ゆっくりと季節が移ろう中、セレスティアとエドワードの“自由な愛”は着実に形を整え始めていた。以前は強引な執着や孤独からくる暴走を見せたエドワードも、今ではセレスティアを信頼し、彼女の意思を尊重し合いながら未来を築こうと歩み寄っている。
お互いに支え合い、領地の再建計画にも二人で取り組む日々。セレスティアが外の世界に興味を示せば、エドワードは過剰に制止しない。もちろん安全面への配慮はするが、それでも「お前が望むなら一緒に行こう」と、穏やかに微笑んでくれるようになった。そんな変化を実感するたび、セレスティアの胸は優しい温もりで満ちる。
ある日の午後、邸のホールに飾られた花々の甘い香りが漂う中、セレスティアは侍女たちと飾りつけの相談をしていた。間もなく賑やかな茶会を開く予定で、使用人たちも意気込んで準備を進めている。彼女が丁寧にリボンを結び、花瓶の位置を調整していると――ふと背後から彼女を呼ぶ声がした。
「セレスティア。少し話がある。……もし、今よければ付き合ってくれないか?」
振り返ると、エドワードが少し緊張した面持ちで立っている。いつもならすぐに“何があったのか”を口にするところが、今日に限っては言葉を濁す様子に、セレスティアは胸の奥をくすぐられるような不思議な感覚を覚えた。侍女たちに「あとで戻るわ」と伝えて、彼女はエドワードのあとをついていく。
連れて行かれたのは、邸の奥まった場所にある、小さなサロン風の部屋だった。応接間ほど広くはないが、可愛らしい調度品が置かれ、窓からはやわらかな光が差し込んでいる。そこはかつてセレスティアが“人目を忍んで”エドワードの私室を覗いた頃とはまるで違う、明るく開放的な空間だった。
「ここ……こんな部屋があったのね。初めて来た気がするわ」
素直に驚きを漏らすセレスティアに、エドワードは少し照れくさそうにしている。彼が言うには、このサロンはもともと母親が体調の良い日に過ごすために造られた部屋らしい。だが、母が亡くなって以降は閉ざされていて、長らく人目に触れていなかったのだという。
「母が愛した部屋で、本来ならこの家の“奥様”が優雅に過ごすべき場所だった……。俺はずっと、誰にも使わせなかったが、今はこう思う。お前なら、ここを明るくしてくれると」
エドワードの低く落ち着いた声に、セレスティアは胸を熱くする。かつて彼が抱いていた孤独と辛い思い出が詰まった場所を、今は“セレスティアの居場所”として開放しようとしている――それは、単に思い出を共有するだけでなく、彼がその過去を乗り越えたいと願っている証しでもある。
「ありがとう、エドワード様。……とても素敵な空間ね。こうして光が差し込むのを見ていると、まるで、お義母様も一緒に微笑んでくれているみたい」
そう呟くと、エドワードは微かに瞳を揺らし、そしてふっと小さな笑みを浮かべた。昔なら、その母の思い出を他人に語ることさえ嫌がったのに、今はセレスティアが言及しても拒まない。それどころか、むしろ安心したような表情を見せる。
「実は……お前に見せたいものがあって。少し待っていてくれないか?」
部屋の片隅にある小さな机へ向かうと、彼は何かを取り出し、そのままセレスティアの前へ戻ってきた。差し出されたそれは、古びた小箱。その表面には複雑な飾りが施され、金属の留め具がやや錆びついている。
「これは、母が最後まで手放さなかった宝石箱だ。中には……母が受け継いだ宝石のほか、俺が幼い頃に書いた手紙も入っている。……正直、見るたびに苦しくなるから、ずっとしまいこんでいたが……今はもう大丈夫だ。お前となら、きっと受け止められると思う」
エドワードの声には、昔の悲しみを乗り越えた、あるいは乗り越えようとする強い意志が感じられた。セレスティアは息を呑み、箱をそっと開く。中には母親らしい繊細な宝石やアクセサリーがいくつも入っており、その間に幼い字で書かれた手紙の束が見える。確かに以前、彼の“私室”をのぞいてしまったときに見た走り書きと同じ筆跡だ。
「わたしも、お義母様のことはよく存じ上げないけれど、この箱を見ていると、あなたが幼い頃に求めていた愛情が垣間見えるような気がするわ」
埃を払うようにそっと指先で触れると、エドワードは静かに視線を落とした。けれど、以前のような強烈な拒絶はない。彼は穏やかなまま、セレスティアと一緒に箱の中身を確かめる。
「……母もきっと、お前のことを歓迎したと思う。俺がようやく“愛”を知れたのだから。――そして、もう一つ、見せたいものがある」
