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<16・Pink>

 ホウキボシ線の赤い電車を降りて、ナナシマタウン駅へ。

 観光地ということもあって、ホテルなどの施設は充実している。ありがたいことに、一定のランク以上のホテルだと駅で荷物を預けて、そこでチェックインも済ませることができるのだ。つまり、一度ホテルにチェックインと荷物を置きに行くという手間がない。大荷物を預けて、そのまま観光地見学へ行くことができるのである。


「少し早いが、先に昼ごはんを食べた方がいいだろうな」


 トレイシーが腕時計を見ながら言った。


「念の為尋ねておくが、セリーナ。お前は辛いものは食べられるのか?」

「どういう意味?」

「ナナシマ地方で人気の郷土料理に、コイビラーメンがある。ナナコタウンに来たらまず食べるのがお勧めなんだが……」


 ナナシマ地方、というのはナナコタウンがある地方の名前である。彼は少し眉を寄せてセリーナを見た。


「セリーナは辛いものがものすごく苦手じゃなかったか?小さな頃、香辛料強めのカレーを食べて、あまりの辛さに食事の席で粗相をしたことがあったはずだが」

「ちょ、ちょっとおおおお!?」


 セリーナは頭を抱える。確かに、確かに小さな頃そういうやらかしをした覚えはある。あれは五歳くらいの時だっただろうか。それまで甘口の子供向けカレーしか食べたことがなかったセリーナは、その日初めて大人向けの辛口カレーに挑戦して卒倒しかけたのだった。

 そして、あまりの辛さに泣いてしまった上、うっかりおしっこも漏らしてしまった。

 何が悲しいって、その時まだセリーナはおしめをしていたということである。悲しいかな、お漏らし癖が治らなくてセリーナは小学校直前までおしめが取れなかったのだ。というか、小学校に上がってからも色々トラブルはあったわけだが――って今はそういうことではなく!


「何でそんなこと知ってんのよおおおお!?忘れなさい、今すぐ記憶を消去しなさいっ!」

「知ってるも何も、俺もその場に同席して一緒にカレーを食べていたから目撃している。確かにあれは辛かったが」

「ああああああああああああああ忘れて、超絶忘れてえええええっ」

「小さな子供だったのだから仕方ないだろう。そこまで恥ずかしがる事か?」

「恥ずかしがる事よ、イーガン家の令嬢としては!」


 オムツを履いていたのに、お漏らしした量が多かったせいで臭いですぐ近くの母にバレ、すぐにトイレにすっとんでいったのも苦い記憶である。ああ、確かにあの時はパーセル家との会食の場だったかもしれない。何でそんな昔のことを覚えているんだろうとセリーナは沈没したくなる。


「今は普通に食べられるわよ、辛い料理だって。いやほんと、その記憶は死ぬ気で忘れて欲しいってば……!」


 その場でしゃがみこんで頭を抱えるセリーナに。トレイシーは困ったように言った。


「お前に関することを忘れるのは極めて難しい」


 それは、一体どういう意味なんだろう。沸騰した頭で、セリーナは思ったのだった。

 ちなみに、この後食べたコイビラーメンは、真っ赤なスープにトノポークのハムが入ったなかなか豪勢なものだった。少々辛かったが、普通に美味しかったと追記しておく。




 ***




 旧カヴァナー家の屋敷は、大昔のものというだけあって現在の貴族の屋敷とは随分と趣が違っていた。例えば、今の貴族の屋敷というのは、町の景観を損なわないためにあまり突飛なデザインはできないようにと法律で規制がかけられている。正確には、ものすごーく高いお金を払って“特別指定住居”の許可を取ればどんなデザインで建物を作ってもいいことになるのだが、まあそのお金が貴族からしても安いものではないためまず払う者がいないのだ。

 同時に、背の高い建物を建ててもいいエリアだとか、特定の商業施設を建てていい場所だとかが決められているのである。特に、賭博場のようなものは専用の許可がいる上、子供達があまり近寄らない“大人の町”にだけ作っていいことになっている。背の高い高層ビルなども、特定の商業地域のみ建てていいということになっているはずだ。

 が、昔はそういう法律が整備されていなかったこともあり、町の景観に合わない華美な屋敷が少なからず多かったらしい。カヴァナー家の屋敷もまさにそれだ。いくらやや中心街から外れたところとはいえ、普通ドピンクな屋敷なんて建てないものだろう。


「カヴァナー家の人達って、派手好きだったのね……」


 四階建ての屋敷を見上げて、セリーナは思わずぼやく。すると隣に立っていたトレイシーが、少し違うな、と呟いた。


「カヴァナー家の人間は、ピンク色に特別な拘りがあったらしい。どうにも、魔除けのための神聖な色だと考えていたようだ」

「ええ、ピンクが?」

「ああ。実はこの情報が結構貴重なものだったりする。カヴァナー家が魔法使いの一族だと考えるとな」

「え」


 ピンク色と魔法使いであることに何か関係があるのか?セリーナは目は見開いて――ひょっとしたら、と気が付いた。

 実は、魔法と色には大きな関係性がある。

 特定の色を纏う、あるいはイメージすることで魔法の発動率が変わるというデータがあるのだ。例えば、炎の魔法を発動しやすくするためには、赤い色を纏うといいという話がある。そのため、炎関係の魔導書は赤い本が多いし、炎の魔法を補助するアイテムも赤いステッキなどが多いのだ。

