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19.僕じゃダメかな?③

として、早退させたのことを気に掛けるのは当然のことでしょう?」


 岳斗がくとの言葉に羽理うりがソワソワと顔を上げたら、岳斗が「ね?」と付け加えてニコッと微笑んだ。


 羽理は春風のような岳斗の笑顔と、北風のようにムスッと不機嫌そうな大葉たいようの顔とを交互に見比べて。


 そこでふと思い出したように「あ……」とつぶやくと、

「そう言えば倍相ばいしょう課長! あの受付けで見た綺麗な女性ひと! たい……じゃなくて……えっと……や、屋久蓑やくみの部長のお姉さんだったんです! 心配なさったような〝カノジョさん〟とかじゃありませんでした!」

 そう打ち明けたのだけれど。


 それを聞いた大葉たいようが、一瞬だけ鋭い視線を投げ掛けてから何か言おうとして。

 でもあえて気持ちを切り替えるみたいに視線を羽理へ戻すと、不機嫌そうに「おい、羽理。俺の呼び方」と異議申し立てをしてきた。


 羽理は大葉たいようの態度に違和感を覚えたのだけれど、すぐにそんな大葉たいようのセリフに重ねるようにして、

「わざわざ言い直さなくても大丈夫ですよ?」

 クスッと笑った岳斗から「けど……会社では気を付けてくださいね?」と指摘されて、小さな引っ掛かりがポンッと吹っ飛んで行ってしまう。


「あ、はい! ……あ、有難う、ござい、ます……?」


 今まで散々岳斗の前でも無意識に〝大葉たいよう〟呼びをしていた羽理だったけれど、改めてその呼び方を肯定されると何だか照れてしまうではないか。


 お礼を言うのも違うよね?と思いながらも、つい「有難う」を言ってしまった。


「何で礼……」


 わざわざ掘り下げなくてもいいのに、すかさず大葉たいようが突っ込みを入れてきて、ついでのように「ところで倍相ばいしょう……」と、こちらはとうとう敬称も役職名もなしで呼び掛ける。


「何でしょうか?」


 そこで大葉たいようはふと思い出したように自分のすぐかたわらで、こちらの会話に耳をそばだてている羽理を見詰めると、無言で立ち上がって羽理が道中羽織っていたブランケットを手に戻ってきた。

「――羽理。さっきから気になってたんだがな。足、寒いだろ? もうちっと丈の長いズボンを履いて来い」

 言って、手にしていたブランケットを、羽理の太ももが隠れるようにばさりと落とした。



***



 大葉たいように指摘された羽理うりは、今やっと気が付いたと言う風に自分の格好に目をやって。

 ハッとしたように岳斗がくとを見詰めてから真っ赤になる。


「きっ、着替えてきます!」


 ギュウッとブランケットの前を閉じるように布地にくるまって、ワタワタと脱衣所の方へ走って行く羽理を見送ってから、岳斗がポツンとつぶやいた。


「――もしかして彼女の肌を僕に見られるのが嫌だったんですか?」


 クスッと笑いながら「けどちょっと遅かったですね。もうしっかり見ちゃいました」と付け加えた岳斗がくとに、大葉たいよう憮然ぶぜんとした表情で、「頭ぶん殴って記憶喪失にしてやろうか」と、聞いたことのないような低い声で不穏ふおんなことを言う。


 岳斗はそれに肩をすくめて見せると、

「――冗談はさておき、今更羽理ちゃんの露出度を指摘して彼女を追い払うような真似までして、僕に言いたいことは何ですか?」

 気持ちを切り替えるように居住まいを正すと、こちらも低音で問い掛けてきた。


 大葉たいようはそんな岳斗をじっと見据えると、

「お前、柚子ゆずが俺の姉だって知ってたはずだよな? なのに……何でわざわざガセの情報を流して羽理を不安にさせた?」


 岳斗がくと大葉たいようがまだ財務経理課長をしていた頃、柚子ゆず土恵つちけい商事に顔を出したところに居合わせたことがある。

 今更しらばっくれるのはおかしいだろ?と言外に仄めかせつつ、さっき羽理から聞いた言葉でそこが引っかかったのだと大葉たいようが言えば、「何だ、そんなことでしたか」と岳斗が何でもない風に吐息を落とした。


「分かりませんか? 僕が吹き込んだデマでお二人の仲がこじれて、あわよくば別れてしまえばいいのに、と思ったからですよ」


「そんなくだらない理由で……お前は羽理を傷付けたのか?」


「うーん、僕としては羽理ちゃんを傷付ける気はなかったんですけど……。まぁ結果的にはそうなっちゃいましたね」


 だからこその意味も込めてケーキを買ってきたのだと――。


 岳斗が悪びれた様子もなくそんなセリフを付け加えた途端、大葉たいようは岳斗の胸ぐらを掴んでいた。


 そのままグイッと腕を引くようにして岳斗の方へ身を乗り出すと、

「どんな理由があろーとアイツを傷付けて平気なやつに、羽理は渡さねぇよ。――しっかり覚えとけ、サイテー野郎」

 岳斗の耳元でそう牽制けんせいして、スッと離れた。



***



「……大葉たいよう?」


「んー? 着替えたか?」


 上のパーカーはそのままに、長ズボンに履き替えてきた羽理うりを見て、大葉たいようが満足げに微笑んだ。


 だが、羽理は大葉たいようとは対照的に困惑顔のまま。


「あ、あの……。今、倍相ばいしょう課長とすっごく、すっごく! くっ付いてなかったですか……?」


「あー、見られちまったか。ま、気にするな。羽理には内緒で男同士のイケナイ話をしてただけだから。――そうだよな? 倍相ばいしょう


「はい。〝大葉たいようさん〟と、ドキドキするような時間を共有していただけです」


 どこか上気したような顔で、岳斗がくと大葉たいようをうっとりと見つめるから。


 羽理は何だか余計にそわそわしてしまう。


(ちょっ、もしかしてコレ。『皆星ミナホシ』で連載中の、『あ〜ん、課長っ♥ こんなところでそんなっ♥』のヒロインのライバル役を男性に置き換えなきゃいけないんじゃないの!?)


