けの株価への手応えは有る。後はこのパブリックデイでセシビリティを重要視している。没入感より、どれだけ手軽に恩恵を享受できるか、だ。
その箱崎は、洗面所で最後のグルーミングをしていた。だが、内心は穏やかではない。
千代の息子が刺されたことで、イベントは全て中断状態ではあるが、30分遅れで開始できるだろう、と関係者は言っていた。
時間は気にしない。しかし、その原因だけは予想外だった。
シュヴァルツが刺された。殺害を教唆したワケではないが、あの男の供述次第では面倒なことになるだろう。
余計なボロを出すな、そう願いながら洗面所を出た箱崎の耳に、聞き覚えが有る声が響く。
「箱崎常務……いえ、ミハエル」
目の前のコスプレイヤーに見覚えが有る箱崎は、しかし
「ミハエル?」
と返す。
「シュヴァルツが、ミハエルは箱崎常務のことだと言っていました。常務もEXCのユーザだったんですね」
と答える逢沙は、強い眼差しで箱崎を捉える。
「……いえ、ユーザじゃない。アドミニストレータAIの改竄を指示し、ゲームバランスを崩壊させた黒幕」
「何を言い出すかと思えば。金輪際TMNは取材……」
「拒否するならご自由に」
と逢沙は言葉を返す。その言葉には、揺るぎない自信が宿っている。
「不正検知システムの更新履歴を見ました。新宮エンジニアの生前から、不自然な介入が見られました。最後の更新は、電車に飛び込む前日。いえ、電車に向かって突き落とされた、と言うべきですわね」
その言葉に、箱崎の目尻が僅かに動く。
「俺が殺したとでも?」
「まさか。ただ、私が知りたいのは一つだけ。そうまでして、AIを思い通りにしたいのかしら?今から発表するメタバースのために」
そう言った逢沙の言葉から、丁寧語が消えている。それは、眼の前の男に敬意を持って接する必要が無いことを意味している。
「無知なようだから特別に教えてやろう。システムの更新履歴の入手経路によっては、メディアとしてのコンプライアンス問題に発展する。どうやって手に入れた?」
と、反撃に出た箱崎と逢沙の間に、椎葉が割って入る。
「俺だ。俺が情報を渡した」
「お前は確か……」
と箱崎は言う。一度だけ開発部で見掛けた、それだけだが覚えている。
「元アドミニストレータAI担当、美浜だ」
と名乗った椎葉は、一呼吸置いて言った。
「新宮は生前、念の為にと俺に自身のログイン情報を教えていた。俺のアカウントも抹消されたが、ヤツのアカウントからアクセスして、履歴を抽出できた。そして、不正に追加される学習をリセットしたのも俺だ」
「お前がやったことは社内規定違反だぞ!」
と声を上げる箱崎に、椎葉は淡々と言い返す。
「何の権限かは知らないが、貝塚と川端を使ってEXCに不正を行った。直接の恩恵こそ受けていないようだが、EXCのユーザに混乱を招いた罪は大きい」
「お前が余計なことをしなければ、サーバ障害は起きなかった!早く復旧作業に取り掛かれ!」
「俺はEXCの健全化のために、不正学習をリセットしただけだ。尤も、俺はエクシスの人間じゃなくなるから、後はどうなっても構わないが」
「どれだけの損失が出ていると思っている!?エンジニアは黙ってプログラミングしていればいいんだ!」
と言った箱崎は、今にも殴り掛かろうとする勢いだ。
「その通りだ。クライアントの仕様に従い、開発を進めるのが本来の役目だ。しかし、お前がやったことは顧客に対して不利益を与えるだけだ」
「馬鹿馬鹿しい。たかがエンジニアに、何が判る?俺はそれどころではない。今から講演会だ。お前らが大人しくしていれば、全てが丸く収まる。余計なことをするな」
と言って、椎葉の隣を歩いていく。
「……間違い無いわね」
と逢沙は言う。
「ああ。しかし、一連の事件への関与が明るみになったワケではないからな」
そう言った椎葉は、EXCのブースへと踵を返した。
事件を受けたイベントの措置は、屋外コスプレエリアを封鎖するだけだった。危機管理意識を問う声も有るが、イベントを台無しにされなくて済んだことへの意見も有った。
ホールに戻るタイミングで、5人の男女は合流した。悠陽も漸く落ち着いたようだ。
「……私が栄光の剣を信じるのは、フラウが信じていたから」
と、悠陽は口を開いた。
「でも、私がシュヴァルツの強さに疑問を感じた頃から、ミハエルが栄光の剣に介入してくるようになったわ。そして、エグゼキュータが発動されるようになったの。……それについては、フラウが知っていたわ。そして私は、彼女から全て聞いたわ」
「どうして、フラウはそのことを?」
と問う澪に、悠陽は答えた。
「フラウは、エクシスに出入りしていたUACの社員だったの」
「え……?」
と、澪は眉間に皺を寄せる。
UACのコンテンツマーケティング部で、EXCを担当していた。打ち合わせで何度もエクシスを訪れていたが、その中で裏情報を少しずつ入手していた。
