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第25話

 それは、“笑った”。

 だが、その“笑い”には意味がなかった。

 喜びでも、愛しさでもない。

 単に、“名前を与えられたことへの反応”だった。

 志乃は思わず一歩下がる。

 地面の影が、彼女の足元にまとわりつくように広がってくる。

「“あれ”、このまま名前を確定させようとしてる……!」

 漣が言った瞬間、祠の中からもう一つの影が出現した。

 それは、先ほどのものと異なり、“顔がある”。

 だが――

 その顔は、志乃の顔と全く同じだった。

「……っ!?」

 志乃が息を呑むと、その影は口を開いた。

 ──あなたが わたしを “写した”

 ──だから わたしは “あなたの名”を借りる

「やめろ……!」

 志乃は叫ぶが、影の“自分”は微笑み続けた。

 ──ナオミ、じゃない

 ──わたしは シノ

 ──それが いちばん きれいに うつる

「……私の名前を、持っていかないで……!」

 次の瞬間、志乃の胸の中に**“名の違和感”**が走った。

 まるで、自分の名が“外にある誰かのもの”になっていくような――

 名前と人格の接着が剥がれていくような感覚。

「シノ……って、あれ、“名前を重ねて確定させようとしてる”んだ」

 伽羅の震える声。

「つまり、あいつはもう“人”として完成しようとしてる!」

「なら、“名を戻せばいい”んだな?」

 漣が低く言って、懐から懐中札を取り出した。

 それは、村に伝わる「逆印(さかさふだ)」と呼ばれる呪具。

 書かれた名の力を**“否定”する**ための札だった。

「“写し世”がこの世界に定着する条件は、

 “名前を受け入れたまま、記憶される”こと。

 ならば、俺たちが“その名を拒否し、忘却する”」

 漣は札を志乃の額に押し当てながら、はっきりと言った。

「お前は志乃じゃない。

 お前はナオミでもない。

 お前は――“名前を持たない存在”だ」

 すると影は、一瞬だけピクリと揺れた。

 笑っていた口が、逆に裂けた。

 ──わたしは わたしじゃない

 ──でも わたしでありたかった

 ──なのに なのに また

 ──また “なまえ”を わすれさせようと する

 祠の地面に亀裂が走る。

 まるで、世界の“表皮”そのものがはがれようとしていた。

 伽羅が叫ぶ。

「これ、まずい! あの影、“世界と名の接合点”を壊してる!

 このままいくと、“写し世”が“こっちに上書き”されるぞ!」

「じゃあ、どうするの!?」

 志乃の声に、漣は一瞬黙ったあと――言った。

「一つだけ方法がある。“俺たちのうち誰かが、自分の名前を渡して、身代わりになる”」

 静まり返る空気。

「でもそれは、“その名でその人が上書きされる”ってこと。つまり、“元の人格は消える”」

 影が、嬉しそうに両手を広げた。

 ──ダレガ クレルノ?

 ──ダレノ ナマエヲ ワタシガ カエリミチニ スルノ?

 志乃が、一歩前に出た。

「私がやる。……私が呼んだんだから。私が“写した”んだから」

 だが、そのとき――漣が、志乃の前に立った。

「……ダメだ。お前は、“呼んだだけ”だ。

 “連れてきた”のは、俺だ」

 志乃の目が、漣を見つめる。

「あなた……まさか……!」

「最初に“名前を書いた”のは、俺だ。

 夢の中で、“写し世”に手を伸ばした。

 そして、あれが俺の心に答えたんだ」

 静かに、漣は影に近づく。

「――いいか。“お前の名は、俺が持つ”」

 そう言った瞬間、影が志乃の顔を溶かし、

 漣の顔になった。

 そして――笑った。


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