予想外のことに、椎葉は目を見開く。
「美浜さんが狙われる」
と言った流雫の耳に
「いるわ……!」
と澪の声が響く。
eスポーツチームのレプリカシャツを着た男が、椎葉に近付きながらボディバッグから銃を取り出す様子が、澪には見えた。その目ざとさは、刑事の娘として感心すべきだ。そして、流雫にも見えていた。
「撃たれて」
と流雫が言うと、椎葉は戸惑い、そしてその場に膝から崩れた。
銃を手にした男は、一瞬で騒然とするエリアの中心で、何が起きたか判らず唖然とする。そこに血相を変えた澪が駆け寄り、流雫の腕を掴む。
「何やってるの!?」
その反応は、しかし周囲の注目を集めるには効果的だった。注目こそ、抑止力になると期待していた。
更には詩応も駆け寄った。そして
「その銃は何だい?」
の問いをぶつける。しかし、それは流雫ではない男に向けられていた。
……椎葉を撃つために握った銃は、標的が倒れた瞬間にその役目を失った。そして、銃を持っている新たな理由が必要になる。事件を起こした流雫を殺すため、とすれば強引だがその場は乗り切れる。しかし、今の男にはそれだけの発想力すら持ち合わせていない。
「……何をする気?」
と再度言った澪の顔は、流雫ではなく男に向いている。そして流雫の腕を放し、手にした銃を男に向ける。そして流雫も、男に銃を向けて問うた。
「……EXCのシステムに不都合だから葬れ。誰が指示した?」
少しだけ狼狽する男を、更なる声が問い詰める。
「スターク以上に俺が邪魔なんだろう?」
その言葉と同時に、撃たれたハズの椎葉が立ち上がる。何処にも弾痕は無い。
「今から劇団員も悪くないな」
と言った椎葉の声に被せるように、流雫は言う。
「データベースサーバを司るアドミニストレータAIと不正検知システムが、栄光の剣には邪魔だった。そして後者を開発したスタークが先に死んだ、いや殺された」
「しかし、AIを自在に操れなければ意味が無い。だから、そのエンジニアのアカウントを剥奪した」
「スタークと面識が有るユーザを襲った犯人も、池袋の事故の犯人も、黒幕から指示されて犯行に及んだ。単なる私怨なら、大掛かりで堂々と殺そうとするハズが無い」
1組のカップルが次々と放つ言葉に、周囲が騒然としてくる。
「そしてシュヴァルツも刺された。チートがフラウ殺害の全ての発端だったから。その恨みを隠れ蓑に殺そうとした。栄光の剣にとって、その存在が不都合だったから」
先刻起きた事件の話題を口にした流雫に、周囲の目線が集まる。そして、オッドアイの瞳に恐怖を感じる男を睨み、問う。
「……誰の指示だ?」
その言葉に、男の怒りは頂点に達する。早く黙らせる必要が有るが、多勢に無勢だ。
「だ、黙れ!!」
と叫び、男は踵を返す。
「真!」
と詩応が叫ぶと、2人は同時に靴音を鳴らした。
唖然としたままの人集りが散り始める。それと入れ替わりで入ってきた男は、椎葉に目を向けた。
「うちに任せんしゃあ」
と真は言い、詩応は急に踵を返す。
瞬発力こそ1歳上の詩応には劣るが、中距離で鍛えた持久力が最大の武器。それが鶴舞真だ。追跡は彼女に任せる、詩応はそう決めた。
5キロぐらいなら走った後でも顔色一つ変えない、それぐらいの持久力なら持っている真は、小口径の銃を手にし、
「止まりんしゃあ!」
と地元の方言を張り上げるが、その返事は銃声だった。大口径の銃から放たれ、大きな反響を引き起こすが、ポニーテールの少女には通じない。
「止まりんしゃあ言うとるがね!!」
真は再度大声を上げる。しかし男は止まるどころか、閉鎖されたコスプレエリアへのバリケードを突破した。
人と云う障害物で足が鈍った。だが、コスプレエリアからは外に出られる。幕張ベイホールと千葉オーシャンスタジアムを分断する道路で振り切れれば、後は幕張の人混みに紛れることができる。
しかし、真は心配していなかった。自身の持久力であれば逃さないし、犯人の調子ならばすぐ追いつける。会場から出さなければよい。
