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19.僕じゃダメかな?②

 そう分かってはいても、ザワザワとした不安な気持ちに突き動かされるように、大葉たいようは気持ちばかりがいてしまうのだ。



 やっとの思いでエレベーターに乗って七階へたどり着いて――。


 数メートル先の羽理の部屋を見遣れば、ドアがほんの少し開いていて、扉に挟まるようにして立つスーツ姿の男が見えた。


 あろうことがその男が、「僕じゃ恋人候補になれないかなって……そういう……意味……なんだけど」とか羽理うりに迫っている様子ではないか。


 大葉たいようは思わず手にしていた荷物をその場へ全部放り出すと、中途半端に開いていたドアをガッと開いて。


生憎あいにくだが、こいつはもう俺んだから!」


 羽理に告白している人物が誰なのかも確認しないままに二人の間へ割り込むように分け入ると、大葉たいようは羽理をグイッと腕の中に閉じ込めてそう宣言していた。


「ひゃっ、たいようっ!?」


屋久蓑やくみの部長っ!?」


 羽理がオロオロと大葉たいようの名を呼んだのと、眼前の男――倍相ばいしょう岳斗がくと大葉たいようの名を呼んだのとがほぼ同時で。


 大葉たいようはそんな二人を見詰めて、「何で倍相ばいしょう課長が羽理の家にいるんだ!」と叫ばずにはいられなかった。



***



「と、とりあえず、どうぞ」


 結局立ち話も何だし、という妙な流れになって。


 三人して羽理うりの部屋のリビング。例の猫耳付きテーブルを囲んでひざを突き合わせている。


「あ。――け、ケーキ! 倍相ばいしょう課長からケーキを頂いたのでお出ししますねっ」


 自宅のはずなのに、まるで会社にいるみたいな……何とも落ち着かない空気に居た堪れなくなった羽理は、先程岳斗がくとからもらったばかりのケーキのことを思い出してポンッと手を叩いて立ち上がった。


「あ、でもあれは……」


 慌てたように背後から岳斗が声を掛けてきたけれど、逃げるように立ち去った羽理は、猫みたいな素早さでキッチンへ置き去りにしたままだったケーキの箱と、皿を三つ手にして戻ってきた後で。


 それを見た岳斗が口を開くより先。

 ふと羽理の手元を見た大葉たいようが「羽理。フォークがねぇーと食えんだろ」と言っていた。


「あっ」


 その指摘に、羽理が口に手を当てて『しまった!』と言う顔をして立ち上がろうとするのをポンポンと頭を撫でて制すると、大葉たいようが「ヤカン。火に掛けてくるついでに俺が取って来てやるから。お前は座って倍相ばいしょう課長とケーキ選んどけ」と立ち上がって。


 そんな二人を交互に見つめた岳斗が、「まるで夫婦ですね」とつぶやいた。


「ふ、夫婦っ」


 途端ブワッと赤くなってしまった羽理と、何も言わず得意げな顔をした大葉たいようを見て、岳斗は小さく吐息を落とさずにはいられなかった。



***



「――実はね、箱の中のケーキ、二つしかないんですよ」


「ふぇっ!?」


 キッチンへ立ち去った大葉たいように聞こえないよう、さっきから伝えたかったことを小声で告げた岳斗に、羽理うりが可愛らしくも間の抜けた声を出した。

 それがおかしくて思わず笑ってしまった岳斗がくとだ。


 岳斗が持参したケーキは、元々羽理のために買ってきたお見舞い品だ。


 自分が食べる予定などなかったし、もっと言うと羽理の家に羽理以外の誰かがいると言う想定もしていなかった。


 店頭では二個とも『荒木あらきさんが喜んでくれたら』と思って選んだものだったのだが――。


(もちろん、あわよくば『一緒に食べませんか?』って誘ってもらえたら嬉しいな?くらいの下心はありましたけど……)


