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第20話

古都シルヴァニアは、一夜にして死者の都へと変貌した。


その報せは単なる戦況報告ではない。それは、魔界の民が根源的に抱く「死」への恐怖そのものを具現化したかのような呪詛に満ちた凶報。

隊商たちの口から口ヘ、逃げ惑う難民たちの悲鳴となって、疫病よりも速く魔界全土へと広がっていった。

街々は門を固く閉ざし、民は家の内に籠って息を殺す。街道からは人影が消え、誰もが死者の軍勢をを率いる悍ましき聖女の影が、自らの街にまで及ぶのではないかと恐怖に怯えていた。


終末の聖女リリアナ──。

魔界の辺境「嘆きの平原」を本拠地とし、全てのアンデッドを統べるとされる、死と静寂を信奉するアンデッドの首魁。

彼女の思想は「死こそが究極の救済」というものであり、生ける者全てとは決して相容れない、異質で危険な存在。


これまで彼女が狂信的な思想を自らの領地「嘆きの平原」内だけに留め、表立った動きを見せなかったのは、ひとえに先代魔王ヴァレリウスという絶対的な「力」と「秩序」の楔が存在していたからに他ならない。

彼の威光がかろうじて、この世の理から外れた悍ましき聖女の「大救済」を押し留めていたのだ。


だが、その楔はもはや存在しない。

蓋をされていた厄災が、ついに解き放たれたのだ。


そして、絶望的な凶報は魔王城という魔界の中心で、空位となった玉座を巡り睨み合う候補者たちの元へも容赦なく届けられた──。




♢   ♢   ♢




魔王城、大評議室。

高い天井を支えるのは、竜の骨を思わせる黒い石柱。壁には歴代魔王の功績を称える、色褪せた巨大なタペストリーが掛けられている。


その中央に置かれた巨大な円卓……そこに、今の魔界で最も強大な力を持つ五人の魔王候補者たちが顔を揃えていた。


武骨な鎧を身に着けたまま背筋を伸ばして正面を見据える、大将軍ボロク。

その隣で小さな肩を震わせ、俯きがちに座る先代魔王の忘れ形見、アリア姫。

妖艶な微笑みを浮かべ、扇子で口元を隠しながらも瞳は鋭く他の者たちを観察する、宮廷魔術師リラ。

悪趣味なまでの宝飾品をじゃらつかせ、指で金貨を弄ぶ、金貨王ギルダス。

そして、一人だけ椅子に深くもたれかかり、仮面の奥の表情を一切読ませない、宮廷道化師フェステ。


彼らの間には言葉にならない刃のように鋭い緊張と、互いの腹を探り合うような重い不信感が渦巻いていた。誰も口火を切ろうとはしない。

暫くの静寂の後、均衡を破ったのはこの会合の呼びかけ人である、ボロク将軍だった。

彼はぎしりと音を立てて椅子から立ち上がると、他の四人へ向けて、厳つい顔にはやや不似合いなほど深々と頭を下げた。


「まずは各々方、ワシの呼びかけに応じ、集まっていただき感謝する」


その声は場の重圧を跳ね返すかのように誠実だった。

彼の隣ではアリア姫が、シルヴァニアの民の上に降りかかった新たな悲劇を思い、悲痛な表情で唇を噛みしめている。


──この緊急の会合が開かれた理由は、ただ一つ。

古都シルヴァニアが一体の生者も残さず、全てが「不死者」の軍勢に支配されたという悍ましい報せ。

そして、これまで沈黙を保っていた「終末の聖女」リリアナが遂にその狂信的な「大救済」を開始したという魔界全体を揺るがす脅威を、全員で意志共有する為である。


発起人は魔王軍を率いるボロク将軍。彼の揺るぎない正義感と、魔界の守護者たる軍人としての責任感が、この未曾有の危機に際し他の候補者たちへ緊急の会合を呼びかけたのだ。


ボロクの重々しい挨拶と、それに続く張り詰めた沈黙。

それを、喜劇の幕間を破るかのように軽薄な声が打ち破った。

声の主は、仮面の道化師フェステ。彼は椅子にだらしなくもたれかかったまま、わざとらしく手を叩いた。


「いやはや、素晴らしい。素晴らしい忠誠心と責任感ですねぇ、ボロク『大将軍』殿。貴方様のような方がおられれば、この魔界も安泰というものだ。……もっとも、貴方様のその有り難い呼びかけを、平気で無視する不届き者もいるようですが」


