身体がバラバラに引き裂けるかと思うほどの痛み。闇に堕ちる瞬間、セリーナの頭の中に流れ込んできたのは多くの人間達の無念だった。
『どうして、私が!私が私が私が私が!』
『何も悪い事なんかしてない、ご飯を食べるためにできることをやっていただけなのに』
『死にたくない……死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない』
『誰か、助けて』
『誰も教えてくれなかったじゃないか、犯罪を犯さずとも生きる方法なんて!』
『なんて理不尽なっ……』
『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!』
『どうすれば良かったの?ただ路地裏で、ゴミのように死んでいけば良かったの?』
『あがが、がががががががっ』
『普通ってなに?生まれた時から僕達は、普通の人間ではなかったってこと?だから殺されてもいいって?』
『嫌だああああああああああああああああああっ!』
『ころしてやる』
『何も悪いことなんかしてないじゃないっ!』
『もういや』
『せめて早く楽にして、お願いだから!』
『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い』
どろどろと濁った黒い濁流に飲まれ、セリーナの自己そのものを押し流そうとしてくる。
それらの多くは、儀式で理不尽に死んだ者達の感情だった。カヴァナー家は、一体どれほどの数の人間を攫い、彼らの命を使って恐ろしい禁術を行ってきたのだろう?そして、どれほどの無念がこの館には焼き付いていたというのだろう?
痛い。
苦しい。
怖い。
死にたくない。
悲しい。
恐ろしい。
それから、それから、それから。
『呪うてやる』
自分達を、下層階級だからと軽んじて誘拐し、儀式の生贄として捧げてきた者達。彼らに向けられた、途方もない怨念。
セリーナは見た。ある時の現場。真ん中の台座で腹を切り裂いた別の若い青年。その身を引き裂いて生まれ落ちた『魔女』が嗤った瞬間、周囲に控えていた軍服の男達の体が燃え上がったのである。
その炎は、石でできているはずの部屋の床や壁をもなめつくし、虫の息だった生贄たちをも巻き込んで瞬く間に屋敷中に広がった。生きたまま焼かれ、床に転げてのたうち回る者達。まさに地獄絵図。その中心で、“魔女”が甲高い声で嗤い続ける。まさに、これこそ全ての報いであると言わんばかりに。
『ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!』
セリーナは、唐突に理解させられた。
もしや、磔刑の魔女とは。その称号が意味するところとは。
――駄目、こんなこと、絶対に……!
おぞましいほどの憎悪に意識が押し流され、飲まれそうになった瞬間。誰かが、セリーナの名を力強く呼んだのである。
「セリーナ!おい、しっかりしろ!!」
「!!」
突然、悪夢は終焉を迎えた。バチバチバチ、と光が闇を切り裂いて明滅する。
セリーナははっとして目を見開き――自分がどうやら立ったまま凍りついていたらしいという事を知った。そして今、自分が誰かに力強く抱きしめられているらしいということを。
「え……あ……」
誰、なんて尋ねるまでもない。柑橘系の、優しいコロンの匂い。美しい艶やかな黒髪が鼻先をくすぐる。そして、力強い二本の腕。
「とれ、い、しー……」
どうにか喉から言葉を絞り出す。ああ、とセリーナはようやく理解した。戻ってきたのだ、自分は。あの恐ろしいビジョンの世界から、トレイシーと共に生きる現在へ。
「……!気が付いたか……!よ、良かった……っ」
体を離し、セリーナの肩を掴んで息を吐くトレイシー。今まで見たことがないほど真っ青な顔をしている彼に、どうやらセリーナは自分が思っていた以上に深刻な状態にあったらしいと悟る。
「……地下三階以下のフロアには、カヴァナー家の魔力やトラップが残っている箇所がある。特に、怪しい紋章や奇妙な縄などには触らない方がいいと……すまない、もっときちんと伝えておくべきだった。特にドアには、何か仕掛けが残っている可能性が高いからと」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、いい。……それでも……可能性があるというだけで今までの調査では何も起きないことが大半だったんだ。まさか、セリーナの身に本当に何かが起きるとは思ってもみなかった」
泣きそうな顔をしているトレイシーに、罪悪感が募る。本気で心配をかけてしまったらしい。
「……いえ、貴方のせいじゃないわ。完全に、私の不注意だった」
こればっかりは、トレイシーを責めることなどできない。縄や文様にはトラップがあるかもしれない、という話を上のフロアで聴いたばかりであったのだ。それなのに、安易にドアの模様に触ったのは自分である。完全に自業自得というものだ。
それに、恐ろしい思いはしたがどうにかセリーナは元の世界に戻ってくることができたし、精神面はともかく体に傷がついたわけでもない。結果論かもしれないが、何事もなくて良かったと思うべきだ。
同時に。もしも模様に触れなかったら自分は――極めて重要な事実を、知らないままでいたかもしれない。だとすれば、悪いことばかりではないはずだ。
「このドア」
トレイシーが、セリーナが触れたドアを見つめて言った。魔方陣の上の逆十字。そして、赤黒い血のようなインクで記された七枚の羽根。
「奇妙な紋章だと思って、俺と教授も何度か調べたものだ。でも、今までは俺達が触れたところで何も起きなかった。強く魔力が籠っているのは間違いないが、トラップの発動条件を満たしていないのか、あるいは発動するキーが失われているとばかり思っていたんだが」
「私、どうなったの?」
「触った途端、立ったまま完全に固まっていた。目を見開いて、顔が完全に恐怖に硬直していたぞ。そして、その紋章にお前の意識が引っ張られたのを感じた。……何か見たのか、セリーナ?」
ただ固まっていただけではなく、紋章に吸い込まれた?セリーナはぞっとする。どうやら、普通に過去のビジョンを頭に叩き込まれただけではなかったらしい。紋章の中に魂を閉じ込められていたとするならば、セリーナの心が折れていた場合どうなっていたことか。場合によっては、そのまま戻って来られないという可能性もあったのではないか。そう思うと、背筋が凍る話である。
「……カヴァナー家の、過去のようなものを見たの」
セリーナは、震える声で言った。
「恐らく、カヴァナー家が滅んだ原因。あまりにもおぞましい、生贄を用いた禁術。……ねえ、トレイシー!」
果たして、彼はどこまで知っているのか。セリーナはトレイシーに縋りついて叫んだ。
「その禁術で生まれた怪物を、カヴァナー家の人達は『磔刑の魔女』と呼んでいたのよ!ね、ねえ、トレイシー!磔刑の魔女ってなんなの?何でそう呼ぶの?継承者って……継承会議で選ばれたら、本当に御三家の当主になるだけ?何かがおかしいわ。追放者だって殺されるのに!」
「……何?」
セリーナの言葉に、トレイシーの顔が凍りついた。その顔で、セリーナは悟る。
トレイシーは本当に知らなかったのだ、追放者が実際は殺されるということを。
「とりあえず落ち着け、セリーナ。一度地上に戻ろう」
トレイシーはセリーナを落ち着かせるように肩に手を置いて、震える声で言ったのだった。
「一体何を見た?……詳しい話を聞かせてくれ」