箱の底をまさぐると、彼は小さな袋を取り出した。その中には、指輪がひとつだけ。銀の台座に小さな青い石がはめ込まれた、決して豪華とは言えないが、どこか優美な雰囲気をたたえた指輪だった。刻まれた模様は古いが、手入れが行き届いているのか、曇りひとつない。
「これは……?」
セレスティアが問いかけると、エドワードは一瞬だけ緊張したように息をのむ。そして、まっすぐ彼女の瞳を見据えて、低く穏やかな声音で言った。
「母の形見のようなものだ。正確には、母が俺の父から贈られた指輪らしい。……幼い頃は、こんなもの何の意味があるのかと思っていた。でも今はわかる。――たとえ高価でなくても、そこに込められた“想い”こそが宝物だ」
言葉を継ぐと、エドワードは指輪を両手で包み、セレスティアの前に差し出す。ごく自然な動作なのに、まるで儀式のような重みをもって感じられる。視線は真剣で、もう逃げ場などないと言わんばかりの熱を帯びていた。
「セレスティア。……俺は、お前と初めて“自由な愛”を知った。束縛や支配ではなく、お互いを認め合い、ともに成長する喜びを教えてくれたのはお前だ。――だからこそ、今の俺は心から思うんだ。お前と“共に”生きたい、と」
その言葉に、セレスティアは胸を締めつけられる。エドワードが行おうとしていること――それは明白だった。かつては彼から「逃げることは許さない」と言われ、半ば強引に結ばれたようなものだったが、今、彼が差し出すのは“本人の意思”が前提の“選択”であり、“成熟した愛”の形だ。
「……わたしも、あなたと生きたい。あなたが変わりたいと願ってくれたから、わたしもここまで強くなれたの。だから、今度はわたしからもあなたに『共に生きる』と誓いたい」
声が震え、思わず涙がこぼれそうになる。エドワードは指輪を握りしめ、意を決したように膝をついた。まるで古い物語に出てくる騎士のように、誇り高く、しかし懇願するような態度でセレスティアを見上げる。
「……結婚という形を、改めてお前と選びたいんだ。昔の俺は、お前を物のように扱ってしまったが、今の俺は違う。お前を“自分と対等の存在”として迎えたい。……セレスティア。俺と、もう一度結婚してくれないか?」
その問いに、セレスティアは深く息を吸い込み、頬に伝う涙を拭う。言葉は要らなかった。声を詰まらせながらも、小さく何度も頷く彼女に、エドワードはそっと指輪を差し出す。そして、セレスティアの指に青い石があしらわれた指輪をはめると、彼女の手の甲にそっと口づけを落とした。
静かな歓喜が二人を包む。屋敷の廊下には誰もいないが、時間さえ止まったように感じられる。かつては冷酷で独善的だった公爵が、いまはひたすらに真摯な瞳で愛を誓い、昔とは違う成熟した愛の形を見せてくれた。その事実が、セレスティアの胸を温かく満たす。
「――ありがとう、エドワード様。わたし……あなたと、今度こそ“心から”結ばれたいと思う」
そう言葉を継いだセレスティアの瞳には、もう怯えも迷いもない。エドワードもまた、安堵と喜びが入り混じった微笑みを浮かべ、彼女をしっかりと抱き寄せる。二人の呼吸が重なり合い、長い静寂が優しく訪れた。
(これが、わたしたちが目指してきた愛の形……誰にも乱されない、“自由”の上に成り立つ愛)
セレスティアはその胸中でそう噛みしめながら、エドワードの腕の中で穏やかに身を委ねる。かつてのように不安や恐怖に塗れた日々は遠い過去のもの。今はただ、未来への希望と共に、彼がくれた“もう一度のプロポーズ”を深く受けとめるのだった。
まばゆい陽の光がサロンの窓から差し込み、二人の姿を静かに照らし出す。かつて“束縛”だった指先の絡みは、いま“対等に寄り添う”ための手の繋ぎに変わった。エドワードの唇がセレスティアの耳元に近づき、低く優しい声で囁く。
「お前を一生、愛して守り抜く。……今度こそ嘘じゃない。お前のすべてを尊重する形で、この手はお前を離さないと誓うよ」
その決意に、セレスティアは涙交じりに微笑み、「わたしも……あなたを離れない。あなたが“自由に生きて”くれるように、いつまでも隣で支えていくわ」と返す。古ぼけた指輪が青く輝き、きらめく光の中に二人の絆が強く映し出されていく。
このプロポーズは、過去とは違う、互いの心が真に重なった証。いまようやくセレスティアは、エドワードが献げる愛の深さを知り、そして自分もまた“同じ想い”を抱いていることを確信する。長い道のりだったが、その末に咲いた愛の花は、何よりも美しく、そして“自由”という名の強靭な根を張っているのだった。