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第29話危機

 ある種、理性すら振り切るほど純粋で強い思い。狂気が持つ純真な瞳に加豪はもしやと声に出す。


 瞬間、訪れたのは激痛だった。


「ぐっ!?」

「加豪さん!?」


 ヨハネは一足で加豪へと接近すると胸部へ殴りつけてきたのだ。咄嗟に加豪は腕を交えて防いだものの吹き飛ばされ背中から地面に落ちる。痛みに表情が歪む。ヨハネの細身から放たれたとは思えない、俊足で強烈な一撃だった。


「いい反応です。あなたでなければ防ぎきれなかったでしょう」

「止めてください先生!」


 ヨハネは倒れる加豪を悠然と見下ろし、加豪は痛みを堪えながら叫んだ。


「あなたの言う通り、私は狂信化しているのでしょう。いえ、間違いない。ならば問答は無意味だとも分かるはずだ。加豪さん、私を止めたいなら力づくしかありませんよ」

「二人とも下がってて!」

「でも、加豪さん一人じゃ!」


 加豪は奥歯を噛み合わせて立ち上がる。殴られた箇所に手を当てて調子を測るが、骨にヒビが入っているのか、痛みは退くどころかますます腫れあがっていく。尋常ではない痛みを感じている加豪に恵瑠が走り寄るが、片足をすさまじい衝撃が襲った。


「きゃあ!」

「恵瑠!?」


 ヨハネが法衣から警棒を取り出し投擲したのだ。直撃した衝撃に恵瑠の小柄な体が宙に浮き地面に叩き付けられる。


「これで栗見さんは動けない。もたもたしていると悪化する一方ですよ、このように」

「うっ」

「天和!?」


 即座に近づき、ヨハネは天和の首を片手で締め上げた。細い首に五指が食い込み、そのまま体が持ち上がっていく。


 このままでは天和が窒息で死んでしまう。


 迷っている時間はなかった。


「我が信仰、琢磨追求の祈りここに形(けい)を成す。我が神の威光よ、天地に轟き力を示さん」


 神に乞う。信仰の証を示し、奇跡を要求する。


「神託物招来。雷切心典光(らいきりしんてんこう)!」


 友を助けるために、加豪は神に力を申請した。


 加豪を中心にして猛風が吹き荒れる。雷雲に包まれたような炸裂音と閃光が加豪を覆い、神から貰い受けた神器、神託物を手に取った。


「ほう、神託物。ですが切れるのですか、この私を」


 神託物を前にしかしヨハネは悠然としていた。理性が低下している狂信化のせいか、顔は挑発的な笑みすら浮かべている。


 加豪は睨み付けたまますぐには動かない。狂信化しているとはいえ相手は担任の教師。親愛の情はある。


 だが、加豪は琢磨追求の信者。他の者なら足を取られる迷いを振り切った。


「出来ないなら、初めから鍛えたりしない!」


 信託物を手に体育館の床を蹴る。狙いは天和を掴む片腕。自身の身長ほどある巨大な刀身を加豪は全力で振り下ろす。


「やはりあなたは素晴らしい」

「そんな!?」

「ですが、信仰心が足りないようだ」


 しかし、攻撃が当たった瞬間驚愕が起こる。


 斬れないのだ。腕を怪我しているとはいえ、目の前の現実が信じられない。


「どうして!?」

「どうして? 聡明なあなたには不似合な台詞ですね。分かっているはずだ」


 驚愕する加豪をヨハネがたしなめる。天和から手を放すと押し付けられている神託物を振り払った。押し返された加豪が地面に着地する。視線の先には傷一つ負っていないヨハネが平然と立っていた。