「逃がしゃあしんでよ!」
と声を張り上げる真に、男は振り向きながら銃口を向ける。それは、真が応戦しても無罪になることを意味していた。
「撃ってみんしゃあ」
と言った真の顔のすぐ脇を、銃弾が飛ぶ。男は、ついに一線を越えた。
男は汗だくで、息を切らしている。銃を構えてはいるものの、その手は震えている。呼吸を整えることすらできず照準が合わないのは、逆に言えば威嚇のハズが命中する可能性も有ると云うこと。それが真にとっての脅威だ。
早く仕留めなければ、そう思ったポニーテールの少女は銃を構える。その瞬間、
「真!」
と詩応が声を上げた。
真との通話に切り替え、犯人の方向を伝えられていた詩応は、真から逸れる形で先回りしていた。
詩応が銃を構える。銃口が震えるのは怯えからではなく、首の怪我の後遺症だ。だが、生死の淵を彷徨っただけに、それで済んだのは幸いだった。詩応は、何度もそう思っている。
2人の女子高生に銃を向けられた男は、詩応に銃口を向け、引き金を引く。しかし、詩応の表情は変わらない。
「抵抗するな!」
と詩応は言うが、男には聞こえていない。2人を殺し、逃げ切る気だ。
詩応は、咄嗟に銃を頭上に向けて引き金を引く。流雫や澪、それに真のそれより口径は大きく、威力も有るが同時に反動も大きく扱いにくい。それでも、両手で握っていればそれほど気にはならない。
男は一瞬だけ怯む。威嚇とは云え、まさか自分に向けての銃声とは思っていなかった。撃たれるハズがないと思っていただけに、脳がフリーズを起こした。
「銃さえ下ろせば撃たない」
と言って銃を下ろす詩応に、真も続く。
「威嚇で怯える程度で、よく銃口を向けたがね」
その言葉に、男は苛立ちを募らせる。
EXCでは最強クラスの戦士だった。多様な銃を使い分けてきた猛者だ。しかしリアルで銃を持っても、それが通じない。それどころか、目の前の女子高生に追い詰められている。
……俺が追い詰められるとは、有り得ない。有り得てはいけない。そう思った男は銃を真に向け、引き金を引く。
大きな銃声が木々と建物の間に響くが、銃弾はポニーテールを掠めることすらできない。
「真!行くよ!」
と言った詩応が銃を構える。男は踵を返し、肩ぐらいまでの高さのゲートを乗り越えようとする。
「逃がさにゃあ!」
と言いながら、真が男に続く。男にとって名古屋の方言が耳障りに聞こえるのは、この少女のしぶとさが原因だった。しかし、逃げ切らなければならない。
詩応は引き金を引く。残る銃弾を使い果たしてでも、1発だけでも掠められるなら。そう思っていた。
リズミカルな銃声と同時に、男の膝裏に銃弾が刺さった。バランスを崩し、顔からアスファルトに落ちる。銃を手放し、顔面を強く打ち付けた男はその場から動けない。
「チェックメイトだがね!」
と言いながら、男の後頭部に銃口を向ける真。その隣で、2人に追いついた詩応が
「誰の差し金だい?」
と言って男の背に馬乗りになる。しかし、男は呻くだけだ。答えたいとしても、顔の激痛で喋れないのだろう。尤もそれは後々、取調で判るだろうが。今は仕留めただけで勝ち、と云ったところか。
「無事か!?」
と、2人の女子高生に問う、低く大きな声が聞こえる。詩応と真は、漸く安堵の溜め息をつくことができた。
ステージを下りた箱崎は、パーティションに隠れると背後の逢沙に顔を向けないまま問う。
「何の真似だ?」
「私は、ユーザが気になる疑問を投げただけです。ネットニュース記者として、大規模システム障害を踏まえた危機管理の方針を看過するワケにはいきませんので」
と答えた逢沙に、箱崎は
「ふん」
と鼻で笑う。
「……シュヴァルツは、栄光の剣の理事長。しかし、その実態はただのスケープゴート。メタバースを統べる、その準備としてミハエルはシュヴァルツにチートを与えた。それが栄光の剣とアルバを分断することになったとは」
と逢沙は言った。