 そんなことを考えながら、箱の中を覗き込む羽理をちらりと盗み見れば、むむぅっと真剣な顔をしてケーキを睨みつけている。


 それがたまらなく愛らしく見えてしまって、岳斗がくとは余計に辛かった。


(ホント可愛いなぁ)


 そう実感させられると同時、(どう考えても今更僕になびいてくれるなんてないだろうなぁ)と、先程の大葉たいようとのやり取りを見て入り込める余地がなさそうなことにガックリきたのを思い出す。



***



「何だ、まだ選んでなかったのか」


 ややして紅茶をれてきたらしい大葉たいようが、アールグレイとおぼしき華やかな香りをさせながら戻ってきた。


(あれ? うちに紅茶なんてあったかな?)


 ふとそう思った羽理うりだったけれど、大葉たいようのことだ。

 おそらく沢山持ってきた荷物の中にそんなものも忍ばせていたんだろう。


 ここへきてすぐ、岳斗がくとから恋人候補にして欲しいと迫られている自分を見て慌てた大葉たいようが、車から取ってきたはずの荷物を玄関先へ放り出していたのを思い出した羽理は、今はその大半が空っぽだった冷蔵庫の中に納まっていることを知っている。


(あ……。そういえば私っ、課長の前で大葉たいように抱き締め……)


 思い出したら、大葉たいようたくましい腕の感触や力強さ、ふわりと香ってきた心地よい体臭や彼の温もりまでよみがえってきて『キャー!』と照れ臭くなってしまった。


「お前は……。ケーキを覗いて何をそんなにもだえてるんだ」


 手にしていた盆を、重ね置かれたままの空っぽの皿の横に置くなり、大葉たいようが羽理を見て眉根を寄せる。


(そ、それはあなたがっ)

 と抗議したいけれど、言えば墓穴を掘りそうなのでグッと気持ちを切り替えた羽理だ。


 そうして改めて箱の中を見つめて……。

 つい今し方まで頭を悩ませていた大問題を口にした。


「だってだって大変なんです! 箱の中にケーキ、二つしか入ってないんですよぅ! 三人で二つのケーキをどう分けたら!?ってなるじゃないですかぁぁぁ!」


 百面相のようにコロコロ表情を変えながら発せられた羽理の悲痛な声音に、さすがに申し訳ない気持ちになってしまったんだろう。

 岳斗が、「すみません。もっとたくさん買って来ればよかったですね」とつぶやいて。


 羽理はしゅんとした岳斗の様子に、「あああっ! ごめんなさいっ! 私、別に課長を責めたかったわけでは!」とオロオロした。


「そんなの、倍相ばいしょう課長だって分かってるから落ち着け。――課長も……元々羽理のために買ってきたもんだったんだろう? ややこしくなるから謝るな」


 そんな二人の様子に小さく吐息を落とした大葉たいようが、見慣れた上司の顔でサラリとそう告げると、羽理の横へしゃがみ込んだ。


「で、羽理。お前は正直な話、どっちが食いてぇわけ? せっかくお前のために倍相ばいしょう課長が買ってきてくれたんだ。遠慮せず言ってみ?」


「私は……」


 大葉たいようの言葉に、羽理うりが真剣に箱の中を睨みつけて……。

 結局「わーん、どっちも美味しそうで選べませんよぅ!」とを上げるから。

 大葉たいようは思わずケーキを買ってきた岳斗と顔を見合わせると、ぶはっと吹き出した。


「選べねぇんなら仕方ねぇな」


 言って、羽理の手から箱をサッと取り上げると、ふたをしてしまう。


「えっ!? あ、あのっ、大葉たいよう!?」


 大葉たいようは羽理が眉根を寄せて不満そうに見上げてくるのを無視して、「なぁ倍相ばいしょう課長、別にケーキなくても構わねぇだろ?」と岳斗への質問でかわして。

 岳斗がクスクス笑いながら「もちろんです」と答えた。


 そんな男衆ふたりに、「で、でもっ。何か申し訳ないですっ」とソワソワする羽理に、ケーキの箱を冷蔵庫へ仕舞い終えた大葉たいようが「いや、お前からケーキ取り上げる方が申し訳ねぇわ! 後から一人でじっくり味わえ」と返して、岳斗もそれに被せるように「元々荒木あらきさんに買ってきたモノだから。気にしないで?」と微笑む。


