「あいつらに何か言ったのか」
未だ目覚めない藤吉の顔を並んで見つめていると、礼央がポツリと口にした。
春たちのことだろうか。
「大したことは言ってないです」
と答えれば、ふうんとそっけない返事が返ってくる。
「礼央さんこそ、ずいぶん気にかけているんですね」
「別に。中途半端なパフォーマンスされたら困るだけだ。一人でも気の抜けたことをしたら、俺の評判に傷がつく」
確かに、トップスターは劇団の顔だ。
普通に主演しているだけだったら「あの人はいまいちだったね」と個人が言われるだけで済むけれど、劇団となるとそうはいかない。
「あのトップスターの元では彼は輝けない」だとか「トップに求心力がないせいで、劇団自体がまとまらない」などと言われてしまうのだ。
その点は、颯太とどちらが大変なのだろう、と考えて、どっちもどっちなのだから意味はないと凛は思い直した。
無意識のうちに頭をふるふると振っていたらしい。
それを見ていた礼央がたまらず、といった風に吹き出した。
「お前は、本当に見ていて飽きねえな」
「はい?」
「行動が突飛すぎて」
「……そんなつもりないんですけど」
これでもアラサーだったのだ。そこそこ社会人経験も積んだし真っ当な対人関係も築いてきたはず。
けれど礼央は「そうかよ」とまるで取り合わずに笑っている。
「礼央さんこそ。女嫌いだって聞きましたけど」
何気なく言ったひと言に、礼央の眉間に露骨に皺が寄った。空気が一気に冷えた気がして、後悔したけれどもう遅い。
「愁か?」
躊躇いながらも、無言で凛が頷くと、礼央は深いため息を吐いた。
「別に女嫌いなわけじゃない。ただ、あまり得意じゃないだけで」
どちらかと言うと嫌悪感より苦々しい色を感じて、凛は首を傾げた。
「母親が、俺が子どものころに知らない男と出ていったんだよ。だから女の考えることはよくわからねえって思って生きてきた。父親とはそんなに長く一緒に過ごしたわけじゃないが、出て行かなきゃならないほど酷い人間だったとは思えない。確かに貧しかったが、きちんと働いていたし。まあ出て行った母親がついていった男は、大金持ちだったらしいけどな」
「お母さんの行動は、礼央さんたちにお金を工面するためだったり……」
「だったら俺は捨てられてねえよ」
「……ですよね」
「その後、父親も流行病で死んでな。兄弟が何人かいて、まとめて親族に引き取られたんだが、売れそうなやつから売られて、今に至るってわけだ」
「そうだったんですね……」
「親族の家に残った兄弟は、まだ貧しい暮らしをしているらしい」
だからインセンティヴを欲していたのだろうか。
「仕送りをしてるんですか?」
「まあな。トップになっても大して金は使わねえし」
「そうだったんですね……」
確かに、寮でほぼ毎日本番と稽古を繰り返している生活だ。使おうと思わなければ、お金は貯まっていく一方だろう。
実際、これまでの劇団員たちも、引退後は在団中に稼いだ金で余生を過ごせる、と話していた。
「母親がいたら星屑には入ってなかっただろうから、今となっては何も思っちゃいないが。いつか俺がトップになったからと言って名乗り出てきたら、斬って捨てちまうかもな」
「それは困ります! トップスターが傷害事件なんて」
凛が口を挟むと、礼央はまた小さく笑った。
「じゃあ俺が変な気を起こさないように、お前が見とけよ」
そう言った礼央は、真っ直ぐに凛を見つめた。
澄んだ瞳に、驚いた表情の自分が映っているのに気づいて、凛は息を呑んだ。
「……まあ、劇団のために、そうしますけど」
「なら安心だな」
礼央が口元に薄い笑みを浮かべて凛を見つめる。その目線を受け止めながら、凛はわざとらしくため息を吐いてみせる。
「ま、あとは寮の部屋にまで侵入してこようとする極端な女のファンが気に入らねえってだけだな」
「え、そんな人いるんですか」
「いる。警備を強行突破する奴とか、窓に石投げてくる奴とか、若手劇団員の彼女のふりして潜り込もうとする奴とか……」
げっそりした顔で続ける礼央に、凛もさすがに同情せざるを得なかった。
というか、劇団として対応するべきじゃないだろうか。行き過ぎたファンのマナーについては、転生前もさんざん問題視されているのを見てきた。
「もっと早く教えてくださいよ……。劇団として放っておけない問題じゃないですか」
「藤吉さんは自分の身は自分で守れっていう教えだぞ」
そういうところは、古風らしい。しかし劇団員は大事な大事な存在なのだ。
これは藤吉にも忍にも強く提案しよう、と凛は決意した。
「ん……んん……」
と、突然眠っていた藤吉が身じろぎをして、凛も礼央も立ち上がった。
覗き込むと、これまでぴくりとも動いていなかった藤吉が、かすかに顔を動かしている。
「お祖父ちゃん!」
凛は必死に声をかけた。
変わらず「ん……」とかすかな声を上げながら身をよじろうとしている。凛はその手を取って、呼びかけ続けた。
「先生を呼んでくる」と言って、礼央が病室を飛び出していく。
弱く、けれど確かに、握った手に力が込められて、凛の目からは涙が伝った。
「お祖父ちゃん、お願い。起きて……。一人にしないで……」
一人残された病室に、凛の本音が溢れる。その声は小さかったけれど、確実に礼央の背にも届いていた。