フェステは仮面の顔をゆっくりと動かし、円卓に設けられた二つの空位の席へと芝居がかった仕草で視線を送る。

そこは、獣王グロムと沈黙の騎士サイレスの席だった。


「おやおや、なんということだ。折角『大将軍』様が直々に声をかけてくださったというのに、勇ましき獣王様と高潔なる騎士様は揃ってお留守とは……」


その言葉にボロクの眉がぴくりと動き、卓の下で拳が音を立てて握りしめられる。

だが、フェステはそんな殺気など意にも介さず、くつくつと喉を鳴らしながら、さらに言葉を続けた。その声は悪意を隠そうともしない、愉悦に満ちた響きを帯びている。


「ああ、そうだったそうだった。我らが誇る薄汚い獣……じゃなくて、『破壊の権化』様は、沈黙の騎士様にこっぴどく打ちのめされて、今は巣穴で傷でも舐めておられるのでしたか。くくっ、なんて無様なんだ。……でも。騎士様も、これまた滑稽だよねぇ」


フェステは一度言葉を切ると、最高の冗談を思いついたとでもいうように楽しげに肩を揺らした。


「せっかく『英雄』ごっこで民を救ったというのに、今度は『聖女』ごっこのお方に根こそぎ奪われてしまうとは。……今頃、己の無力さにどこかの暗がりで静かに『沈黙』しておられるのかもしれませんねぇ?くくっ……」


甲高い不気味な笑い声が、大評議室に響き渡る。

不在だが、しかし魔界最強格と目される二人を徹底的に嘲笑うその言葉。評議室の空気は一瞬にして凍り付いた。

そんな一触即発の緊張。それを扇の陰から響く、冷ややかにして理知的な声が打ち破った。


「来ない、ということならば……『聖女』ごっこをしている女も、同様ではなくて?」


宮廷魔術師リラは瞳を、フェステが指摘した二つの空席とはまた別のもう一つの空位の席へと流しやった。

それは、アンデッドの聖女・リリアナの席。

──そう、あの悍ましい惨劇を引き起こした張本人もまた、魔王候補者の一人として円卓に席を与えられているのだ。

もちろん、彼女がこの会合に姿を現すはずもなかったが。


「冗談はやめていただきたいのう、リラ殿」


リラのその言葉に、今度は金貨王ギルダスが心底呆れたといった様子で口を挟んだ。彼は指先で弄んでいた金貨を弾きながら言った。


「この会合は、あのアンデッドに対抗するために開かれたものじゃろう。それ以前に、動く死体が魔王候補だという事実を信じたくないがね」


アンデッド──それは、生命の理から外れ、偽りの生を貪る、動く死体の総称。

本来であれば魔界においても忌むべき存在として発見され次第、浄化・駆逐されるべきものであった。

そして、その忌まわしい命の敵の頂点に君臨し、彼らを統べる女王こそがリリアナという女。魔族とすら相容れぬ、絶対的な異物。

だが、先代魔王ヴァレリウスは何を思ったかアンデッドという存在とも、一方的な殲滅ではなく境界線を引いた上での「共存」とも取れる不可解な関係を築いていた。

だからこそリリアナは、これまで「嘆きの平原」から大きく動くことはなかったのだ。


「でも……先日の、お父様の国葬の時……リリアナ様は……」


皆の視線が一斉に彼女へと集まる。アリアは唇を震わせながらも、言葉を続けた。


「悲しんでおられる私に、優しい言葉をかけてくださいました……。『お辛いでしょう。ですが、ヴァレリウス様も、姫様が悲しんでばかりではお喜びになりませんわ』と……。あんな、惨いことをなさる方だとは、とても……」


彼女の瞳には、かつて交わした言葉の記憶と今目の前に突きつけられた悍ましい現実との間で、どうしようもなく揺れ動く純粋な混乱と悲しみが浮かんでいた。

アリアの純粋な言葉。評議室に一瞬、沈黙が流れた。

だが、その沈黙を待ってましたとばかりに甲高い声が打ち破った。


「ああ、姫様!貴女様はなんと純真な御方であることか!」


フェステが楽しげに手を叩きながら、アリアの言葉に大げさに同意してみせる。


「えぇ、えぇ!あの死体も、腕自慢の獣王も、口の利けない騎士様も……皆、陛下の葬儀には律儀に顔を揃えておりましたとも」


フェステは一度言葉を切ると、重大な秘密でも打ち明けるかのように声を潜めて続けた。


「ですが!儀式が終わるや否や、蜘蛛の子を散らすように、さっさ、さっさと!それぞれの巣穴へとお帰りになられた。……特に、我らが聖女様は、よほど『次のお仕事』がおありだったと見えますなぁ?」


