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第9話 追放女神の降臨

 リアナの乗る薄く透明な円盤が光の中を進んでいく。


 ここは神々の楽園デウスマキア神々の去し地エクスマキナを繋ぐ光の空間みち


 リアナの周囲は全て光で満たされており、景色が流れず進む速度が速いのか遅いのか判別がつかない。ただ、この先にエクスマキナがあるのだけは確かである。


 いったいどれほどの時が過ぎただろう?


 数分とも数時間とも、はたまた数年のようにも感じる。とうに時間の感覚は無くなっていた。リアナにもどれほどの時が過ぎたのか分からない。


 もっとも、悠久の年月を生きる神々は時間に無頓着であり、リアナもその多分に漏れない。外見は十代後半くらいに見えても、リアナは既に二千年は生きているのだ。


 神とは時間に縛られない存在。それが故に神々が移住して五千と余年、デウスマキアの変化はとても緩やかだ。リアナが入った始まりの塔セントアークも創世と共に建立された筈なのに染み一つ無かった。


 外壁も内部も全てが純白。

 とても綺麗な塔であった。


「だけど転移門トランスゲートのある広間は寂しいところでした」


 そう言えば、とリアナは思い返す。


 最上階のワンフロアを使った贅沢なものではあったが、門がポツンとあるだけの閑散とした部屋だった。


 もっとも、この五千年以上もの間にエクスマキナへ追放された者はリアナでまだ二人目。前回に急造したのだから無理もない。


 その時追放されたのはルーディスという名の神だったとリアナは記憶している。心が寒々とする部屋から追放されたルーディスの心境はどうだったのであろうか。


 それと比べて自分は恵まれていると、小さな青い花を手にリアナは思う。


「温かい」


 旅立ちにも多くの信徒が駆けつけてくれた。おかげで今でもリアナの中には彼らの祈りで満たされている。これなら信仰無きエクスマキナにおいてもしばらくは活動できるだろう。


 そして何よりフローラの花には他の信者とは違う祈りに溢れて心地良かった。


 同じ信者による祈りの筈なのに、フローラの花からリアナの中へと入ってくる祈りはより強く、より大きく、そしてより温かい。


「いったい何が違うのでしょう?」


 だけど、リアナにはその違いが理解できなかった。


 信者達が己の為に願い祈るのに対し、フローラは純粋にリアナを慕いリアナの為にリアナを想い祈っている。


 フローラのリアナを大好きという想いをリアナは理解できていないのだ。それでもリアナを想う祈りに溢れている花はとても心地良いのは間違いない。


 それは無機質だったリアナの心にひと雫の温もりを齎した。だが、彼女はまだ自分の小さな変化にさえ気づけない。


「とにかく、信徒のいないエクスマキナでも私の存在はしばらく維持できるでしょう」


 信仰の力が無く力を振るえなくともリアナはフローラの青い花おもいがあれば生きていける。


「ですが、エクスマキナで私は何をすれば良いのでしょうか?」


 主神ジュピテルに命じられるままにエクスマキナへ旅立った。リアナはいつもそうである。真面目で上位神の言いつけを良く守る。悪く言えば主体性がないのだ。


「そう言えば、ジュピテル様が最後に仰っておられたのは……」


 ——『信仰無き世界で己の犯した罪の重さを知るがよい』


 それがジュピテルの最後の言葉。リアナはその言葉を反芻した。


「つまり、ゼロから信者を作る苦しみを経験しろと言う事なのでしょうか?」


 だが、どう考えてもリアナには答えが出ない。


「よく分かりませんが、私が存在するには信仰が必要なのは確かです」


 他にすべき事も分からないのだからリアナを崇める信者を集めよう。


 そう決意したが……


「信仰とはどうすれば集められるものなのでしょう?」


 リアナは無表情のまま小首を傾げた。


 生まれた時には信仰の対象となっていたリアナである。もともと人々が敬い崇め奉る存在だった。信仰とはリアナにとって言わば空気のようなもの。


「信仰、祈り、そして……」


 リアナは手に持つフローラの花を見つめた。そこから感じるフローラの想いの正体もリアナには理解できない。


「私はどうすれば——ん?」


 円盤が僅かに減速したように感じられた。

 どうやら、終着点へ辿り着いたみたいだ。


 完全に停止すると、リアナの前には光の膜のような壁が立ちはだかる。光の中にありながら、何故かそう認識できた。


「この向こうにエクスマキナが……」


 知っていたわけではない。だけど、リアナは自然に右腕を上げて光の膜に手を伸ばす。その指先が光膜に触れた。


 リィィィンーーーー


 風鈴のように澄んだ美しい音色が響き渡った。そして、まるで水面に触れたかのようにリアナの手を中心に波紋が生まれ徐々に広がっていく。


 手の平に僅かな抵抗を感じたが、リアナの手はそのまま波打つ壁を突き破った。手の平から手首へ、手首から腕、さらに全身が光の膜に沈んでいく。


 そして、身体が完全に膜を突き抜ければ突然世界が変わった。


 吸い込んだ空気が埃っぽく重い、鼻腔を鉄錆のような臭いが刺激する、肌に触れる外気がピリッとする……何もかもがデウスマキアと違う。


(ここは……)


 リアナがゆっくり左右を見渡せば、そこは始まりの塔セントアーク転移門トランスゲート広間と似た雰囲気のある部屋であった。


(ここがエクスマキナ……旅立ちの塔ノアズアーク)


 初めての場所ではあったが、知識として知っている。だから、リアナにはここが何処かはすぐに分かった。


(だけど、とても心細い)


 しかし、デウスマキアでは常に感じていた信者の信仰が全く感じられない。それがリアナの胸の内を寂しくさせ、あまりの頼りなさに不安が広がる。


(当たり前のように享受していた人々の信仰が、今になってどれ程ありがたいものだったか分かるなんて……)


 ここへ来る前に注がれたフローラ達信者の祈りが、今のリアナを存在たらしめる全て。これを失えばリアナは消えるしかない。


 神であるリアナにとって、まさしくエクスマキナは虚無の世界。


「綺麗だ……」


 しかし、何も無いと思っていた世界に、突如として声が生まれた。


「なんて綺麗な人なんだろう……」


 ちらりと一瞥すれば黒髪の少年が、上空を漂うリアナを呆然と見上げていた。


(人がいる)


 少年の存在にリアナは少しだけほっとした。


 あまりに信仰を感じなかったので、もしやエクスマキナには人が存在しないのではないかとさえ疑い始めていたのだ。


(この方々がエクスマキナの住人)


 部屋には他にも大柄な白髪の老人とリアナの神気に怯える子ドラゴンいた。リアナが彼らの存在に気づくのが遅れたのは、彼らから神に対する畏敬の念が感じられなかったからである。


(本当に人々の中に信仰が無いのですね)


 これからリアナはこの地エクスマキナで生きていかねばならない。


 リアナは放出していた神力を内に収める。するとリアナはゆっくりと降下し床へ降り立った。リアナの青い髪と純白の外衣がふわりと舞う。


 リアナは青い瞳を黒髪の少年に真っ直ぐ向け、黒髪の少年はリアナに熱い憧憬の眼差しを向けた。


 二人の視線が交差する。


 これが運命を背負い追放された女神リアナと神話に焦がれ冒険を夢見る少年ヒィロの運命の出会いであった。

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