新緑が鮮やかに色づく初夏の朝。エドワードの邸内は、かつてないほどの華やぎに包まれていた。使用人たちが忙しく立ち回り、花々やリボンを飾りつける。大きなテーブルには見事な食器が並び、廊下には甘く優雅な香りが漂う。まるで祝福の風があちらこちらから吹き込んできたかのように、屋敷全体が朗らかな空気に満ちている。
その理由は言うまでもない――今日は、セレスティアとエドワードが“改めて”結婚を誓う日だった。
かつては半ば強引に結びつけられた二人。けれどいま、真の愛を確かめ合ったうえで「もう一度、互いを選び合う」式を挙げることで、邸や領地の人々にもきちんと祝福してもらいたい。エドワードとセレスティアはそう考え、屋敷の大広間を開放してささやかな祝宴を用意したのである。
「奥様、本当にお美しい……!」
侍女たちが感嘆の声を漏らす中、セレスティアは白いドレスに身を包んで鏡の前に立っていた。かつての結婚式とは違い、彼女自身が選んだシンプルなデザイン。長いトレーンは控えめだが、胸元と袖口に繊細なレースがあしらわれ、どこか可憐な雰囲気を漂わせている。
(こんな晴れやかな気持ちでドレスを着られる日が来るなんて……)
そう胸に抱き、セレスティアはほほ笑む。初めての式ではただの道具扱いだった自分が、いまは心から“花嫁”として喜びを感じている。侍女たちもその変化を察しているのか、皆、嬉しそうにセレスティアを支えてくれる。
やがて、執事から「旦那様がお迎えにまいりました」と声がかかり、セレスティアは静かに部屋を後にする。胸の奥がどきどきと高鳴り、手先が少し震えそうになる――でも、それは不安ではなく、心地よい期待感の証だった。
階段を下りた先のホールで待っていたのは、格式ばった正装をまとったエドワード。髪も丁寧に整えられ、いつもよりさらに端整で凛々しい。彼の姿を見た瞬間、セレスティアの胸にはいっそう温かな感情がこみあげてくる。
エドワードもまた、彼女を見つめる瞳に穏やかな光を宿し、さっと近づいてくる。周囲の視線が二人を祝福するなか、彼はセレスティアの手をそっと取った。
「今日は“本当の意味”で、俺たちの結婚を皆に示す日だ。……お前が、こうして笑顔でいてくれることが何より嬉しい」
エドワードの低く落ち着いた声に、セレスティアは恥ずかしそうに微笑み返す。並んで歩くその一歩一歩が、まるで古い因縁を振り払い、新たな未来へ足を踏み入れるかのように感じられた。
邸の大広間は、さながら小さな教会のように装飾され、華やかな花々やリボンが至るところで揺れている。正面には簡易的な祭壇が設けられ、使用人や領民の代表も見守る中、司式役の老神官が厳かな面持ちで二人を迎える。
もともと、あれほど大勢を招くつもりではなかったが、エドワードの人柄が変わったことを祝福したいと思う人々からの要望が多く、招待客は思いのほか増えてしまったのだという。先の陰謀騒ぎから立ち直ったばかりの領民も、こうしてお祝いの場に参加してくれるのは、セレスティアにとって嬉しい驚きだった。
司式役の進行に従い、二人は互いの手を取って誓いの言葉を交わす。
(前の式では、あんなにも怖かったのに……)
セレスティアの脳裏に、一度目の結婚式が一瞬よぎる。あのときはエドワードの冷酷さばかりが目に付き、全身が震えた。しかし今は違う。彼の瞳には優しさが満ち、言葉の一つひとつが深い愛を帯びている。かつて彼女が知り得なかった“本当の愛の重み”を、いま二人で紡ぎ出しているのだ。
誓いの言葉を終え、最後に指輪を交換する。セレスティアの指にそっとはめられたのは、青く輝く宝石をあしらった指輪。以前のプロポーズで彼が差し出した母の形見とは別に、新たに誂えたものだが、同じデザインの意匠が刻まれている。過去と未来をつなぎ合わせるように、エドワードが工夫して作らせた特別な逸品だった。
「セレスティア……“お前は俺のすべて”だ」
エドワードが静かに囁く声が、大広間の静寂を溶かす。柔らかな光がステンドグラス越しに差し込み、二人の姿を優しく照らしていた。
セレスティアはその言葉に目を潤ませながら、かすかな震えをこらえて微笑む。今までは「お前は俺のものだ」という支配の響きばかりだった言葉が、こんなにも甘く温かい響きに変わるとは思わなかった。今や、そこに狂気や独占欲はない。ただ、深い敬意と愛を込めて「お前は俺のすべて」と告げているのだ。
拍手とともに、列席者たちの歓声が大広間に広がる。使用人たちがさまざまな場所で涙を浮かべているのも見受けられ、セレスティアは小さくはにかんだ。まさに、二度目の結婚式にして“初めての真実の祝宴”――そんな気さえする。
やがて、二人は祭壇の前で抱きしめ合う。エドワードの腕がセレスティアの腰をしっかりと抱き寄せ、そのまま頬に、そして唇に軽く触れるキスを落とした。その一瞬で、彼女の全身が一気に熱を持つ。何度も重ね合ってきた口づけとはいえ、今日という日の特別感が甘美な余韻を深く刻んでいく。
「さあ、皆のもとへ行こう。……これまでなら考えられないが、みんなが喜んでくれるなら俺も嬉しい」