その言葉に含まれた、あまりにも明確な悪意。シルヴァニアの惨劇を「仕事」と称するその物言いに、ボロクの眉が険しく動いた。

だが、フェステは構わず仮面の顔をアリアへと、再びゆっくりと向けるのだった。


「アリア姫。確かに貴女がこの魔王城で見た聖女リリアナは、慈悲深く物腰の柔らかいまさしく『聖女』と呼ぶにふさわしい女性だったのでしょう」


フェステは音もなく椅子から立ち上がると、道化のように優雅に踊りながら言葉を紡ぐ。

仮面の奥の瞳が侮蔑とも憐憫ともつかぬ色で、アリアを射抜いていた。


「ただ、我々が……そして何より姫様が決して忘れちゃあいけない、たった一つの事実がある」


フェステはアリアの目の前でぴたりと動きを止めると、人差し指を一本立てて諭すように言った。


「──あの女が、『アンデッド』だということだ」


その言葉は静かだが、有無を言わせぬ響きを持っていた。


「姫様。貴女にとっての優しさとは何ですか? 傷ついた者を癒し、お腹を空かせた者にパンを与えることでしょう?実に生者らしいお考えで、素晴らしい」


彼はくつくつと喉を鳴らしながら、今度は円卓をゆっくりと歩き始める。


「ですがね、姫様。あの聖女様にとっての優しさ、そして救済とは我々生者を一人残らず殺して、自分と同じアンデッドにすることなのですよ。彼女は我々が生きていることそのものを苦しみだと、病だと、そして罪だと心の底から信じている。シルヴァニアで彼女がやったことは、彼女にとっては虐殺などではない。むしろ苦しむ民を救った善行であり、最高の『慈悲』だった、というわけです」


フェステは、わざとらしく肩をすくめてみせる。


「さて、お花畑の世界に生きている姫君にアンデッドという存在の恐ろしさを、よーくご理解いただけたところで……」


フェステは芝居がかった口調でそう言うと、懐から何の変哲もない、黒い石のようなものを取り出した。

そして、それを円卓の中央へと放り投げる

他の候補者たちが怪訝な顔でそれを見つめる中、黒い石は淡い光を放ち始め、その上空の空間が陽炎のように揺らめいた。


「これは、我が『奈落の劇場』の優秀な『観客』が命懸けで持ち帰ってくれた最新の『演目』でしてね。さあ、とくとご覧あれ。英雄様が去った後のシルヴァニアの真の姿を!」


フェステが指を鳴らすと、揺らめいていた空間に立体的な魔法の映像が鮮明に映し出された。

そこに広がるのは鉛色の空の下、完全に廃墟と化したシルヴァニアの街並み。

そして……。


「ご覧ください、老いも若きも、男も女も、皆平等に、楽しそうにお散歩しておりますなぁ」


フェステは観光案内人でもあるかのように、楽しげにその光景を解説していく。

映像にはうつろな瞳でゆらゆらと街を彷徨う、おびただしい数のアンデッドたちが映し出されていた。

その足は腐り落ち、引きずった跡には黒い体液が残る。半開きの口からは、意味のない呻き声と共に、腐敗した体液がこぼれ落ちている者すらいた。


「生存者は、皆無。見事なくらいに、一人もおりません。なんと完璧な救済だ! 姫様が『お優しい』と評したあの聖女様は、シルヴァニアの民を一人残らず、腐臭漂う『永遠の安らぎ』へと導いて差し上げたのです!」


皮肉と悪意に満ちたフェステの言葉が、評議室に響き渡る。

そして……映像は、ゆっくりとそのアンデッドの群れの中心へと焦点を合わせていく。


そこに、彼女はいた。

純白のヴェールを纏い、無数のアンデッドたちにかしずかれながら、ただ一人、静かに佇んでいる。

その唇には、自らが作り上げた死の楽園を心から愛でるかのような穏やかで、しかし狂気に満ちた微笑みが浮かんでいた。


「……あ……」


アリアの唇から、か細い空気の漏れるような音が出た。

彼女は悍ましい光景に、そしてかつて「優しい」と信じた女性の、冒涜的なまでの微笑みに完全に言葉を失い、血の気が引いた顔でただただ映像を見つめることしかできなかった。

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