「磔刑の魔女……と、御三家をまとめる当主が呼ばれるようになったのはいつか?……どうやら、御三家が“御三家”として魔法使いの一族をまとめるようになってすぐのことらしい」
近くのカフェに入ったところでトレイシーは話し始める。セリーナの顔色が悪いことに気が付いたのだろう。ひとまず近くの店で座って休もう、と言ってくれたのだ。
セリーナはそこで、自分が見たこと全てをトレイシーに話した。追放者が死ぬ、という情報もここでうまい具合に織り交ぜることにする。此処まで来ると、情報共有できていないことは致命的な結果を招くと悟ったからだ。さすがに、セリーナが未来から来た話はできなかったが。
「ただ、何故『磔刑』と呼ぶのかについて、長らく謎のままだった。正直に言って、あまり縁起の良い言葉ではないだろう?」
「そう、よね」
磔刑とは――いわゆる一つの処刑方法のことを言う。罪を犯した人間を十字型の板や柱に縛りつけた上で、下から串刺しにして殺す刑を言う。はりつけにして殺す、だから磔刑というわけだ。大昔は、罪人の処刑方法として一般的だったと聴いている。
ちなみに一言で磔刑と言っても、詳細は時代と国ごとで異なっていることでも有名だ。一番ありふれているのは十字架に縛り付けて槍で突き殺すやり方だが、実のところこれはかなり慈悲がある方である。
場合によっては、十字架に磔にして、そのまま放置して見せしめにするというやり方もあったらしい。
当たり前だが、人は毎日食べたり飲んだりしなければ生きていけない。磔にされたまま何日も放置されたらまず確実に脱水症状で死ぬだろう。もっと言えば、トイレにも風呂にも生かせてもらえないわけだから、催してもそのまま垂れ流しになるしかない。でもって、それを人に見せつける羽目になるのだから、それだけでも人の尊厳を破壊するには充分だったはずである。
さらには、十字架に縛り付けるのではなく、両手両足を釘で打ち据えて放置する方法もあったらしい。当然、人の体重を傷口で支えることになるわけだから、どんどんと過重で傷口が広がっていくことになる。痛みと失血に苦しみ悶えながら死んでいくので、ここまでくると処刑というより拷問の意味が強くなってくるはずだ。
また、他にも全身に蜂蜜を塗って森に放置し、蟲や動物に食われるがままにする方法や――もしくは、頭を下にした状態でうっ血して死ぬのを待つ方法なんてものもあったようだ。いずれにせよ、残酷な処刑法であったことは変わらない。
普通に槍で突く場合も、一撃で急所を貫いて貰えるとはまた限らないのだ。例えば、脇腹から斜め上に向けて突き上げると、腸から肺までを貫通することになるのでかなり凄惨なことになる。即死できなければ、肺に穴があいて呼吸はできなくなるわ、腸からは未消化物が漏れ出すわ、胃酸は漏れて内臓を溶かすわと酷い有様になるだろう。どれほどの苦痛を味わったのか、想像するだけで恐ろしくなるというものだ。
「俺と教授は……磔刑とは、志を指す言葉として使っていたと思っていた。即ち、どのような犠牲を払ってでも一族を守る、その覚悟を尖った言葉で示したのだと」
二人の目の前には、アイスティーが置かれている。ただ、その中に入れられた氷は既に溶けそうになっていた。暖かい日であるのと、長話でなかなか手をつけることができなかったがために。
「ただ、カヴァナー家でそういった言葉が使われていたともなると……話が少々変わってくる。しかも、セリーナが見たビジョンが本当ならば、カヴァバナー家にとって磔刑の魔女とは次の当主であると同時に、魔女を産みだすための器のようなものだ。魔女、というものが実際何なのかわからないが、恐らく悪魔に近い存在なのだと俺は解釈する」
「悪魔……」
「人の命を生贄に捧げて、男の腸を食いちぎって産まれてくるような存在だぞ。悪魔でなくてなんだというんだ」
