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第97話 ただいま

 未来は最寄りの駅から電車に乗って帰路に就くことにした。

 バニースーツの希美は、朋子がサイドカーで自宅に送っていった。いつもの原付ではなく従兄から借りたものらしい。

 この町ではほとんど見かけることのない乗り物に未来ですら興味を惹かれたが、三人乗りは遠慮しておいた。スカートで朋子の後ろに跨がるのは、なんだかはしたない気がしたたし、希美がそちらというのは、さすがにかわいそうだ。

 やや遅い時間、ローカル線のホームは人影がまばらだった。ちょうど列車が出たばかりというのもあるだろうが、やはりここはまだまだ田舎町だということだろう。

 開発が進んで、確実に人口も増加しているが、それでもこの町が本当の意味での都会になることはない気がする。

 あるいはそれを願っているのかもしれない。

 かつて未来は魔術の秘技で、ここよりも遥かに文明レベルが進んだ世界を、いくつも目にしたが、そこでは常に弱者が強者によって虐げられ、退廃と醜悪が繁栄の裏側に潜んでいた。

 今のところ、この世界はそこまでひどくはないが、やはり近代社会には立場の弱い者を切り捨てる傾向がある。

 昴たち、そして希美たち地球防衛部は、基本的にはそういった人々の味方だが、社会の腐敗を止める力までは持たない。もちろんそれは彼らのせいなどではない。責任は人類という種そのものに帰せられるものだ。


(願わくば、この世界の人々が、そこまで愚かではありませんように)


 静かに祈りながら夜空を見上げる。やはり町中には光源が多く、それほど綺麗に星が見えるわけではない。それでもなお天空に瞬く星々の輝きは、未来の目を楽しませてくれた。

 心がやさしい気持ちに満たされるが、こんな時には決まって悲しい記憶が蘇ってくる。

 初めて人を殺めたのは八歳の時だ。

 彼女の一族は魔術の研究のため大きな屋敷で共同生活を営んでいたが、その日、突然現れた暗殺者たちによって、彼らは使用人もろとも惨殺された。

 追い詰められた未来は身を守るために初めて魔術で人の命を奪ったのだ。

 タガが外れたのはその瞬間だった。自分の中に眠っていた真の力を自覚した途端、恐怖は怒りにすり替わり、逃げ惑う敵をひとり残らず消し炭に変えた。

 しかし、その時にはもう未来以外の人間はすべて死に絶え、安らぎに満ちていたはずの屋敷からは一切のぬくもりが消え失せていた。

 未来は親類縁者の骸を可能な限りかき集めて庭園に埋葬する一方で、襲撃者たちの骸は禁呪によって魔素に変換してスケッチブックに塗り込めた。

 復讐のために、より強大な魔力が必要だと考えたためだ。

 そこから始まった闘争の日々の中で、未来の心はさらに荒み、最後には世界そのものを滅ぼそうとまでした。


(残りの人生のすべてを懸けてでも償わなければ……)


 それが筋だと思うのだが、地球防衛部の仲間たちはこれを歓迎しない。それでは幸せにはなれないと誰もが言うのだ。

 自分には幸せになる権利などない。そう思う一方で、それを望んでくれる彼らが間違っているとは思えない。

 未来が不幸になれば彼らは悲しみ、幸せになれば喜んでくれるだろう。

 それを知ってなお、不幸を望むことは、さらに罪深いことのように思える。


(どうしてそんなにもやさしくいられるのかしら)


 ぼんやりとした眼差しを星空に向けていた未来は、列車の接近を告げるアナウンスを耳にして構内へと視線を戻す。

 そこで、目が合った。

 いつからそこに立っていたのか、ひとりの青年が真剣な顔をして、その眼差しをじっと未来に向けている。

 茫然とその視線を受け止めながら、未来は息が詰まるのを感じた。胸が疼き、身体が熱くなる。


「……葉月くん」


 六年前よりも幾分は精悍になっているが、彼の顔を見間違えるはずがない。

 彼こそが未来の心を冷たい闇の中から救い出してくれた人。そして生まれて初めて恋しいと感じた人――葉月昴その人だった。

 駆け寄ってしがみつきたいという衝動と、いたたまれずに逃げ出したいという衝動が同時に湧き上がる。

 それでも視線を逸らすこともできず身動きができない未来に向かって、昴が歩み寄ってきた。

 ギリギリのところで、とうとう背を向けて逃げ出しかけるが、昴は素早く手を伸ばして未来の腕をつかんだ。


「未来」


 懐かしい声が鼓膜を振るわせ、涙が溢れる。

 ずっと聞きたかった声。呼ばれたかった名前だ。

 だからこそ未来は篤也に頼んで明日香希美ではなく、小夜楢未来の名前で新しい戸籍を用意してもらったのだ。


「未来、顔を見せてくれ。君なんだろ? 生きていてくれたんだな」


 やさしい声だ。何度も夢で聞いた、あの頃のままの彼の声だ。


「葉月くん……」


 感極まって向き直ると、未来はとうとう彼に抱きついた。

 叶わぬ恋であることなど、今はどうでもいい。

 ずっと会いたかった人が、ずっと恋い焦がれた人が目の前に――腕の中にいるのだから。

 ふたりの傍らに列車が停まり、すぐにも発車のベルが鳴るが、それももうどうでも良かった。

 未来はただ泣きじゃくる。子供のように、言葉にならない声をあげて。

 昴はそんな彼女の身体を抱き留めながら、その頭をそっと撫でた。


「お帰り、未来」


 温かな言葉が未来の胸に染み渡る。

 未来はようやく気づいた。自分が八歳の頃から、ずっと迷子のままだったということに。

 帰る家もなく、帰る場所もなく、待っていてくれる人もいない。ずっとそんな日々を送っていたのだ。

 しかし、今ようやく彼女はそれを見つけた。


「ただいま……」


 自分の涙の熱さを実感しながら、未来はその言葉を口にした。

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