 なんてことを思ってしまうような……そんな雰囲気なのだ。


大葉たいようにその気がなさそうなのがせめてもの救いだけど)


 これで大葉たいようにまでそんな雰囲気を醸し出されてしまったら、羽理の立つ瀬がない。



***



 まさか羽理うりBL展開そんなことを心配されているだなんてこれっぽちも思っていない大葉たいようは、急に岳斗がくとから「大葉たいようさん」だなんて呼ばれて、ポーカーフェイスのまま実はゾワリと全身に鳥肌を立てていた。


(な、何なんだっ、いきなり!)


 口裏を合わせてくれたのは有難いが、妙に親密な空気をかもし出されて――。


 さっきまで羽理を挟んで火花バチバチだったはずなのに何事だ?と思わずにはいられない。


(俺が羽理にヤツの悪事をバラさなかったからか?)


 ただ単に、大葉たいようとしては羽理が敬愛している上司さまのイメージを崩すのは忍びないと思っただけだったのだが。


 信頼している倍相ばいしょう岳斗がくとが、まさか自分をおとしいれるような嘘をついただなんて知ったら、羽理が傷付く。

 それだけは何としても避けたかった。


(俺は羽理が悲しい思いをすんのは嫌なんだよ)


 本当にただそれだけだったのだが――。


 案外大葉たいようは、目の前の男から弱みを握られたとでも思われて絶対服従の権利を得てしまったのかも知れない。



***



 倍相ばいしょう岳斗がくと屋久蓑やくみの大葉たいよう荒木羽理こいびとのために本気で怒る姿を見た瞬間、電撃が走るような衝撃を覚えた。


 今まで自分に対してこんな風にあからさまに牙を剥いてきた相手はいなかったし、ましてやそれが全て愛しい彼女のためとか。


(かっこよすぎでしょう、屋久蓑やくみの大葉たいよう!)


 今でも大葉たいようが耳元でささやいてきたバリトンボイスが岳斗の脳内を侵食している。


 何だかよく分からないが、今までいけ好かない人間でしかなかったはずの屋久蓑やくみの大葉たいように、敬愛の情がわいてきてしまって。


 気が付けば、つい無意識に〝大葉たいようさん〟と親しみを込めて呼んでしまっていた。


(ああ、この感情、何て言うんだろう……)


 羽理うりと話している大葉たいようをぼんやりと見つめて――。


(あんなに気を遣われて。……羽理ちゃん、なぁ)


 無意識にそう思ってから、岳斗はハッとする。


(いや、いや、いや! ちょっと待って?)


 いつの間にか岳斗の中で、屋久蓑やくみの大葉たいようはただの上司ではなく、〝人として(?)かなり好き〟な対象に設定されてしまったっぽい。


 大葉たいようの性的対象は絶対に異性で、自分だってそのはずなのに。


(ズルイ、はどう考えたっておかしいでしょう!)


 今の考えは、バグとしか思えない。


(そうだ。この感情は……憧れに違いない!)


 きっと、自分もあんな男になれたらな?と言う思いが上手く処理しきれなくて、恋愛感情に誤認されかけているだけに違いない。


(ちょっと気持ちの整理が必要だな。……家に帰って一旦頭を冷やそう)


 岳斗は小さく吐息を落とすと、そう結論づけた。



***



 大葉たいようの、本気のおどしがきいたんだろうか。


 あのやり取りの後、岳斗がくとはやけにあっさりと立ち上がって。


「じゃあ、僕、そろそろ帰りますね」

 そう言ってどこかうれいを帯びた表情で微笑んだ。


 そうして玄関を出る間際まぎわ、「あのっ! い、色々ありましたけど……僕はに敵意はありませんのでそこだけは誤解しないで頂きたいです。それから……お役に立てるかどうかは分かりませんが、困ったことがあったらいつでも相談して下さい。お力添えいたします。……あ、もちろん羽理うりちゃんも」と、まるで今までは最優先事項だったはずの羽理へ愛想笑いをするから。



 後に残された羽理うりとふたり。

 大葉たいようは岳斗の余りの変わり身に戸惑わずにはいられなかったのだが。


「うー。何だかモヤッとします。倍相ばいしょう課長ってば、まるで大葉たいように恋しちゃってるみたいなんですもん」


 羽理が唇をとがらせてポツンとそんなことを言うから、思わず「はぁっ!?」と頓狂とんきょうな声を上げてしまっていた。


「い、いや……どう考えてもそりゃねぇだろ」


 大葉たいようの言葉に、羽理は「え? ありますよ! あの表情は絶対フォーリンラブですもん! 気付けなかったとしたら……大葉たいようが鈍すぎるからです!」とか。


「いや、お前がそれを言うか!?」


 今まで散々頑張ってきた自分のアプローチを羽理にそでにされまくってきた大葉たいようが、思わずそう返したのも無理はない。



(そもそも男同士でそんな……。俺もアイツもノーマルだぞ!?)


 つい今し方まで自分と岳斗が、羽理を巡って火花バチバチだったことを、羽理だって知っているだろうに。


 大葉たいようは、何をバカげたことを……と、思わずにはいられなかった。

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