「そう、よね……」
あれが普通の出産であるはずがない。セリーナは思い出して、体をぶるりと震わせた。産み落としたのが男性だったから、という問題ではないのだ。あの存在は、膨らんだ腹を切り裂いて生まれてきた。その折、産み落とした存在の肋骨を砕いて、肉を引き裂いて誕生したのである。
そして今思い出すと、魔女の依代となった青年の死体は不自然なところだらけだったような気がするのだ。
――私も痛みで意識が朦朧としていたけれど……間違いない。あれは、ただの猟奇死体じゃなかったわ。
普通、内側から腹が破裂して死んだら何が起きるのか?当然ながら、内臓などの肉の欠片が周辺に飛び散って惨たらしいことになるだろう。潰れた肝臓に肺、未消化物が大量に詰まった腸などが飛び出して地獄絵図となるはずだ。
ところが、あの青年の死体はそうではなかった。倒れた彼の体は、胸から折れた肋骨が飛び出していたものの――不自然なほど、腸らしきものが露出していなかったのである。
まるで、中にいたものに全て喰われてしまったかのように。
「なるほど」
セリーナがそれを説明すると。トレイシーは青ざめた顔で、ようやく紅茶に手を伸ばした。
「聴いた様子だとそれは……そのジョシー・ガヴァナーとかいう青年が魔女を産んだというより、体の一部が転換したといった様子だな」
「というと?」
「青年の腹の中身が、まるごと魔女の血肉に置きかわったということだ。腸や肝臓、膀胱、膵臓といった臓器がすべて溶け合って魔女と呼ばれる怪物の血肉を創造した……。つまり、青年の腹腔全体が、子宮のような役割を持たされたといったところか。それならば、内臓が不自然に飛び出さなかったというのも納得がいく話だな」
よくもまあ、そんなグロテスクな話を筋道立てて考えられるものである。凄いと思う反面、ちょっとついていけないとも感じてしまうセリーナ。
とはいえ、自分も考えることを放棄するわけにはいかない。
たくさんの生贄をつぎ込んで、当主の命を犠牲にしてまで産みだされた磔刑の魔女。カヴァナー家にもなんらかの目論見があったのだろう。国家の役に立たなければ支援を打ち切られてしまうという焦りから、とんでもないものを呼びだして研究成果を提出しようとしたか。もしくは、国を逆恨みして国家転覆できるほどの兵器を産みだそうとしたか。
いずれにせよ、彼らが失敗したのはほぼ間違いない。産み落とされた磔刑の魔女は、カヴァナー家の意思よりも生贄になった者達の意思を尊重した。そして、怒りの炎で全てを包み込んで焼き尽くしたというわけである。
そのあと、怪物がどうなったのかは定かではない。
ただ、まずその事実を何故後を生きる御三家が知っていたのか?ということが疑問であるし。もし何も知らなかったのなら、どこから磔刑の魔女なんて称号が出てきたのかも怪しいところである。こんな名前、偶然被ったとは到底思えない。
「地下遺跡をはじめとして、どうやらカヴァナー家の禁術の記録が、どこかに残っていた可能性はある。それを、イーガン家、パーセル家、タスカー家が知ったということもまあ考えられなくはない。恐らく、ああいった紋章は相性が合う者にだけ作用するんだろう……ひとまずそう考えることにする。なんにせよ、禁術の知識を知る方法がまったくなかった、というわけではあるまい」
ただ、とトレイシーは呻く。
「仮に知る方法があったところで……どうしてその称号を当主の名前として継続して使おうなんてことになるのかが謎でしかない。カヴァナー家を滅ぼした、とんでもない呪いがかかった術だぞ?どのような奇跡が起こせるのかも定かではないが、仮に国一つ滅ぼす兵器を作り出せる技術だったとて、一族の命運を道連れにするのではまったく意味がない。というか、そもそも下層階級だろうがなんだろうが、人を無理やり拉致してきて生贄にするような儀式が正義であるはずがない」