エドワードが照れくさそうに口元をゆがめながら言う。その変化こそが、セレスティアにとっては愛おしく、また誇りに思える瞬間だった。
祝福の空気を惜しみなく感じながら、二人は大広間を歩く。列席者たちからの歓声と拍手が、さらに熱を帯びていくのを感じた。その間、エドワードはセレスティアの手を一度も離そうとしない。互いにそっと見つめ合う瞳には、かつての恐れや孤独など微塵もない。
やがて、一通りの儀式や挨拶を終えたあと、屋敷の中庭で簡単な祝宴が催される。色とりどりの料理が並び、音楽が流れ、人々は二人に“新たな夫婦”としての祝福を送る。セレスティアは一人ひとりにお礼を伝えながら、エドワードのそばを離れずに歩く。その姿はもう“所有される人形”などではなく、自らの意思で彼の隣を選んだパートナーそのものだ。
時間が経つにつれ、席を立っては談笑する人々の輪がいくつもでき、幸福なざわめきが庭を満たしていく。セレスティアは一息つき、庭の端にしつらえられたテーブルに腰掛けた。そこへエドワードがそっと近づき、「お前、疲れてないか?」と声をかける。
「ううん、平気よ。……でも、不思議な感じ。わたしはもう、こうしてあなたの妻として“第二の結婚式”を挙げているのに、心はなんだかまだ夢を見ているみたい」
彼女がそう答えると、エドワードは軽く笑みを浮かべ、「夢じゃないさ」と呟いた。彼は瓶のワインを手に取り、二人分のグラスに注ぐと、そのままセレスティアへ差し出す。
いつもなら執事や侍女が行う仕事を、彼自らがやってのける様子に、周囲は少なからず驚いているかもしれない。だが、いまの彼にはまったく気にする様子もなく、セレスティアの笑顔だけを見て微笑んでいる。
「乾杯……と言いたいところだけど、ちょっとした秘密があってな。お前にだけは、先に伝えておきたい」
「秘密……?」
首をかしげるセレスティアに、エドワードは不意にグラスを置いて、彼女の手を取り立ち上がらせる。甘い音楽が流れる中、二人は自然と踊りの輪から少し離れた場所へ移動した。庭木の陰になっているせいか、人目を忍ぶような雰囲気がある。
「お前との“本当の結婚式”を挙げたかった。だから、こっそり準備を進めていたんだ。……お前を驚かせたくなくて、あまり大袈裟にしないようにしたけど、いろんな人が協力してくれたんだぞ」
エドワードが少し照れながらそう言うと、セレスティアは目を瞬かせ、「それがこの豪華な飾りつけだったのね……」と納得する。彼は彼なりに、ギリギリまで人を騒がせるほど派手にはしないよう気を配りつつも、しかし今日という日を最高の形で迎えられるよう奔走していたらしい。その事実が、セレスティアの胸をまた熱くする。
「ありがとう、エドワード様。あなたの気持ちが、すごく伝わってくるわ」
そのまま彼女がそっと腕を回して抱きしめると、エドワードは強い腕で応えるように抱き寄せる。まわりの人々からは遠巻きに見られているかもしれないが、二人とも気に留めない。キスを交わすわけではなく、ただ背中を抱きしめ合うだけで、こんなにも幸福感が溢れるのだとセレスティアはしみじみ思う。
「お前は、俺のすべてだ」
彼の囁きが耳元で染み渡る。今度こそ、その言葉に潜むのは狂おしい所有欲ではなく、“大切な存在への深い愛”だけだ。セレスティアはうなずいて、彼の胸に顔を埋め、そっと瞳を閉じる。
(わたしも、あなたが世界のすべてよ)
心の中でそう呟きながら、二人は互いの鼓動を感じ合う。やがて、遠くから拍手や歓声が上がり、誰かが新郎新婦を呼ぶ声が聞こえる。エドワードとセレスティアはそっと身体を離し、再び客人たちのもとへ向かおうと手をつないだ。
「行こうか。皆が待ってる」
「ええ」
恋人たちのような甘い雰囲気を保ちながら、二人は微笑みを交わす。そのまま庭の中心へ戻り、祝杯の音や笑顔に包まれながら、共に歩き出す。もう何も恐れることはない。苦難や試練が訪れたとしても、二人なら乗り越えられると思えるのだ。
こうして、セレスティアとエドワードは新たな夫婦としての旅路を始める。かつての歪んだ執着も、血の匂いのする狂気も、すべては乗り越えるための経験となった。いま二人の間にあるのは、真に“自由”な愛――互いを縛らず、尊重し合いながら、しかし深く深く求め合う絆。
祝福の風が中庭を吹き抜け、花びらが舞い散る。その一枚一枚が日差しの中で光を受け、幻想的な景色を描き出す。そこで互いを見つめ合う二人の姿は、まるで運命のペアがこの世界を支配しているかのように、美しく輝いていた。
“お前は俺のすべてだ”――最後にその囁きがかき消されるほどの拍手と歓声が沸き起こり、二人は心からの笑みを浮かべる。濃密な愛の余韻が、青空の下を満たし、二人の物語が新たな章へ入る予感を予期させる。
この先、どんな困難や喜びが待っていても、もう二人は怖くない。真実の愛で結ばれたこの瞬間が、何よりの“力”となるから――。そして、互いの指に輝く指輪が、その約束を永遠に刻み続けていくのだった。