 同じ理屈で、雷の魔法は黄色、水の魔法は青、などと関係があるということがわかっているのである。

 そのため、例えば炎の魔法が得意な魔法使いは赤いを好んで身に着ける傾向にあるし、その魔法の練習をしたい時も同じ色のアイテムを用いることがままあるのである。


「……ピンク色に関連する魔法を、何か使っていたということ?」


 セリーナの問いに、その通り、とトレイシーは頷いた。


「色と魔法に密接な関わりがあることは、セリーナも言うまでもなく知っているだろう?ということはピンク色を使うことで、イーガン家が何かの魔法の発動率を高めていた可能性が高い……ということまで想像がつくはずだ。ただし……」

「ピンク色と対応する魔法って、あったかしら?」

「そういうことだ。赤なら炎、黄色なら雷、青なら水、白なら聖……そういう対応色があるものの、ピンク色というのがいまいち想像がつかないだろう?だから、我々はこう考えているわけだ。カヴァナー家は、ピンク色に対応する……我々が知らない特別な魔法を研究していたのではないか?と。そして、それがどこかで途絶えたため、後のパーセル家にも伝わっていないのではないかと」

「……!」


 色だけで、そこまで考察できるものなのか。興味深い、とセリーナはまじまじと屋敷を見つめた。


「……パーセル家の始祖だったのよね、カヴァナー家って。でも、名前が違っているということは、本家ではないということ?」


 セリーナの言葉に、その通り、とトレイシーは頷く。


「カヴァナー家が最も栄華を誇っていたのは、第二十一代フランシア国王の時代だ。その後からゆるやかにカヴァナー家は没落の道を辿っていく。どうやら、王国が望むような研究成果を出せず、支援を打ち切られそうになっていたらしい」

「ああ、確かに私達の一族って、王家からの援助金が生命線なとこあるしね……」

「そうだ。カヴァナー家はそれで焦って禁術に手を出してしまったのではないか?とされている。というのも、ある日突然、別邸が火事になって本家の人間が多数の召使ごと死亡する事態になったからだ。カヴァナー家の別邸近くに住んでいた者達は、夜中に複数の爆発音が響いたと話しているという。ただ奇妙なことには、焼け跡から見つかった遺体の殆どが不自然に右足を欠損していたということだ」

「み、右足?」

「そう。太ももから下を切断された死体ばかりが見つかっている。どれもこれも生活反応がある不自然な死体で、ひょっとした火事よりも前に亡くなっていたかもしれないと。しかも、当時カヴァナー家の屋敷にいた家族と召使達の人数より、見つかった遺体の数が遥かに多いという謎の現象が起きた」

「そ、それって……」


 カヴァナー家が、何か生贄を捧げる儀式でもしていたということではないのか。セリーナが暗にそう目で告げれば、トレイシーは「わからない」と首を振った。


「そもそも夜中にどうして家族と召使たちが総出で、本宅ではなく別邸にいたのかもわかっていないしな。……火の周りが激しすぎて、別邸から見つかった遺体は男か女かもわからないものばかり。見つかった死体も誰が誰だかわからないような状態だった。その結果、カヴァナー家の本家の血筋は途絶えて、当主の三女が嫁に行ったパーセル家が魔法使いの血を継いでいくことになったわけだ。幸いにして当主の三女は五人の息子と娘を儲けて、誰も彼もに魔法使いの素質があったと聴いている。ちなみに、その三女の孫娘から派生したのがイーガン家というわけだな」

「ええ、カヴァナー家はイーガン家の遠い先祖でもあるのよね」

「そう。……火事で燃えたのが別邸の方だったから、本家であるこの屋敷はそのまま残り、こうして資料として重要文化財に指定されるに至ったというわけだ」


 なかなか面白い話ではある。まあ、人の足を大量に切断するような禁術で何をしようとしていたのか、を考えるのはそら恐ろしいものがあるが。


「……今日はいい天気だし、屋敷のベランダから見た風景とかスケッチしてみたいわ」


 セリーナは提案する。


「それから庭に行って……遺跡の見学という形でもいい?」

「勿論」

「ありがとう」


 何だろう。トレイシーと一緒にいると、自分が少しだけ他人に優しくなれるような気がしてくるのだ。今までの己なら“~するわよ”と命令系で言うばかりで、相手に何かを提案したり検討の余地を与えるなんてことはしなかっただろうに。

 絆されている、というのはわかっている。まだ、彼の本心がわからないうちに早すぎるというのも。それでも。


――楽しい。


 セリーナは、段々と己が本来の目的を忘れたがっていることに気が付いていた。気が付きながらも、知らないフリをしようとしていることに。


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