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第27話

 翌朝、祠の跡地には静かな霧が漂っていた。

 だが、その霧はただの自然現象ではなかった。

 それは、封印が再び成された証だった。

 札が残されていた地面に近づくと、そこにはもう一つの影があった。

 漣だった。

 彼は、息をしていた。

 目を閉じて、祠の跡に伏していた。

“何もなかった場所”から、“確かに帰ってきた”のだった。

「……夢の中にいた。

 あっちは、音も光もない場所だった。

 ただ“名前の残滓”だけが渦巻いてた。

 でも、志乃の声が、引き戻してくれた」

 彼はゆっくりと立ち上がる。

「“写し世”って、ただの異界じゃなかった。

 “名を与えられなかったもの”たちの、失われた居場所だったんだ」

 伽羅が、小さくうなずいた。

「俺、思うんだ。“封印”って、忘れるためじゃない。

 “名前をそのままにしておくこと”かもしれない。

 誰にも壊されない場所に、名前だけを置いておく。

 だから、“誰かが呼ばない限り”、そこは平和だった」

 志乃は、残された札を見つめながら言った。

「……名前は、呪いになる。

 でも同時に、“誰かを思い出す鍵”にもなる。

 漣が戻ってこられたのは、きっとその両方が働いたから」

 彼らは祠の跡地に、小さな石碑を立てた。

 名前は刻まれなかった。

 ただ、“祠の形”だけを模した印。

 その下に、逆印の札が静かに埋められた。

 封印は、終わった。

 だが、彼らの中には、もう“この世”と“写し世”の境界があることを知ってしまった記憶が残る。

 それは、決して恐怖ではない。

 ただ――“存在しなかったはずの何か”が、

 確かに一度、人の名前でこの世界に現れたという記録。

 それを忘れずにいること。

 それが彼らにできる、“最後の封印”だった。

 ■

 その夜、志乃は自室の机に風鈴を置いた。

 鳴らないように、窓は閉じた。

 けれど、風のない部屋で、

 一度だけ――小さく、風鈴が鳴った。

 チリン。

 それは警告ではなく、

 どこか懐かしい、“名残りの音”だった。


 完


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