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第一章⑤

 ブロマイド、トレカ、アクスタ、キーホルダー、缶バッジ、ポーチ、マグカップ、ブランケット……。

 凛はお気に入りの赤い表紙のノートに、万年筆で思いつく限りの推しグッズを書き出していた。


 ポーチやブランケットなどの布製品は、すぐに大量生産ができないので難しい。工場での縫製技術は、記憶にあるものよりだいぶ劣っているように思われた。

 そもそも布に写真を印刷できるのかどうか、わからなかった。

 陶磁器のカップも、外国風のモダンなデザインは見かけるものの、どれも一点もので、手の込んだ商品しか見かけたことがない。マグカップのような、工場で作られる大量生産品は存在していないように思われた。

 オタクとしてはアクスタ、キーホルダーを推したいところだが、残念ながらプラスチック製品はほとんど出回っていないから、作るのは難しいだろう。


「となると……やっぱり一番はブロマイドかな」


 凛は、ノートのブロマイドと書いた部分を大きく丸で囲み、藤吉と忍のもとへ向かった。



「売上を稼ぎたいなら、グッズ販売を行うべきだと思います」


 意気揚々と凛がそう告げると、二人は顔を見合わせた。


「なんですかそれは」


 祖父の手前、とりあえず聞いてやろうという態度が見え見えの忍に向かって、凛はノートを広げた。


「役者の写真を何枚も印刷して、売るんです。そうですね……、ひとり三種類の写真を用意します。ひとつはプロフィール写真……、パンフレットの登場人物紹介のページに使われているものと同じでいいと思います。あと二つは、公演中の衣装を着た写真。昨日のリハーサルは写真撮影していましたよね? そこから良いショットを選びます。ひとつはアップで、ひとつは引き。計三種類の写真を一セットにして、売り出します」

「ほう」


 祖父がなるほど、と顎髭を引っ張った。一方の忍はまだ渋い顔だ。


「確かに……欲しい人はいるかもしれませんが……」

「絶対います。三枚一セットで、十円で売ります」

「十円ですか?」


 ちなみに十円は、現代日本の千円くらいの価値だ。


「はい。それを各役者分用意します」

「一体どれくらい用意するんです?」

「正直に言って、人気のある役者分ほど多く、端役の方は少しでいいと思います。礼央さんは一日二千と見積もって……」

「二千!?」


 忍の素っ頓狂な声が響き渡った。


「二千っておかしいでしょう。客席が二千しかないんですよ!?」

「でも売れますって。欲しい人は二セット買うと思いますし」


 開封用と保管用、それに布教用。凛の常識ではひとり平均三セット買うのではないかと予想していた。これでも少なく見積もったのだ。


「そんなバカな」


 忍はやれやれ、と頭を振る。途中まで持ってくれていた聞く耳も、もうなくなってしまったようだ。


「わかりました。じゃあ礼央さんと愁さんは、計六種類の写真を用意して、二パターン販売しましょう。それぞれ千ずつ、でどうですか」


 途中で衣装替えもあるから、一人六種類の写真は簡単に集められるはずだ。なんならもう一パターン作っても良いくらいだが、さすがにまた反論されたら面倒なので黙っておく。


「しかし……」

「よし、いいだろう」


 渋る忍をよそに、藤吉は「面白そうだ」と口元に笑みを浮かべた。


「凛はすぐに写真を選び始めなさい。忍は写真館に電話をして、明日の開場時間までに何枚用意できるか確認するように」

「しかし!」


 まだ食い下がる忍に藤吉は「一気に全部刷らなければ良いだろう。とりあえず凛のいう通りの枚数を用意して、余ったら残りの公演期間をかけて売り切ればよい。原価も大したことはないしな」と言う。


 どうやら顎鬚を引っ張りながら、印刷代と売り上げを計算していたらしい。そう言い終えると同時に、商売人としての藤吉の目が妖しく光る。それを感じ取ったのか、忍も言葉を挟むのをやめた。


「かしこまりました」と頭を下げる。

 その様子に満足げに頷いた藤吉は、

「凛は同時に役者ごとの印刷数も出して報告しなさい。あと使う写真も決めたら持ってくること」

「はい!」



 そこから先は戦争だった。事務所の大きなテーブルに、現像したばかりの写真を並べてピックアップしていく。さすがに礼央は出番の長さに比例して写真が多く、選び甲斐があった。

 選んだ写真を藤吉に確認してもらった凛は、その眼力に正直舌を巻いた。


「もう少し下を向いている方が、愁の良さが生きる」

「礼央の衣装は、裾のラインが美しいから、そこがきちんと写っている方がいい」

「春と雨は二人で対になるような写真を、それぞれに入れるように。この二人は番手がつく前からセット売りしてきたからな」


 と言った風に、とにかく指摘が的確なのだ。


 あまりに多くの写真を見続けていると、さすがに判断力が鈍ってくるから、一瞬で良し悪さを指摘してくれる藤吉は頼り甲斐があった。さすが、一代で劇場をここまで大きくしただけのことはある。


 十人以上の役者の写真を選んだが、結局藤吉の神の一声で、五番手までの役者のブロマイドを、集中して印刷することに決まった。それ以外の役者は、初日の売上を見て判断する、という。


 売れるかどうか様子を見たい、というより、印刷所のキャパシティの問題だった。今からフル稼働で印刷し、三枚セットにして届けてもらうことになっているが、希望した枚数を全員分はとても無理だったのだ。


「一応、初日以降も継続して刷ってもらえるよう交渉はしましたが……」


 忍はまだ、本当に写真が売れるのか、半信半疑のようだ。


 しかし凛には確証があった。ホワイエの目立つところ、もぎりを通過した客が必ず通りすぎる場所に机を出し、売り場を作った。

 何枚か、試しに刷ってもらった写真と、字の上手い社員に太い筆で『ブロマイド発売中』と書いてもらった紙を一緒に貼り出す。


 パンフレット売り場も隣に移動させれば、前世でさんざん並んだ、お馴染みのグッズコーナーの完成だ。列ができることを想定し、ポールを並べて待機列を作れるように準備しておく。


 自信満々に用意を進めていく凛を、忍が苦々しい表情で見ていたが、藤吉は面白そうに観察していた。


 あとは肝心のブロマイドが届くのを待つばかり、だ。


 その後、客席に移動してゲネプロを見守る。本番は観客として何度も観たことがあったが、ゲネプロを見るのは初めてだった。客席にはスタッフしかいないが、芝居は十分に熱が篭っていて、凛には特に問題など見当たらないように映った。

 しかしその後も修正が行われていたし、藤吉も何やら気づいたことを演出家に指示していた。


 その様子を見ながら、問題点に気付かず、ただ楽しんだだけの自分は、このままでは、いつまで経っても仕事ができるようにならないのではないか。凛は再びそんな不安に駆られた。

 思わず藤吉にそう溢すと「そう簡単に見る目が養われてたまるか」と返されてしまった。

「だけど……」


 もどかしさが募ってとても納得できない。


「まだ仕事始めたばかりじゃろ。これから学びなさい」


 そう言って、藤吉は俯く凛の頭を撫でた。

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