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第22話

「……」

「それで、お父様に言われたとおりの名前を付けたんだね」

 白蓮の確認に、朔也はひとつ頷く。

「まずいと、……思ったんだ」

 名付けた瞬間、狼の落胆が伝わってきた。

 それは誰とも共有できない感覚だったが、朔也は確かに自分の肌が粟立つのを感じた。分かるんだ、と思った。

 この式神たちには分かるのだ。

 主人が自分の名づけを諦めたこと。他人の言葉に流されて自分たちの名を決めたこと。

 与えられた名が主人からの心ある贈り物でないこと。

 戦慄した。

 その戦慄をも――きっと、銀の目に気取られた。

「それから、……」

 朔也は目を伏せる。

 それから、式神が主人の意を汲んで動くことはなくなった。形は安定したのかもしれなかったが……。

 絶望する朔也の心とは裏腹に、重富はすでに本家との交渉を進めてしまっていた。

 息子が本家入りする希望に浮かれていた父は、今更式神の力を確かめようとしなかった。朔也は父が自信満々でつけた名のせいで式神が動かなくなったことを言い出せないでいたが、喚ぶこと自体はできていたから事は露見しなかったのだ。

 ――本家の当主は、お前の実力を聞いて驚いていたぞ。

 ――お前は最年少で本家付きになるんだ。

 そんな言葉にも、逆らうことはできなかった。

 絶望とともに本家へ来た朔也は、誰と引き合わされようが生きた心地がしなかった。本家の当主に冷め切った声を向けられた時は流石に心臓が止まりそうだったが、あとのことはほとんど覚えていない。

 式神がこんな自分にまだついてきてくれているだけでも奇跡だと思って、それだけ。

 絶望は変わらない。

 そうだ。誰に見捨てられるよりも前から絶望していた。自分自身の行いのせいで。

 灰色に染まった視界の中で、死んだように生きていた。


「じゃ、じゃあ」

 焦ったような声を出した晴臣に、白蓮はつい視線を戻した。かつて当主の息子として厳しい態度を取ったことが彼の中で思い出されたのだ。

 式神を出せても怯えた様子で、会話が成立しなかった。

 そんな彼を「実力を発揮できない者」と見て特にフォローすることもしなかった、かつての自分の姿。

「俺のことも、大して記憶にないって言うのか?」

「えっ……あ、いや」

 朔也は慌てた素振りで手を振った。そしてその揺らいだ目が助けを求めるように白蓮へ向いたのを見て、晴臣はショックを受けた。

 彼にもプライドがある。

 周りからの視線がそうであるように、本家当主の息子としてのプライド。――将来は本家を背負って立つ、後継者としてのプライドだ。

 晴臣は今更ながらに、自分の傲慢さに気付いた。

「晴臣、駄目だよ。追い詰めるようなこと言ったら」

 気遣わしげな声など優しく降ってきてしまっては、尚更である。白蓮が朔也の存在を知ったのは昨日のことだ。……昨日? あまりのスピード感に眩暈がする。

 それなのに、この少女は一日で朔也にこれほど近付き――あの怯え切っていた朔也が、自分から視線を向けるまでになっている。

 その理由など、羨むまでもなく明らかだった。

(寄り添ったからだ。白蓮が)

「お、覚えてない訳じゃないよ。当主の、息子さんなんだし」

 白蓮に微笑まれて、朔也がつられたようにまた口を開く。精一杯勇気を出してくれたのだろうそんな呟きも、晴臣は聴こえないふりをしたかった。

 もちろん、そうはいかないけれど。

「僕を見る目が、怖くて仕方なかった。その目が、誰のものでも……だから、ごめん」

 目を逸らしたままのそんな言葉は、晴臣に深く突き刺さった。

 朔也の言葉に他意などない。晴臣に向けた攻撃などではない――彼は自分に向けられる周り全ての目線が怖かったと、そう言っただけ。

 それを崩せたのは、今こうして崩してみせたのは、白蓮ただひとりということだ。

「……謝るようなことじゃない」

 言いながら、喉の奥が灼けそうな錯覚。

 晴臣も子供だから、逃げたくなる。

 朔也の様子のおかしさに疑問を持たなかったこと。分家から来た子供だから実力を発揮できなかったと、そう思って終わらせたこと。

 何か彼の力になれれば。話を聞いてみよう。そんな風には思わなかったこと。

 そしてそのまま――一年近くも時間が経ったのだ。

 白蓮がたった一日で埋められた溝を放置して。

(こんなものが、本家当主のあるべき姿か?)

「……」

 晴臣もまた、白蓮を見る。

 それは縋るような目だったかもしれない。自分の考えていることを上手く言葉にできない晴臣の視線を受けて、白蓮はにっこりと笑った。

「晴臣。朔也を助けるには晴臣の力が必要なんだよ。言ったでしょ?」

「は?」

「朔也」

 晴臣がぽかんと置いて行かれるのをよそに、もう白蓮は朔也のほうに向き直っていた。晴臣は言葉を探す間もなく、場の空気から外れそうになる。

 それでも彼は身を乗り出した――二人の言葉に、耳を傾けていたかった。

「な……なに?」

「まだ大丈夫。一緒にやろう。協力するよ」

 白蓮が差し出した手。笑い掛ける眼差し。

 朔也の目には、女神のそれのように見えた。

「式神を名付け直そう」

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