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<19・Ritual>

 ガチガチガチガチ、と硬質な音が響く。それが、己の奥歯が立てる音だと暫くしてからセリーナは気がついた。本当に恐ろしいと、人は声さえ出せなくなる。己の震えを止める術さえなくなるのだと、理解する。

 何故ならはっきりと見えてしまったから。

 軍服の男が、肉付きの良い娼婦の太腿に向けて大振りのナイフを振り下ろす様も――そこから勢いよく血が吹き出す様も。


「ぎ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 女の凄まじい絶叫が木霊した。刃物は肉に深々と埋まり、どろどろと真っ赤な血を溢れ出させている。女が横たわった長方形の白い台座が、赤い血でどんどん染まっていくのが見えた。

 滴り落ちた血は、台座から伸びる窪みを伝って中央へと流れていく。ひょっとしたら、床が真ん中に行くほど低くなっているのかもしれない。まるでレールを伝うように、血の線が真ん中の円い台座へ伸びていく。その様を、トレイシーよく似たスーツ姿の男性は冷たい目で見つめていた。


「ふん、ふんっ!……なかなか叩き切る事は難しいな」

「最初に切れ込みを入れたら鋸に持ち替えた方がいいかもしれん。筋が刃に絡まないように気をつける必要はあるが」

「なるほど、それは一理あるな」


――な、何を平然と話してるのよ……!?


 軍服の男達の会話を、セリーナは信じられない気持ちで聞く。ナイフを持っていた男に渡される、大振りの鋸。それを見て、びくびくと痛みに体を痙攣させていた娼婦の目がさらなる恐怖に見開かれた。


「や、やめて、だずげでっ……」


 彼女の足はまだ繋がっている。この様子だと肉を裂かれただけで骨までは傷が至っていないのだろう。涙と鼻水に塗れた顔で男たちを見つめ、泣き笑いのようなくしゃくしゃの表情で命乞いをする。


「ほ、ほんとに……ほんとに足、痛いのっ!千切れちゃいそうなくらい痛いんですう……!も、もう男の人に体売ったりしないひゃら、らから、ゆ、許してくだひゃいっ!こ、これ以上やったら足が、わらひの足がっ!」

「切断するためにやってるんだから当然だろう。大人しく受け入れろ、お前の運命を」

「い、いやよぉぉ!な、なんで……なんでぇ!あ、歩けなくなっちゃうし、い、今だってこんなに痛いのに!こ、これ以上痛いのなんかぜっひゃい、ぜっひゃい無理ぃぃ!ほ、本当に死んじゃう、死んじゃうからっ!」

「それで構わない。お前達の生死など重要なものしゃない。我々は儀式さえ成功できればいいのだから」

「そ、そんなぁっ……!」


 無理だ、とセリーナは絶望的な気持ちで思う。まったく、言葉が通じる気がしない。向こうは悍ましい儀式を成功させることしか考えていない。そのために集められた人達がどれほど傷つこうが苦しんで死のうがまったく関係ないのだ。


――これは、ひょっとして……過去のビジョン、ということ?


 セリーナは震えながらも、必死で考える。自分は確かに、ガヴァナー家の遺跡にいたはず。いきなりよくわからない牢屋に転送され、服も見た目も違う女に変身させられるなんていくらなんでもナンセンスだ。とすれば、自分はあの遺跡の仕掛けに触れて、過去の景色を見てしまっていると考えるほうが自然だろう。

 実際、魔法の中には誰かに幻を見せたり、過去の記憶を受け付けたりできるタイプのものも存在している。自分がその仕掛けに引っかかったのだと思えば理解できなくもない。




『カロリーヌ・ラスク。時間だ。祈りは済んでいるな?』




――確か、あの兵士の男は私をそう呼んでいたわ。カロリーヌという人の記憶を、私が追体験しているということ?


 もしそうなら、ビジョンの中で魔法が使えなかったこと、そもそも自分の中に魔力が存在しなくなっていたことにも説明がつく。

 カロリーヌという女性にはきっと、魔法使いの素質なんてものはなかったのだろう。


――だとしたら……これは、あくまで幻なのよね?そうよね?