「そう、よね。……階級を問わず、人々を救うべし、魔法使いはそのためにあるべしっていうのがお父様の考えでしょう?それなら、ますます合致しないとしか言いようがないわ。少なくとも磔刑の魔女を産みだす儀式のやり方は、今のお父様の信念とは真逆だとしか言いようがなくってよ」
「だろう?……それなのに、磔刑の魔女という称号を、当主に代々引き継いできた意味はなんだ?確実に、重大な意味があるはずだが」
それに、と彼は続ける。
「追放者が……影で処刑されていた?馬鹿な、何故そんな真似をする必要がある?それこそ、今のイーガン家当主の意向にも背くというのに。追放された者は……魔法使いの一族を離れて自由に生きられるということではなかったのか……?」
彼の言葉は、どんどん消え入りそうなものになっていく。セリーナは唇を噛み締めた。やはり、トレイシーはセリーナを、魔法使いの一族の宿命から解放して好きな事をして生きていけるようにするため、追放者として選ぶつもりだったのだ。そう考えるなら、わざと冷たく当たったのも話が通るというものである。
ただ、もしもそうだとしても謎が残るのは確かだ。
前の世界のトレイシーは、どうしてセリーナを追放者にするだけではなく、自分が磔刑の魔女の称号を引き継ぐことを選んだのだろう?
――かつての世界の貴方は……一体どこまで知っていた、というの?
『どうしてもと選ばれたらその地位に着くのもやぶさかではないが、俺自身は跡継ぎになるべきだとは思っていないし、自分にその素質があるとも考えていない。魔女の称号に相応しい人間は、他にもいるからな』
『そうだ。だから、そういうことに向いている人間を抜擢するべきだ、と俺は考える。俺とお前はまだ学生で社会人経験もない。幼い子供達など論外だ。そして、リーダーシップを取るのにより向いている人間……そう考えるなら、おのずと票を入れるべき相手は絞られてくる。俺はそう考える』
あのトレイシーの考え方は。セリーナの選択がどうであれ、前の世界でも変わらなかったはずである。少なくとも、四月、五月の段階ではそのように考えていたはずだ。
それがもし、一年以内に大きく転換したのだとしたら。それは、彼が磔刑の魔女について、新しい情報を得たということなのではないだろうか?前の世界のトレイシーは、セリーナがこうして疑問を投げかけずともなんらかの真実に辿りつくのだとしたら。そして、自分が磔刑の魔女を継がなければいけないという方向に考えが変わったのだとしたら。
「追放者は……」
セリーナは口を開く。
「全身に、杭を打たれて死ぬみたい、だったわ。両腕に三か所。両足に三か所。そのあとに、胴体のあちこちに穴をあけられて、苦しみ抜いて死ぬの。……今思うと、ただの処刑にしては回りくどい方法だったんじゃないかと感じるわね」
「今思うとって?」
「あ、いえ、こっちの話。とにかく儀式めいてるのよ、こっちもこっちで」
自分の体験ではなく、ビジョンで見たという体で話しているのだ。ついつい混ざりそうになり、セリーナは慌てて誤魔化した。
そう、こうして考えると追放者の処刑方法にも疑問がある。
ひょっとしたらあれにも、魔術的な意味があったのではなかろうか?
「とりあえず、家に戻ったらもう少し細かく調べてみる必要がありそうだな」
トレイシーはため息を一つついて言った。
「すまなかった、セリーナ。大事な旅行なのに、嫌な思いをさせて。何かわかったら、また話そう」
「そ、それはいいのよ。私の不始末だし……」
いつの間にか、晴れていた空にはうっすらと灰色の雲がかかってきている。一雨来そうだ、とセリーナは思った。
本当に嵐になりそうなのは、現実の天気などではないかもしれないけれど。