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<18・Prison>

 此処は一体何処だろう。セリーナは、辺りをキョロキョロと見回す。

 何かがおかしい。さっきまで、自分はガヴァナー家の庭にある地下遺跡を探検していたはずだ。側にはトレイシーもいた。薄明るい通路で、ドアの前に立っていたところまでは確かに覚えているというのに。

 何故、己は牢屋のような場所にいるのだろう?

 何故、襤褸切れのような服を着ているのだろう?


「だ、誰かいないの!?」


 牢屋の中には、粗末な胡坐のようなものが敷いてあるばかり。一番に奥の隅は三角形に窪んでいて、そこから酷い臭いが漂ってきていた。まじまじと見てしまって吐きそうになる。どろどろになって溜まっているのは人糞と尿だと気がついたからだ。まさか、あそこがトイレだとでも言うのか。流す水もふく紙もなく、外からも丸見え。こんなもの、人間の扱いではない。


「ふ、ふざけんじゃないわよ!なんで私がこんなところにっ……!」


 継承会議で追放者に選ばれ、地下牢に入れられた時もあったが。あの時はまともに寝られるベッドもあったし、トイレも隣に個室が用意されていた。きちんとした水洗トイレで、ウォッシュレットはなかったが紙はちゃんと備え付けられていたし手洗い場もあった。シャワーもだ。どれほどまともな環境だったか、こうしてみるとどこまでも実感するというものである。

 明らかにおかしい。

 自分はいつの間に、着替えさせられてこんな牢屋に放り込まれた?トレイシーはどうなった?一体誰がいつ、どうやってこんなことを?何のために?


「トレイシー、トレイシーっ!いないの、何処にいるの!?」


 まさか、彼も捕まったのでは。セリーナは青ざめる。何にせよ、このまままここにいてはろくなことにならないのは明白だ。こんな不衛生な環境では病気になってしまいそうだし、そもそもいつまでも閉じ込めておくだけとは思えない。

 この檻をぶっ壊して脱出するべき。結論が出れば早かった。補助具をつけてないので大きな魔法は使えないが、それでも柵くらいは壊せるはずだ。


「“火球ファイアー・ボール!”」


 炎属性の下級魔法を放とうと、柵に向かって唱えた。炎の小さな弾を複数撃ち出して敵を攻撃する技だ。普段なら、車を吹っ飛ばすくらいの威力が十分出せるはずである。しかし。


「ま、魔法が出ない!?」


 何度唱えても、突き出した掌から火球が生まれる気配がない。そもそも、さっきから魔力がまったく体に満ちてこないのだ。そのせいで、どれほど集中しても魔力を練り上げて放出することができないのである。

 世の中には、魔法使いの魔力を吸い取ってしまう魔法もあれば、そういうことが得意な使い魔もいると知っている。しかし、この感覚は妙だった。魔力を吸い取られて使えないなら物凄い疲労感に襲われるはず。その代わり、時間の経過と共に復活してくるのだが――今はそのどちらの気配もないのである。

 まるで、最初から魔力そのものが存在していないよう。セリーナではない、別の人間の体になってしまったような。


「!」


 ここでようやく、セリーナは己の髪の色に気付いた。長い後ろ髪を視界に持ってきて漸く理解する。髪の色が、金髪なのだ。本来の己は赤髪であるはずだというのに。

 とすると、自分は本当に別の人間に憑依してしまったのか?そんな馬鹿げたことがあるのか?


――だ、誰か近付いてくる。


 コツ、コツ、コツ、と革靴の音が近付いてくる。セリーナは警戒しながら、その音の来訪を待った。悪い予感が、もくもくと黒雲のように胸の奥に垂れ込める。しかしこの狭い牢屋の中では、やってくる人物から身を隠す場所さえない。


「カロリーヌ・ラスク」


 やがて現れたのは、緑色の軍服のような服を着た初老の男だった。胸には、金色の鷲に弓矢を重ねたようなエンブレムがついている。

 どこかの兵士だろうか。しかし、その紋章は国のものではない。警戒するセリーナに、男は告げたのである。


「時間だ。祈りは済んでいるな?」




 ***




 祈り。

 どうやらそれは、この世とのお別れをしておけ、という意味だったらしい。

 男に連れてこられたのは、円形の広場のような部屋だった。中心に円柱型の大きな台座が一つあり、周りには五つの小さな長方形の台座がある。既に、小さな台座は四つが埋まっていた。あまり身なりの良くない男女が、長方形の台座に仰向けで横たわる形で縛り付けられている。


「いやああああああああああ!離して、離してえええ!」


 中でもひときわ暴れているのが、長い茶髪の女性だ。異様なほど大きな胸に、厚化粧をしている。服こそボロ切れだったが、なんとなく娼婦だろうなと察した。彼女達は男に好かれるため、派手な見た目を装うことが多いと聞いている。