 セリーナは自分自身に言い聞かせようとしたが、確証は持てなかった。さっきから生々しすぎるのだ。手足に食い込む縄の感触、冷たい台座の感触、そして鼻腔を突く鉄臭い血の臭いと、痛々しい女の悲鳴――。


「たすけ、たすっ」


 娼婦の声は中途半端に途切れた。鋸の刃が、思い切り女の右足の傷口に食い込んだからだ。

 女が息を詰めた次の瞬間。ギコギコギコギコ、と上下に刃が引かれ始める。ぶちゅううう、と血肉が飛び散る音が――。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!だずげ、だずげでええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!」


 ギコギコギコギコギコギコギコギコ。

 ブチュブチュブチュブチュブチュブチュブチュ。

 ゴリゴリガリガリゴリゴリガリガリ。


 鋸の刃が肉を引き裂き、骨を砕き、今まさに人の太腿を切断しようとしている。女はあまりの苦痛にぐるんと白目を剥き、ぶくぶくと泡を吹いて悶えていた。やがて、ごとん、という音とともに女の右足が地面に落下する。女はひゅーしゅーと喉から掠れた息を漏らしていた。


――あ、あんなに血が出てるのに、死ねないなんて……!


 セリーナは震えるしかなかった。今まさに、彼女は地獄の苦痛を味わっている筈である。死んだほうがマシだと本気で思っているはずだ。

 それなのに、彼女はまだ苦しみながらも生きている。どれほどそれが残酷なことかなど言うまでもない。


「一人ずつやっていたら時間がかかりすぎるな。何より、できれば最後まで全員に生きていて貰わなければ」


 血まみれの鋸を手に持った男が、今日の夕食の献立でも相談するかのような口調で、あっさりと述べた。


「よし、さっさと残る全員同時にやって終わらせるぞ」

「了解」

「了解しました」


 冗談でしょう、と言おうとした。声はかすれてまともな音にもならなかったが。

 セリーナもまた、さっきの女と同じように服を剥ぎ取られる。本物のセリーナよりも小さな乳房も股間も、何もかもが露にされた。だが、それを恥ずかしいと思っている余裕さえない。軍服の男たちが、残る四つの台座に一つずつ。全員がその手に、ナイフと鋸を準備して佇んでいるのである。


「や、やめて……」


 セリーナは懇願した。目の前の軍服相手にではない。このビジョンを自分に見せている何者かに、だ。


「も、もう十分わかったわ。恐ろしいことが起きたのは理解したから、だからもう……私をこの夢から開放して、お願い……っ!」


 このままでは、自分もあの娼婦と同じ目に遭う。例えビジョンであっても耐えられる自信がなかった。生きたまま太腿を切り落とされて苦しめられるなんて、そんなこと。


「お願い……私はっ」


 右の太腿にひんやりとした感触。ナイフが振り上げられて、そして。

 ざくっ、と。鈍い音が、体の、中から響いた。


「ぎっ」


 全身からぶわっ、と汗が噴き出した。


「ぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」


 冷たい異物が、どんどん腿の肉に埋まっていく。その不快感たるや、想像を絶するものだった。異物感、灼熱感、そして激痛。ぐりくりと刃がねじ込まれるたび、あまりの苦痛にぶちゅううう、と制御できなくなった股間から尿が漏れる。


――痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!なんで、なんでよ!?これ、ただの幻でしょう!?なのになんで、本物みたいにこんなに痛いのよおおおおおっ!?


 セリーナは無事な左足をガタガタと震わせ、首を狂ったように振って身悶えた。それでもまったく苦痛は散らない。ますます痛くなるばかり。涙で滲んだ視界で、軍服の男が鋸に持ち替えたのが見えた。もっともっとこれから痛くなるのだと察してしまう。こらから肉がもっと深く引き裂かれて、そして骨が砕けて神経がズタズタになって――。


――嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌っ!なんで、何で私がそんな馬鹿みたいな拷問体験しなくちゃいけないのよ!何で、何で、何でえええええっ!?