「あなたの神託物を、私の神化が上回っているのですよ」

「そんな……」


 加豪は唖然となる。このようなことあり得ないが故に。


 神託物がダイヤモンドならば神化とは炭素の塊。両者をぶつければ砕けるのは炭素の塊が道理だ。しかし、炭素の塊をかき集め、強大な質量を用いればその例にはならない。


 圧倒的な信仰心。加豪を以てしても到底及ばない神化の恩恵。加豪が手に持つダイヤモンドでは、ヨハネの山のような炭素を断ち切れない。


 量が質を凌駕した瞬間だった。


「加豪さん! 私たちのことはいいから、加豪さんだけでも逃げてください!」

「でも!」

「いえ、誰も逃がしません。皆さんにはここで死んでもらいます」


 恵瑠が加豪に言うもののヨハネは許さない。非情な言葉が三人に告げられる。


「時間がありません。残念ですが、そろそろ終わりにしましょう」


 そう言うとヨハネは両腕を広げた。まるで誰かを受け入れ抱き締めるように。慈しみの心を表すようにして、ヨハネは語り出した。


「全ての、疲れた者よ、苦しむ者よ、私のところへ来るがいい」

「これは」


 反応したのは恵瑠だった。しかしこれがなんなのか、他の二人も理解する。


「争う者よ、剣を捨て、悩める者よ、責めるのを止めよ。私は、汝(なんじ)らの嘆きと悲しみがなくなることを、誰よりも願う者。この地上から、全ての痛みが無くならんことを祈る者」


 それは神へと捧げる祈祷。己の信仰を神へと示し、認められた者のみが手にできる奇跡の具現。


「故に我らが天主イヤスよ、我が祈りに応えたまえ。救済の光にて照らしたまえ」


 まるで聖書の朗読を思わせる声調でヨハネは言い終え、背後で無数の光が集まり像を成す。


「神託物、招来」


 結ばれた像は実体を伴って、ヨハネの信仰を称え上げるように出現した。


「神を見つめる深紅の天羽(スカーレット・エクスシア)」


 光が弾かれる。そこから現れたのは羽を持つ女性だった。天井に届きそうなほどの体が宙を浮き、右手に巨大な剣を、左手には円形の盾を装備している。血に濡れたようなセミロングの髪はウエーブがかかっており、女性の顔立ちながらも瞳は戦意に満ちていた。純白の翼は広げれば体育館の端から端まで届くほど。全身を包む白衣が聖光に輝き、羽を持つ者の威厳を発していた。


「これが、ヨハネ先生の神託物?」

「そんな、大き過ぎます」

「……へえ」


 脅威を目の前にして、しかし三人の口から出たのは称賛だった。狂信化しているとはいえあまりに巨大。


 白の羽を持つ者が加豪を睨む。瞬間、片手で扱う大剣が襲ってきた。大きさは三メートルを優に超えている。


「きゃああ!」


 神託物で防ぐが勢いに吹き飛ばされる。地面に激突してからも引っ張られるようにして滑った。


「う……」

「では、お別れです」


 ヨハネの言葉を合図に神託物が剣を振り上げる。斬るという表現では生易しいほどの破壊の一撃。照準は加豪に定まり、攻撃の合図を待っている。


「加豪さん、起きてください!」

「起きないと死ぬわよ」


 二人が加豪を急かす。加豪も立ち上がろうとするが、腕を地面に突き立てるだけで体が持ち上がらない。加豪を助けようとするが恵瑠は足を負傷し天和にも術がない。


 絶体絶命の窮地。加豪は剣を構える神託物と、寂しそうに笑うヨハネを睨み上げた。


「さようなら……。許して欲しい、などとは言いませんよ」

「っく!」


 ついに神託物の剣が動く。防ぎようのない一撃に加豪は震える拳を地面に叩き付け、悔しさの中で目を閉じた。


 しかし。


 それは訪れた。


「止めろぉぉおおお!」


 ガラスを破る音と同時に叫び声が響き渡る。見れば差し込む光の中に人影があり、ガラスの破片と共に加豪とヨハネの間に降り立った。突然表れた人物に目が離せない。全員が注目し、現れた男子に三人は名前を叫ぶ。


「神愛?」

「神愛くぅん!」

「宮司君、来たんだ……」


 地面に着地した男子が起き上がる。その後ヨハネに正面を向け、怒号が体育館に轟いた。


「俺の仲間になにしてんだテメエェエエ!」


 驚愕と歓喜と期待の眼差しを受けて。天下界の無信仰者、宮司神愛は登場した。

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