「な……!?」
「……クルッポー……」
「どうした? ここに来たかったのだろう? もっと喜ぶといい」
――褐色の肌に黒髪。スラリとした体には、以前ヒロユキと会った時とは違い、豪奢な黄金の鎧が纏われていた。
「貴様……どういうことだ?」
「どういうこと? とは? ……貴様が、我が国の魔法を解いてここへ来たのだろう?」
「違う。貴様はさっき“招いた”と言った……それはどういう意味だと聞いている!」
魔王はゆっくりと手で目元を覆い――そして、少しの間、嗤う。
「フッ……はっはっは。さすがは騎士。そこの勇者と比べて、実によく話を聞いている」
「……クルッポー」
「それに、話し合いをしようというのだ。まずは――」
そう言って手を目から退けると、その瞳に浮かぶ“天秤”の紋章が、赤く、禍々しく輝いていた。
「……武器を下ろせ」
「!?」
次の瞬間、キールとヒロユキの周囲に浮かんでいた【氷の剣】が、一斉に地面へと叩きつけられ――粉々に砕け散った。
「くっ……!」
すぐにキールは再度、氷の剣を生成しようとするが――
「無駄だ」
形成途中の剣は空中でひび割れ、砕けて霧散した。
「これが……魔眼の力……」
「ほう。ある程度は知っているようだな。勇者からの入れ知恵か? まあ、どちらでもいい」
魔王はわずかに笑みを浮かべた。
「今、貴様らの周囲には、私の力によって通常の百倍の重圧がかけられている。……わかるか? 貴様らの命は、私の気分ひとつで潰えるということだ」
「…………」
キールは剣を諦め、手を下ろして魔王を鋭く睨みつけた。
「それと……返してもらおうか。我が部下を――その背に背負っているのだろう?」
「……クルッポー」
「……ヒロユキ殿。ここは従ってください」
「……」
ヒロユキは、アオイの【糸】でカモフラージュしていた“本来の自分の身体”をそっと地面に横たえ、無言で一歩、後ろへ下がった。
「ふむ……」
魔王はヒロユキの体を宙に浮かせ、自身のもとへと引き寄せた。そしてそれを包むアオイの【糸』に、そっと指を添える。
「不思議な【糸』だな……我の力でも断ち切れそうにない」
「……で? 話というのはなんだ?」
「その前に、これを飲め」
魔王の指先が弾かれたように動いた瞬間、血のように赤い液体の入ったカップがひとつ、キールの前にふわりと浮かび上がる。
「我が国で採れる【ライズサボテン】を加工したものだ。服用すれば、三十分のあいだ――嘘がつけなくなる」
「……」
「安心しろ。毒など盛らん。殺すだけなら、こんな手間はかけぬ。だが、情報次第では――貴様らに“チャンス”をやろう」
そう言って魔王自身にも、同じ液体の入ったカップがふわりと現れる。
「……わかった。だが、それを最初に飲むのは――お前だ」
キールがぴたりと視線を向ける。
「当然だ。我は王……寛大な心の持ち主ゆえにな」
魔王は笑みを浮かべ、カップを口に運ぶと、豪快に一気に飲み干した。
それを見届けてから、キールも無言でカップを口に運ぶ。
(……この状況。奴の力があれば、我々をすぐにでも葬ることは可能だろう。それでも話し合いを選んだということは、奴もこちらから“何か”を引き出したいのだ。尋問では得られぬ情報と承知の上……それともただの遊戯か? どちらにせよ――これはチャンス)
ふたりは空になったカップを横に放り投げ、カラン、カランと冷たい音が石の床に響いた。
「……」
「……」
沈黙の中――ふと、空間に大きな砂時計が現れた。
ゆっくりとひっくり返され、さらさらと砂が流れ始める。
それが――対話の“開始”を告げる合図だった。
「騎士よ。貴様からだ」
「……了解した。魔王に問う」
キールは正面から魔王を見据える。
「――天秤があるピラミッドは、どこにある?」
「このピラミッドは空間操作魔法で内部を常に変化させている。
よって“どこにあるか”などと問われても――答えようがない」
「……」
「では、我の番だ。貴様らは――何人でここに来た?」
「五人だ」
「ふむ……そうか」
「次は俺の問いだ。――天秤の場所へ行くにはどうしたらいい?」
「我が“許可”を出せば、いつでも通せる。……だが、出す気はない。
言っておくが、貴様がここに来られたのも、我が意図的に通路を繋げたからに過ぎん。
あの程度で迷っているようでは、我の前に立つ資格などない」
「……」
キールがわずかに表情を引き締めたその瞬間、
魔王はゆっくりと、明確な意図を持った口調で告げた。
「さて……我の番か」
空気が張り詰める。魔王はキールに向かい、低く、だが明瞭に問いかけた。
⸻
「貴様らの中に――『女神』は居るか?」
⸻
「……!!」
その問いに即座に反応できたのは、キールただ一人。
たとえ他の誰かが知っていたとしても――
『彼女』の情報を最も深く握っているのは、間違いなくキールなのだから。
「………………」
「どうした、答えられぬか?」
「……居る」
「――やはり、か」
魔王が微笑を浮かべる。その目には確かな確信が灯っていた。
「次は私の番だな」
キールはほんの僅かに息を吐き、思考を巡らせる。
『女神アオイ』の存在は――誰にも明かしてはならない。
それを知るのは【神の使徒】である自分たち、限られた者のみ。
――今、ここでその名を口にするわけにはいかない。
(……状況的に、次が“最後の質問”になりそうだ。
くそ……色々と聞けるチャンスだったが、仕方ない)
キールは横目でヒロユキを見る。
目配せ一つ――それだけで通じる、意思の合図。
そして、選ばれた最後の質問が口を突く。
「質問だ。……お前の“魔眼”の効果範囲は――どれほどだ?」
魔王は、口角をゆっくりと持ち上げ――答えた。
⸻
「――我の魔眼は、“この世界すべて”に反映できる」
⸻
「……そうか。
この“世界すべて”……どこに逃げようと、無駄だと」
キールの声が、静かに鋭くなる。
「だが――それは矛盾だ。
本当にすべてを視ているのなら……
――なぜ、今も後ろにいるヒロユキ殿に“気づかなかった”?」
⸻
「……なにっ!?」
⸻
「……クルッポー」
直後。
【気配遮断ローブ】をまとったヒロユキが、
音もなく影のように魔王へと斬りかかる!
刀が抜かれ、闇を裂く――