 鋸が食い込んできた。そこから先は、地獄と呼ぶのも生ぬるい時間である。

 肉を切り裂かれるだけでも痛いのに、骨を削れ、砕かれ、切断される苦しみたるや。


「あがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


――やめ、もうやめてえええっ!ほ、本当に、本当に死んじゃうっ!


 糞まで漏らしながらも叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。幻なのに、そのはずなのになんでこんなにも痛くて苦しいのだろう。子孫である自分にこんな思いをさせてまで、カヴァー家の人間は何を伝えたいと言うのか。

 ごとりと。長い時間をかけて、ようやくセリーナの足が切断されて地面に落ちた音がした。セリーナは血泡を吹き、がくがくと全身を痙攣させながら男が離れていくのを見る。

 彼らは皆、五人の生贄から切り取った五本の足を持っていた。それを、中央の円型の台座の周りに並べていく。


――ど、どうするつもり、なの。ここから……っ!?


 痛くて痛くて集中力が続かない。嘔吐しながら、無理矢理意識の糸を繋ぎ止めようとする。この先に何か重要なものがある。セリーナは、何故かそう確信していたのだ。

 五つの台から溢れた血が、円型の台座の根本へ流れこんでいく。セリーナは目を見開いた。白い円柱型の台座が、根本からじわじわと赤く染まり始めたからだ。


「今こそ!」


 スーツの姿の、トレイシー似の青年が叫ぶ。


「今こそ、我らが磔刑の魔女の再誕を祝う時である!我、ジョシー・ガヴァナーは宣言する。次期当主として、磔刑の魔女を産み落とすための器とならんことを!」

「いざ!」

「いざ!」

「ガヴァナー家に栄光あれ!」

「磔刑の魔女に栄光あれ!」

「すべての呪いと祝福を!」

「すべての願いと繁栄を!」

「かくあれかし!」

「かくあれかし!」


 嫌な予感が、ふつふつと沸き起こる。軍服の男たちは唱和が終わると、生贄五人から切り取った足、そこからさらに少しずつ肉片を切り落として青年に手渡した。

 青年は血が滴る肉片を、なんと口元へ運び飲み込んでしまう。彼は、吼えるように唱えた。


「“Re-birth”!」


 その途端、明白な異変が起きた。青年の腹部が、まるで妊婦のように膨らみ始めたのである。


「ぐ、ううううううっ!」


 あまりの苦しみに彼は青ざめ、血反吐を吐き始めた。しかし、周囲の軍服の男たちはまったく心配する様子がない。恐らくはカヴァナー家の次期当主であろう青年の異常な姿にも一切動じていないのだ。まるで、それが予定調和だとでも言わんばかりに。


「う、うううううううううううっ!」


 苦痛に呻きながらも青年は、正座したままナイフを振り上げていた。そして、臨月のようになった腹に深々と突き刺したのである、

 そのまま、ゆっくりと真下へ刃を引いていく。血が噴水のように噴き上がり――青年はそのまま台座の上で仰向けに倒れ込んでしまった。


――な、何あれ。


 セリーナは愕然とする。何かが。青年の大きく割けた腹から、何かがゆっくりと這い出して来ようとしているのだ。バキバキバキ、と彼の肋骨を砕き、傷を大きく広げながらそいつはゆっくりと立ち上がる。

 真っ黒な肌に、真っ黒な髪。真っ赤な目を持つ、小さな女の子のような姿をした、そいつは。


「おめでとうございます!」


 軍服の男が、拍手をしながら叫んだ。


「血と肉を対価に、無事にお産まれになられました!我らをお導き下さい、磔刑の魔女様!」


――まさか。まさか、磔刑の魔女って称号は……!


 最悪の想像が、頭の中を駆け巡る。しかし、それ以上を考察するには限界だった。切り落とされた足の痛み。おぞましいほどの苦痛の中、セリーナの意識は遠ざかっていったのである。

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