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第46話 助けたい誰かのために

「まだまだ謎だらけってことか。だが、キミはあいつに家族を……人質にされてたんだな。裏切られたんじゃないかって、少しでも疑った僕は大馬鹿だ」


 レツェリに協力するよう、初めから脅されていた。きっとイドラがミロウに出会うよりもずっと以前からだ。

 スクレイピーの一件の時には、不死殺しの情報をあの男は求めていたに違いない。ミロウを通じてそれを得た。


「それでも、わたくしが今日まで正義に背いてきたのは事実です。正しくあれという、幼き日からの両親の願いを踏みにじってきた。信じてくれたあなたたちを裏切り続けてきたのは本当です」

「そんなことはない! キミはやらされていただけだ、本意に反して!」

「そうですよっ。わたしは忘れません。ミロウさんとベルチャーナさんが馬車の中で、わたしのために怒ってくれてたことを!」

「ええ……ですがその怒りを向ける先を正しく理解できていなかった」


 ミロウは突然に足を止める。それから振り向いて、イドラたちとすれ違うように引き返した。


「ミロウ?」

「あの方がソニアを陥れ……イモータルを葬送するべき協会が、イモータルの力を人間に注ぐような実験をしていると信じたくなかった。確かめるために、あなたたちを利用した」

「ミロウさんっ、なにを」

「これは、わたくしのけじめです。これ以上あなたたちを巻きこめない」


 ミロウが腕を上げる。その手に普段着けているダークブラウンの革手袋は既になく、指先から放たれた細い輝きが螺旋を描くようにまとまりながら天井を穿つ。なにをしたのかイドラは一見しただけではわからなかったが、しかしその意図は察せられた。


「待て! ひとりで戦うつもりか、僕たちも——」

「どうかお逃げください。振り返らず、喧噪の残る街に出て。あの方の魔の手が届かない、ずっとずっとはるか遠くの土地に。そしてまたいつか機会があれば……わたくしに償いをさせていただけますか?」


 ガラガラと激しい音を立て、天井が崩落する。一瞬にして大きな瓦礫が降り注ぎ——その合間から一瞬だけ窺えたミロウの顔には、決別の笑みがどこまでも穏やかに浮かんでいた。


「ふざけるな! キミを置いて逃げるなんてできるはずないだろうがっ、今すぐ戻ってこい!」

「前に出ちゃダメですイドラさんっ、危ないです! 巻き込まれちゃいますよ!!」


 手を伸ばそうとするイドラ。その体がソニアの細い手に引き戻され、直後、廊下が完全に瓦礫で埋まる。埃がわっと舞い上がって、短い間だけ視界を奪った。


「ミロウ! ミロウっ!! くそ……こんな大規模な技が使えたのか、あいつのギフト」


 向こう側へ呼びかけても、返事はしんとした静寂のみ。

 単なる糸の一撃とは思えないほど崩落の規模は大きく、上階部分まで巻き込んで瓦礫が山と積もっている。それともこれが彼女本来の、エクソシストの筆頭としての力なのか。


「イドラさん……どうしましょう」

「それは……」


 逃げろ。そうミロウは言った。

 秘密を知られもしたレツェリは、これから徹底的にイドラとソニアを狙うだろう。それがなくとも、イモータルを用いた不死の研究に『不死殺し』というファクターは欠かせない。それによって臨界を先延ばしにし、ヒトとしての意識を保ちつづけるソニアという『不死宿し』もだ。

 協会の司教という立場は、あまりに強大だ。名を違えども、葬送協会はロトコル教会。その教えと信徒は大陸中に、そして他大陸にも広まっている。


 もしもレツェリがこの先も司教の立場を失わないのであれば。ロトコル教の目がある場所であれば、どこへ行ってもあの男の手から逃れられない。

 しかし逆に言えば、他宗教が強い土地であれば信徒の数は激減する。

 例えばセッショ大陸。例えばゼンテーシ大陸。……例えば、現状イドラが目指す雲の上への糸口をつかめる可能性が最も高い、ビオス教の広まるフィジー大陸。

 ランスポ大陸を出て、宗教も常識も違う場所に行くなんて、旅をしてきたイドラも考えたことはなかった。イモータルはランスポ大陸にしかおらず、贖罪の旅はほかの土地では続けられなかった。


 けれど。贖罪は、自己満足でしかないと気づき。新たな目的を達するためには、フィジー大陸に向かうことが妥当であり。

 そのように行動すれば、レツェリからも逃げられる。

 あのイモータルよりも恐ろしい赤眼。外見から推し量れないほど長く生き、不死という野望のためにすべてのものを糧にし、あらゆる手段を厭わない怪物。

 オルファは狂っていた。狂わされていた。

 あの怪物の手に捕えられれば、最後には自分も同じようになってしまうのではないか? イドラの脳裏には、緑がかった瞳の色彩を黄金色に染められ、意味不明な言動を繰り返すオルファの姿がよぎる。


 ここで踵を返し、正面玄関から逃げだせば。ミロウの言う通り、今すぐここを出て、感謝祭の余韻で盛り上がった通りを抜け、デーグラムから北か東に向かって適当な港から船でフィジー大陸に渡航すれば。

 なにもかも忘れられる。

 ソニアはついてきてくれるだろう。

 いっしょに逃げてほしいといえば、最終的に頷いてくれる。心からそう思えた。なぜなら二人は、血縁よりも恋よりも強い依存の糸につながれている。


 罪人が生きるには、互いの肯定が必要で。身体的にもソニアは、イドラのマイナスナイフがなくては生きていけない。決定的な依存だ。特にあのオルファを見た後では、イドラから離れようなどとは到底思えないだろう。

 だから。イドラは、ゆっくりとそばに立つソニアの、橙色の瞳を見て——


「ミロウを助けに行く。いいな」

「はい。行きましょう、今すぐに!」


 真っすぐに伝えると、ソニアは一瞬もためらわず頷いた。

——本当に助けたいと思った相手だけは、なにがなんでも助けなさい。

 遠い記憶から、懐かしいにおいのする家で、恋しい母の声がする。あの日、どんな場所でもリティに育てられた息子として恥じない行いをすると、声に出して約束した。理由はそれだけで十分だ。

 イドラは昼間にミロウから受け取った、司教室の位置が印された聖堂の簡易的な見取り図のメモを今一度取り出した。


「廊下は塞がれたが……この聖堂はぐるっと囲む感じで廊下が伸びてる。回り込んでくれば、ミロウと合流できるはずだ」

「逆側からですね、わかりましたっ」


 小さな手が、ワダツミを肩から背負うヒモをぎゅっと握る。二人はすぐに、瓦礫に塞がれた方とは逆に廊下を走り出した。決して逃走ではなく、助けるべき誰かのために。

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