「お願い、お願いよ!が、頑張って……他の稼ぎ方探すから!汚らしいって言うなら街角に立つのはやめるわ、男の人のアレしゃぶったりとかもうしないから、ね!?お金がなくて、他に仕事がなかったの。仕方ないのよ、わかるでしょう!?」


 セリーナの予想通りだったらしい。女は泣き叫びながら命乞いをしている。その隣の若い青年は、明らかに死んだ目でぶつぶつと呟き続けていた。


「なんでだよなんでこんなことになるんだよ嫌だ嫌だ死にたくない俺はほんと、ただ生きるために必死だっただけ、盗みをしなきゃ食っていけないんだからしょうがないじゃねえか、母親もあっけなく信じまって俺一人で生きていくしかないんだからどうしようもないだろ、ああどうしようもない嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌すぎるなんで俺がこんな目にあり得ない無理だつらい苦しい俺が何もかも悪いってのかあり得ないし分からないどうすれば良かったっていうんだよ誰か助けてくれよもう嫌だ苦しいのも痛いのも辛いのも誰か誰か誰か誰か誰か誰か」


 ひょっとして。ここにいるのは全員、戸籍があるかどうかも怪しい下層階級の人間ばかりなのだろうか。

 犯罪者、あるいは娼婦だから連れてこられた?いなくなってもすぐにはバレないから?誰も探さないかもしれないから?


「や、やめて!離しなさいよ、ねえっ!」


 セリーナもまた、残る一つの台座に括り付けられることになる。

 一体これから、何をするというのか。殺されるのか、あるいはもっと恐ろしい何かが?


――!


 やがて、真ん中の白い円柱型の台座に、一人の青年が登った。セリーナたちの台座はやや傾いて中央を向いているので、寝かされていても真ん中の様子は大凡見ることができた。彼は周囲をぐるりと見回すと、その場で正座する。膝の上に置かれるのは、赤い宝石をあしらった金色の短剣。セリーナは息を呑んだ――青年の顔立ちが、どことなくトレイシーに似ていたからだ。

 髪の色はトレイシーよりも明るいし、背も彼よりやや低い。でも、確かに面影がある。まさか、親戚か何かなのだろうか。

 セリーナはもう一つ気づく。青年のスーツの胸元にも、さっきの軍服の男と同じ鷲に弓矢を重ねたエンブレムがついていることに。


「準備は整った!」


 パン!と大きく一つ手を叩いて。部屋の壁沿いにぐるりと取り囲むように待機していた軍服の一人が宣言した。


「これより、ガヴァナー家に伝わる秘術……磔刑の魔女の誕生の儀を執り行う!」


――な、なんですって!?


 磔刑の魔女。聞き間違えるはずがない――それはセリーナたち、魔法使いの一族当主の称号ではないか。何故その名前が、この意味不明な儀式で出てくることになるのか。

 しかも、誕生の儀とは一体?この場で何かを産み出そうというのか?


「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 さっきの娼婦らしい茶髪の女性が、大きな声で叫んだ。


「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!もう、もう娼婦なんて仕事やらないから!やめるから!お願い、許してえええええええっ!」


 彼女は、これから何が行われるかわかっているというのか。ひょっとして、わかっていないのはセリーナだけなのか?他の四人の者達は、みんながくがくと震えて神の名を呼んだり命乞いをしたりしているではないか。

 下腹部が冷たくなるのを感じた。怖い。一体ここから何が待っているというのか。


「いやぁっ!」


 びりびりびりい!と布が破ける音がした。娼婦の服が、軍服の男に手足を拘束されたまま剥ぎ取られたのだ。襤褸切れの下に何も身に着けていなかった彼女はあっけなく全裸になった。

 男はナイフを持つと、そのまま彼女の右の太腿にあてがった。まさか、とセリーナは目を見開く。ようやく繋がったからだ――かつて、ガヴァナー家が滅んだ時の事を。焼けた別邸から、ゴロゴロと謎の焼死体が出てきたことを。

 それらがみんな、片足を失っていたことを。




『そう。太ももから下を切断された死体ばかりが見つかっている。どれもこれも生活反応がある不自然な死体で、ひょっとした火事よりも前に亡くなっていたかもしれないと。しかも、当時カヴァナー家の屋敷にいた家族と召使達の人数より、見つかった遺体の数が遥かに多いという謎の現象が起きた』




 死体の数が多かったのは。

 よそから拉致してきた生贄がたくさんいたから、だったとしたら。


「助けてええええええええ!」


 娼婦の命乞いをよそに。男の持った刃物が、女の肉に食い込んでいったのである。

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