 結局、出してあった皿も仕舞われて、三人の前には大葉たいようれて来てくれた、ベルガモットの香りがふぅわりただよう、上品なアールグレイティーのみが残った。



***



羽理うり、お前、あれだ。客用のティーカップとかないのは結構問題だぞ?」


 大葉たいようがそう言ったのも無理はない。


 何しろ、いま三人の目の前で飴色の液体がゆらゆら揺蕩たゆたっているのは、三者三様のマグカップの中で。


 どれも猫柄なことだけは共通していた。



「だって……お客さんが来ることなんて滅多にないんですもの」


「にしても、だ。気ぃ抜き過ぎだろ」


 会社では凛とした美人……と言った様相の羽理うりなのに、家での脱力っぷりは凄くて。

 こんな風に持ち物にもそういうのが出てしまっているのが、実は大葉たいよう的にはたまらなくツボなのだ。

 だが、何となくそれを目の前の倍相ばいしょう岳斗がくとには気付かれたくないと思っていたりする。


 それでつい、小姑こじゅうとのようになってしまったのだけれど――。



 それに気付いているのかいないのか。


荒木あらきさんは本当に猫グッズがお好きですよね」


 オッドアイの白猫が描かれたカップに優雅に口を付けながら、岳斗がくとがのほほんとした雰囲気で言って。


 目つきの悪い不良っぽい黒猫が描かれたカップを手にしたまま大葉たいようがそんな岳斗の真意を探るみたいにじっと彼を見詰めた。


 ふわふわのペルシャ猫が仰向けに寝っ転がったマグを両手で包み込むようにしてそんな二人を交互に見遣りながら、羽理は何となくピリピリした空気を感じて落ち着かない。


「僕はがどんなカップでおもてなししてくれても気にしませんよ?」

 ふふっと笑って「屋久蓑やくみの部長はお家でも厳しいですね~」と付け加えた岳斗からは、大葉たいようへの牽制けんせいっぷりがありありとにじみ出ていて。


「ま、羽理はすぐにから関係ねぇけどな」


 大葉たいようの返しもまた、それに勝るとも劣らないブリザードっぷりだった。



「あ、あのっ! ……紅茶っ! すっごく美味しいですねっ!?」


 二人のピリピリしたムードに耐え切れなくなった羽理が、紅茶を褒めてマグを口元に持って行ったのだけれど。


あつっ」


 動揺のあまり、よく冷ましもせずにコップを傾けてしまった。


「大丈夫か!?」

「大丈夫ですか!?」


 途端、二人から滅茶苦茶心配されて、居た堪れなくなった羽理だ。


「へ、平気へーきです、ので」


 ちやほやされ過ぎて、何だか落ち着かない。

 慣れないことに所在なくうつむいたら、変な沈黙が落ちて――。



***



「で、倍相ばいしょう課長。今日は何をしにここまでいらしたんですか?」


 そんな気まずい沈黙を破ったのは大葉たいようだったのだが。

 発せられたセリフは決して雰囲気が良くなりそうな話題ではなかったから。

 羽理うりの緊張は絶賛継続中のままだ。


「何って……。見てわかりませんか? お見舞いですよ。実はどこかの誰かさんの浮気疑惑のせいで、今日は彼女、会社ですっごくしんどそうだったんです」


 それに対する岳斗がくとの返しも、いつもののほほんとした空気感はどこへやら……なギスギスしたものだったから、羽理はますます針のむしろの上に座らされているような気分におちいってしまう。


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