放課後。生徒指導が終わった大和、武、百合の三名は、ぐったりとした様子で生徒指導室を出た。
「さすが進学校……厳しいな……」
「そうですね。
「だから……僕は迷子じゃないって……」
そう言う武は、忌々し気に大和を見つめた。しかし大和は、その視線に気付かない。
「ま、終わったことだしもう気にしなくていいだろ!」
「まあ、なんて前向きなのでしょう。さすが大和様ですね」
百合の熱い視線にも気付かない大和だったが、足元をすり抜けていく黒いなにかに気付いた。それは埃の塊にも見えたが、雲のように流れていく様を見ると煙のようにも見えた。
「なんだ……?」
視線で追い、振り向く。振り向いた先にはちょうど窓があり、夕方になりつつある空が見えた。
カラスが不自然に多く飛び、学校の周辺に生える木がざわめいている。その木の隙間をよく見てみると、何かが自分を見ていることに、大和は気付いた。
「うわっ!」
木々の隙間から自分を見ている無数の目に驚き、大和は尻もちをつく。
「大和様⁉」
心配した百合が駆け寄り、その背中を支えた。
「どうされたのですか? どこか、痛いところでも?」
百合の心配する声を聞きながら、大和は何度か瞬いて再び木々の合間に居る何かに目を向けた。瞬いているうちに消えたのか、木々の間には何も見えない。ただ向こう側の空が見えるだけで、何もいなかった。
「……」
一方で、武も大和と同じ場所を見ていた。だが武には、無数の目は見えていない。
「……いや、大丈夫。なんか……いや、なんでもない」
大和は百合の力を借りず、一人で立ち上がる。迎えの車が来ているから家まで送ろうかという百合の言葉も丁重に断り、大和は帰路へと着いた。武は、いつの間にかその場からいなくなっていた。
(……あんなの、久々に見たな)
まだぞわぞわとする腕をさすりながら、大和は足早に家へと向かっていた。すれ違う人々の中に、人ではない何かがいるような気がしたが、愛すべきヒーロー作品の主題歌を聞くことで気にしないようにしていた。
何事もなく家へと帰ると、夕飯の支度をしている母、伊奈がキッチンから顔を出した。
「おかえりー……って、なんか顔色悪くない? 大丈夫?」
「大丈夫! 久々に見ちゃっただけだから」
「……オバケ?」
伊奈の問いに、大和は頷く。
「しばらく見てなかったのに……あんた、本当に大丈夫?」
「大丈夫だって! でも……少し、休みたいかも」
「うん、夕飯までまだ時間あるから、寝てなさい」
伊奈の言葉に従い、大和は自室へ戻るとベッドへ横になった。すぐに携帯機器を取り出すと、その画面に大好きなヒーロー作品であるバリアマンを映し出す。
バリアマンは特殊なバリアを張る能力を持ち、それらを駆使して闇の軍団から世界を守るヒーロー作品だ。大和は、バリアを纏った青白いスーツ姿を特に好んでいる。その姿でいるバリアマンを見るために、戦闘シーンは特に見返していた。
「バリアマンは強くてかっこいいなあ。俺もこんなふうになりたいのに」
そんなことを願うようになったのは、いつの頃からだっただろう。遠くを見るように考えながら画面を見ていると、だんだんと瞼が重たくなってくる。
身体が疲れているせいもあるのだろう。大和の瞼はあっという間に閉じていき、簡単に夢の世界へと誘われていった。
子どもの頃、大和は公園で大きな木の棒を見つけた。それは大和の手のサイズによく合い、しっかり振るえるものだった。
『おとーさん! みて! これならオバケもやっつけられそう!』
しかし、父は傍にいない。それどころか、公園には誰もいなかった。
『おとーさん?』
呼びかけるも、返事はない。すると、大和のすぐそばで黒いもやが渦を巻いた。そして、それはかぎ爪を持った生き物のような、奇妙な姿になった。
『出たな、オバケめ! やっつけてやる!』
木の棒を必死に振るう大和。しかし黒いもやは木の棒をすり抜けさせ、当たっている感触がない。
棒を振るっているうちに、大和は転んでしまった。膝をすりむき、じんわりとした痛みに涙が溜まり、動きが止まる。
それをチャンスだとばかりに、黒いもやはかぎ爪を振りかざした。だが、それが大和に振るわれることなく、黒いもやは消えていく。
大和が顔を上げると、場面は変わっていた。父、
『ヒーローなど、くだらないものに憧れるのはやめろ。それよりも勉強をして世界を知れ。その方がお前のためになる』
大和は立ち上がる。その姿は幼少期の頃の姿ではなく、現在の学生の姿だった。
「なんで親父はそんなにヒーローものを嫌うんだよ……昔は見るのを許してくれたじゃん」
『ヒーローなど、くだらないものに憧れるのはやめろ。それよりも勉強をして世界を知れ。その方がお前のためになる』
景行は同じことを繰り返すばかり。大和は全身の血が湧き出るような感覚に襲われ、景行へと詰め寄る。
「だから! なんでだよ! 理由を説明しろよ!」
途端に、景行の表情が歪み、苦しそうで悲しそうな眼を見せた。
『大和、わかってくれ。父さんは……』
その表情に怯んだところで、後方から声が聞こえてくる。
『……い』
振り向くと、誰もいない。また向き直るも、景行の姿も、テレビもなくなっていた。
『……来い』
「……誰?」
問いかけると、暗闇に眩い光が現れる。思わず手をかざしながら光を見やると、その先に人影が見えた。
『来い……お前の力が必要だ……来い……来るんだ!』
大和は、ガバっと身体を起こした。全身が汗にまみれている。携帯機器は充電が残りわずかだと知らせながらも、バリアマンを映し続けていた。
窓を見てみると、すでに夜が訪れていた。家の中からは何も音が聞こえない。時計を見ると、時刻は深夜零時を示していた。
「……誰が呼ぶのか知らねーけど」
大和は汗だくになった服を着替えると、部屋を出た。階段をそろりそろりと降りても、リビングには誰もいないようだ。ダイニングテーブルの上には、伊奈が残しておいてくれたであろう夕食の残りが、ラップにかけられて置かれていた。
夕食であった唐揚げを一つだけつまむと、大和は外へ出た。春先の冷たい夜風が首を撫で、学校の方面へと抜けていく。
「行けばいいんだろ……学校に!」
根拠はない。夢を信じる理由もない。
しかし大和は、走らねばならないと感じていた。