シュヴァルツにも言った、栄光の剣の分断は半ば事実だった。動画チャネル炎上の騒ぎで、本人のフォロワーの次に大きく数を減らしたのが栄光の剣のSNSアカウントだった。
「チート?誰がそう言った?」
「シュヴァルツ……千代成光、本人。千代部長経由で、チートの指示を受けたと」
と逢沙は答える。箱崎の顔から、何処か他人を見下したような表情が消える。しかしすぐに戻り、
「……分断は成長痛のようなものだ。UACとエクシスが大きく成長するためには、避けて通れない」
と言った。
「しかしそれは、シュヴァルツが刺された遠因です。犯人の愚行で片付けられるとでも?」
「経緯がどうであれ、刺した奴が悪い。ゲームの問題はゲームで片付けろ、それが鉄則だ」
と、逢沙の問いに答えた箱崎は、パーティションを出る。
「……そこだけは常識人なのね」
と逢沙は呆れながら言う。
先刻ブース前にいたシルバーのショートヘアの少年と目が合った。その隣には、ダークブラウンのボブカットの少女もいる。
「何だ?サインでも欲しいか?」
と言った箱崎に、少年は
「川端はどこにいる?」
と問うた。赤と青のオッドアイは、眼の前の男に鋭い眼光を突き付ける。
「川端?」
「エクシスのエンジニア。ミハエルが可愛がっていたと聞いている」
「有能なエンジニアを贔屓するのは普通のことだ」
と、少年に答える箱崎。しかし、少年……流雫は引き下がらない。
「自分の思惑を実現させる、便利な手駒として贔屓したかったのでは」
「何だと?」
と箱崎が問う。
「アドミニストレータAIのコーション発動トリガーを改竄し、AIへの批判を封殺した。それ自体、有能なエンジニアがいたからできたこと。そして、その改竄が一連の事件を引き起こした」
と言った澪に、流雫は
「僕のアバターも、スタークと会話した制裁としてキルされ、そしてゾンビアバターとして復活した」
と答える。
「そうまでして、メタバースの覇権を握りたいの?」
そう言った澪に、箱崎は
「無知なお前らに教えてやろう」
と言ったが、その言葉は
「箱崎憲仁」
と名を呼ぶ声に遮られた。
「誰だ?」
「警視庁の弥陀ヶ原だ」
と名乗った刑事は、IDカードを見せて続けた。
「新宮秀明と貝塚正の殺害、並びに天王洲悠陽殺害未遂について、重要参考人として同行を」
「参考人?」
「千代が出頭した。そして、お前の関与について話した」
と弥陀ヶ原は言った。
午前中、臨海署は千代に任意同行を求めた。フラウ殺害の件で、シュヴァルツの父親が何か知っていると読んだからだ。
同時に、常願と弥陀ヶ原は幕張へと車を走らせた。同様の理由で箱崎にコンタクトするためだ。
2人が会場に到着したのは、シュヴァルツを刺した犯人が逮捕された後だった。そして同僚からの連絡を受け、その殺人未遂を口実に入場した。
その常願は、騒ぎを聞き付けコスプレエリアに走った。名古屋からの2人が取り押さえた犯人に手錠を掛けるためだ。
「息子が刺されたとの一報を耳にした瞬間、千代は全てを話した。お前と川端が共謀し、成功報酬を餌に栄光の剣を信仰していた男に新宮を殺害させた。そして、新宮と池袋で会話していた天王洲も襲わせた」
と弥陀ヶ原は言った。その隣にいる高校生2人は、その時のことを思い出していた。
スタークが悠陽をナンパしているように見えた流雫と澪は、2人を引き離すべく近寄った。しかし、それ以前から既に、何者かにその光景に目を付けられていたことになる。実行犯か別の連絡役か、それは最早どうでもよい。
「上司の指示だからと協力してきた、しかしシュヴァルツが刺されたとなると話は別。そう思っただろう」
と言った流雫に、箱崎は裏切られた怒りの表情を露わにした。
……あの犯人がシュヴァルツを刺さなければ、こう云うことにはならなかったハズだ。だが、EXCでの遣り取りでは、犯人の心理までは判らない。不可抗力ではあるが、どうこの展開を打破すべきか。それが今、箱崎に突き付けられた課題だった。