「ここが、今のコーガス家の屋敷か……」
囲いと呼べるかも怪しい囲い。その内側には家庭菜園っぽい畑。そしてそれに囲まれる様に建つ、まるで幽霊でも出て来そうなボロボロの二階建ての、辛うじて屋敷と呼べなくもない建物。
それが俺が調べて見つけ出した、今現在、コーガス侯爵家が暮らす屋敷である。
くっ……
かつての輝かしかった時代の栄光を失った見すぼらしい住処に、冗談抜きで泣きそうになってしまう。人間、年を取ると涙腺が緩くなる。そういや俺、実感はないけど、もう130歳なんだよな。ま、そんな事はどうでもいい。
「失礼します」
俺は大きな声で、囲いの外から声をかけた。見た目はともかく、そこは貴族の暮らす屋敷の敷地だ。勝手に入るのは失礼にあたる。
「あん、どちらさんだい?」
暫くすると扉が開き、髪を後ろでまとめた60代ほどの女性が姿を現した。第一コーガス人発見! と言いたい所だが、彼女は違う。
ここに訪れる前に、コーガス家の情報は可能な限り仕入れて来ている。現在のコーガス侯爵家は16歳の姉と、13歳の弟の二人のみ。どう見てもその二人には当てはまらないので、彼女はこの屋敷の使用人って所だろう。
「わたくし、タケル・ユーシャーと申します」
此方へとやって来た使用人の女性に、俺は偽名を名乗った。いきなり現れた相手が、コーガスの名を名乗っていたら怪しまれてしまうからだ。
え? 勇者ならそうハッキリと名乗ればいい?
うん、無理。この世界の人間の寿命や老化は地球とほとんど変わらない。なので見た目二十台の俺が、自分は百年前の勇者ですとか名乗ったら、頭のおかしい気違いだと思われてしまう。
力を見せてやればいい? その場合も、とんでもない力を持った頭のおかしい奴と思われてしまうのが落ちだ。
危険な奴に目を付けられたとか思われたら、警戒されるどころか、下手したら恐怖の対象になりかねない。なので、ある程度信頼を得るまでは力を隠しておくつもりである。
「タケル・ユーシャー?」
使用人の女性が俺の名を聞き、『あんた誰?』って感じの胡散臭い物を見る様な目を向けて来る。
「はい。タケル・ユーシャーです。このコーガス侯爵家に仕える為やってまいりました。ですので、家主様にご挨拶させて頂きたいのですが」
「はぁ!?この家に仕えるだって!?あんた何馬鹿な事言ってんだい!」
俺の言葉に、使用人が言葉を荒げた。まあ、没落しきったコーガス家に仕えに来たとか聞かされれば、その反応も無理はないだろう。俺が逆の立場でも『何言ってんだこいつは?」ってなるだろうし。
「この家に人を雇う金なんてある訳ないでしょうが!お嬢様方を騙そうって気ならこの私が黙っちゃいないよ!!」
使用人のおばさんが、顔を真っ赤にして怒り出す。誤解とは言え、こうやってコーガス家の為に本気で怒ってくれるって事は、情報通りって事だな。
使用人の女性――バー・グランは信頼できると俺は判断する。少なくとも敵ではないだろう。
こんな風に、信頼できるかどうか考えるのには訳がある。実はバー・グランは、コーガス家が雇っている使用人ではないのだ。彼女は、コーガス侯爵家の分家筋にあたるコーダン伯爵家の雇った使用人である。伯爵家が態々こうやって人手を派遣してくるのは、落ちぶれた侯爵家への援助のためだ。
だが――
援助と聞くと、コーダン伯爵家は味方の様に聞こえるかもしれない。けど実際は、味方とはとても呼べない間柄となっている。そもそも本気で援助する気なら、もっと色々と出来る事があるはず。にも拘らず、伯爵家からの援助は使用人のおばさんが一人寄越されただけ。
その事から、この微々たる援助が、元々の立場が逆転した本家に対する優越感に浸るための