ゲームが好きだからUACに入社したが、それ故にAIを悪用したチート行為は看過できなかったと言える。
「ミハエルの介入をよく思っていなかったらしいわ。それで私が炎上した時に、フラウが全てを話してきたわ。ただ、このことを話したことがバレれば、アカウントごと消される可能性が有った。だから今まで、このことを隠していたの」
そう言った悠陽の口調は、意外にも淡々としていた。
フラウのことを思い出すのは辛い、しかし全てを語ることが、或る意味では彼女の弔いになると思っていた。
澪は悠陽の腕に触れ、言った。
「ありがと、悠陽さん」
その隣で話を聞いていた流雫は、EXCのブースへと目を向ける。
……悠陽を襲った末に自殺した犯人を、誰が操っていたのか。新宮を殺した犯人は誰なのか。そして、貝塚を殺した犯人は逮捕されながらも、未だ黙秘を貫いている。隠したいものは何なのか。
シュヴァルツの件は忘れろ、そう思った流雫の頭に突然名前が浮かんだ。無意識にその名を呟く。
「川端……」
博多での椎葉と逢沙の会話に出てきた名前だ。
栄光の剣の副理事長。貝塚に代わるシュヴァルツの側近、つまり箱崎の指示を受け、シュヴァルツを監視する立場。そしてエンジニア。
エンジニアなら、貝塚の車の自動運転システムすら、容易に改竄できるだろう。箱崎の指示で改竄したのなら、話は噛み合う。
フラウもスタークも、EXCの裏側を知っていたから粛清された。悠陽も、スタークとの面識を軸に粛清されかけた。流雫のアバターがキルされたのも、スタークと会話したから。
そして貝塚も、図らずも椎葉を監視下から逃したとして殺された。昨日流雫がとばっちりを受けた人身事故の被害者も、EXCと無関係ではないだろう。
……箱崎の実働部隊を担っていたのは川端。だとすると次のターゲットは…….。
「……流雫?」
と澪が呼ぶ。流雫は言った。
「EXCのブースに行ってくる」
「……EXCの裏側を知っているから、か」
「救い様が有れせんでね」
と名古屋から来た2人は言う。寸分前まで一緒だった悠陽は、今は澪と一緒にいる。そして流雫は1人、椎葉の近くにいて、それぞれが少し離れている。こう分かれるのも、椎葉が狙われると読んだ流雫の発案だった。
……椎葉と川端は、互いによく思っていなかった。椎葉が学習への介入を妨害したことへの恨みが、襲撃の動機になったとしても不思議ではない。
人混みのブース前、何処に刺客がいるか判らない。固まっていた方がよい気はしたが、逆にどの方向に逃げても逃がさないようにする意味では、これが正しいと流雫は思っていた。
流雫、澪、詩応の耳にはイヤフォンが挿さっている。久々の三者通話状態だ。テレパシーが使えれば楽なのに、と澪は思うが、リアルでは有り得ないだけに、これが現実的だ。
突如、EXCのテーマ曲が流れ始める。そして特設ステージには逢沙が上がった。
「MCは、代役を任されたディードールです!eスポーツに詳しい人は、覚えているかも」
とマイク越しに声を張り上げた逢沙は、些細な違和感を抱えていた。
本来のMCが体調を崩したから、逢沙が代わりを任された。だが、それは箱崎と別れた後の話だ。土壇場で箱崎が指名したと見るのが自然だった。
スマートフォンのボイスレコーダは録音を始めている。後はイベント終了まで進めるだけだ。
逢沙が台本通りに箱崎を紹介すると、その男は堂々と登壇する。EXCが復旧していない中でのイベントに一部のオーディエンスは苛立っている。
前日もイベントの度に、EXCのシステム障害に関してはスピーカーは答えない、最新情報はSNSと公式サイトで随時更新するとアナウンスしていた。このイベントの直前でもそうだった。
……EXCの運用の延長に、現在開発中のメタバースが存在する。規模が大きくなる分設備投資が嵩むが、それはUACによる増資でカバーできる。エクシスはUACのAIコンテンツ専門デベロッパにシフトさせ、メタバースとEXCでメタバースとMMOの市場を制するための実働部隊として次の段階に進む。
「VRの没入感よりも、場所を問わずアクセス可能なメタバースを目指した結果だ」
と箱崎が言うと、
「これは元々無かった質問ですが」
と逢沙は切り出す。
「EXCがシステム障害を起こし、現在復旧中です。今よりサーバに、そしてAIに負担が掛かり続けるメタバースでは、どう云う予防策を講じる予定ですか?」
その質問に、箱崎は司会者を睨んだ。
逢沙は挑発したいワケではなく、ただメタバース担当記者としての疑問を投げただけだ。無論そう云う反応も想定していたが、露骨に睨まれるとは思っていなかった。
「……今回の件を踏まえ、サーバへの設備投資を中心にシステム増強を行う」
と箱崎は答えたが、それ以外に有効な答えを見つけられなかった。
トークイベントが終わると、ブースから人が離れ始める。
「澪、伏見さん」
と流雫は呟きながら、椎葉の腰に銃を突きつけた。