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第一章⑥


 公演初日。

 昼の十三時。開演一時間前に、劇場がオープンする。


 写真は無事、午前のうちに納品された。

 荷馬車に積まれた大量の箱が運び込まれて、販売のスタッフが目を白黒させている。

 ただ最初から置き場を決めておいたので、凛が指示した通りに在庫の箱を収納し、無事に開場時間前にグッズコーナーも完成した。


 お披露目公演初日とあって、早い時間からひっきりなしに観客が来場した。

 凛はグッズコーナーを確認したかったのだが、なかなか叶わなかった。

 入り口横の関係者受付に立つ忍の後ろに、控えていなければならなかったからだ。

 藤吉も忍も、常連客の挨拶に余念がない。はっきり言って、話しかけてきた人物が誰なのかまったくわからなかったが、にこにこと話を聞き、二人に習って丁寧に頭を下げた。

 観客は女性が八割。年齢層はバラバラだったが、藤吉と忍が挨拶する相手は、妙齢以上の女性や夫婦が多かった。高級そうな着物を着ている人がほとんどだ。

 昔からの太客なのだろう。どこの世界でも変わらないなと思うと面白い。

 しかもみな、何かしらの手土産や心づけを持参していた。藤吉が受け取るたびに、横で忍が誰から何を頂いたのか、控えをつけていた。

 途中、凛が退屈しているのに気づいたのか、「そのうちこのお役目はお嬢様にお願いしますから」と言われてしまい、ぎくりと緊張が走る。百人以上と挨拶をしていたように見えたが……。


「今日は初日なので、特に多いんです」

「そうですか……」


 大したフォローにならない忍の言葉に苦笑いを浮かべた。もちろん、後を継ぐために避けては通れないことはわかっている。少なくとも、藤吉から「跡継ぎです」と紹介してもらえるくらいにはならなくては。


 ざわついた空間で目まぐるしく動く人の顔を観察していると、あっという間に時間が経っていた。ホワイエに、開演五分前のブザーが鳴り響く。


 藤吉は初日の出来を確認すると言って客席に入っていった。満員御礼のため、忍と凛は席がないから、観ることは叶わない。

 慌てて駆け込んでくる客が係員に案内されていくのを見守っていると、客席内に音楽が流れ始める。舞台で流れている音が、スピーカーを通じてホワイエにも流れているのだ。


「開演しました!」という、案内係の声が響き渡る。


 忍から渡された差し入れや心づけを、ホワイエ内にある小部屋に運んでいると、ブロマイドを販売していた係員の女性が駆け寄ってきた。


「松本さん、お嬢様。大変です……!」


 心なしか、声がかさついているように聞こえる。


「どうしました?」


 忍が優しく係員に声をかける。

 女性は大きく息をつくと、


「天音さんのブロマイド、あと百セットずつくらいしかありません……!」

「えっ」

「やった!」


 忍の間の抜けた声と、凛が思わずガッツポーズを決めながら叫んだ声が同時に響いた。


「えっと、いくつ用意したんでしたっけ?」

「結局、一セット千ずつです」

「え、じゃあ九百は売り切ったってことですか!? そんなバカな」

「皆さん新しいものに興味津々なご様子で……。それに、やっぱり今日いらしている方は、皆さん天音さんのファンの方が多いので……」


 こほんと咳き込みながら答える係員の背中を、凛は摩ってやった。


「大変だったでしょう。混雑して」

「でも十円ですから、お釣りもなくてさほど大変ではなかったんです。でも列が途切れなかったので、もしかしたら終演後に買いたいという方がいらしたら、売り切れてしまうかもしれなくて……」


 確かに、終演後に欲しいと思っても、このままでは足りない可能性が高い。


「ちなみに、他の役者はどうなんですか」

「はい、他の方も半分以上は売れています。特に愁さんは人気で、五百用意していただいていましたが、三百以上はでました」

「……そうですか」


 忍はこめかみを抑えながら、ふう、と息をついた。


「これは確かに、お嬢様の作戦を認めなければならないようですね」

「え!?」

 予想外に素直に認められて、凛は素っ頓狂な声をあげていた。

「なんでそんなに驚くんです? あなたはもっと強気でも良いと言っていたじゃないですか。どこでそんな勝算を確信したのかわかりませんが……まあでも、これだけ売れれば正直助かります」

「は、はい」

「最終的な売上を見て、明日以降のことはまた相談しましょう」

「ありがとうございます!」


 そう言って勢いよく頭を下げた凛を、忍はやれやれとため息を飲み込みながら見下ろした。

 突然の提案に驚くばかりだったが、豪胆なところはやはり藤吉の孫なのだな、と思わざるを得なかった。



 結局、終演して早々に、礼央のブロマイドは二種類とも完売してしまった。

 観終わったままのテンションで次々とグッズ売り場に客が訪れ、我先にと買っていったのだという。


 また終演後の方が、売り上げが伸びた役者もいたという。芝居を見て欲しいと思ったのだとしたら、役者としても嬉しいだろう。


「五人分しかないの?」と聞いてきたご婦人もいたらしく、明日以降はまだ印刷していなかった役者の分も、全て刷ろうということで話はまとまった。


 それから凛は、チケットを持っていない人も、開演中に来ればブロマイドを買えるようにする手筈を整えた。

 実際、前世ではいつも自分がそうしていたからだ。購入列に並ぶのも時間がかかるので、グッズだけ別日に買っておき、観劇する日の開演前はゆったりとトイレに行ったり友人と推しについて語る時間に充てていた。

 もっともどうしても初日に欲しいときは、気合いで並ぶわけだが……。


 今回は、初日に買えなかった人の、救済になる可能性もある。やっぱり欲しい、と思った客を取りこぼさないようにするのも、大事なことだ。

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