そしてもちろん、そんな家の事は信用できない。これからコーガス家の再興を行うにあたって、最悪敵に回る可能性すらあり得る存在だからな。一応警戒してく必要がある。だから確認する必要があったのだ。そこから送られて来た人間が、どういう人物かを
「落ち着いてください。私は至って大まじめです。決して
「……その言葉を私に信じろってのかい?」
俺が慌てず冷静に対応した事で、バーさんが落ち着きを取り戻す。とは言え、疑いの眼である事には変わりないが。
「手土産もお持ちしています」
俺は魔法で亜空間にしまってあった高級なお菓子を取り出し、それを彼女に見せた。
「こ、これは!スイートハウスのデラックスクッキーじゃないか!こんな高い物を……」
お菓子ではあるが、侮るなかれ、これがなかなかお高い代物となっている。コーガス家を訪ねるのに、安物のお菓子なんて持参出来ないからな。
「いやいやいや!それよりも、あんた魔法を使えるんだね。いったい何者だい」
お菓子で一瞬気が緩みそうになったバーさんだが、俺が魔法を使った事でそれが帳消しになってしまった。
ミスったな……
この世界には魔法があるが、それを扱えるのはごく一部の才能があるものだけとなっている。なので魔法が使える者は、その能力故、厚遇される傾向にあった。そのため、通常であれば、魔法を扱える人間が態々没落した貴族家に仕える理由などないのだ。
「言っとくけど……いくら相手が魔法使いだろうと、アタシの目が黒いうちは二人には手出しはさせないよ。こう見えてあたしは体術の達人だからね」
バーさんが、シャドーボクシングの様な動きで俺を威嚇して来る。こういう場合はハッタリというのが相場のだが、彼女の動きは冗談抜きで訓練された物のそれだった。しかも俺の知っている、比較的有名な。
「その動き……元神官戦士だったんですね。それも相当な腕前の」
「分かるかい」
バーさんが俺の言葉にニヤリと笑う。
――神官戦士。
この大陸の宗教は小さなカルト系を除けば、アビーレ神聖教一強状態だ。そして神官戦士というのは、そのアビーレ神聖教の戦闘部隊を示している。
え? 何で宗教が武力なんか持ってるのかだって?
この世界には魔物が居るからな。アンデッドなんかも。要は、対アンデッド部隊って事だ。まあとはいえ犯罪者の取り締まりなんかもするので、対人戦も視野に入れた戦闘術ではあるが。
しかし、適当に雇われたと思われる使用人が何でそんな経歴を……謎だ。
「主人に対する客人を、勝手にあたしの判断で追い出す訳にも行かないから一応客室には通すけど……いいかい。下手な事は考えるんじゃないよ」
「肝に銘じます」
バーさんの案内で俺は客室に通される。
幽霊屋敷の様な外観に対し、屋敷の内部はそこまで酷くはなかった。清掃が行き届いているためだろう。まあとは言え、やはり貴族の住む様な物件でない事に変わりはないが。
「よく手入れされているんですね」
これはけっして嫌味ではなく、彼女の働きぶりに対する素直な賞賛の言葉である。普通なら、他所の貴族の自尊心を満たすだけに雇われた使用人がここまで熱心に仕事をするなんて事、まずないだろうからな。この点から、バーさんの真っすぐな性格が良く分かる
「まあね。あたしはこの家を綺麗にする事と家庭菜園ぐらいしか、あの二人にはしてやれないからね。そりゃ気合を入れるさ」
「ありがとうございます」
俺はそう言って頭を下げた。これも心からの言葉だ。彼女という存在が、きっとこの屋敷に住む姉弟にとって大きな救いになっているはずだから。
「急になんだい、あんた。あたしは礼を言われる様な事はしてないよ」
「気にしないでください」
「あんた、顔は良いけどなんか変わった性格してるねぇ。ま、今お茶を入れて来るわ。まってなさい」
出されたお茶はびっくりするほど薄かった。まあ今のコーガス家の財政状況では仕方のない事だろう。
「お待たせしました」
そして程なくして、コーガス家の人間が帰って来た。