家に戻っても、まだバニースーツを脱ぐわけにはいかない。
二十四時間着続けなければ、呪いは解除されないのだ。
もちろんハイヒールも脱ぐわけにはいかないので、靴の裏を綺麗に拭いてから部屋に上がった。
ようやくマントを脱いで一息吐く。
ふと気になって、姿見の前に立った希美は、一瞬で真っ赤になって顔を背けた。
「やっぱり、これは恥ずかしすぎる。葉月くんに見られたら百回死ぬ」
哀れっぽい声でつぶやく。
「いや、命はひとつしかないよ、希美ちゃん」
告げてきたのはもちろん朋子だ。
おかしなマリスに襲われた後だというので、念のため今夜はここに泊まるつもりらしい。
希美は必要ないと言ったのだが、朋子は部員の安全のためだと言って聞かなかった。実際、その判断は間違っていない。
あのタイプのマリスは思わぬ形でダメージを残すことが度々あるからだ。
もっとも、今のところ、とくに異常は感じない。あるいは、エイダの説明どおり、このバニースーツは霊的な攻撃に対して、万全の防御力を誇るのかもしれなかった。
「とにかく晩ご飯を作らないとね」
勝手知ったる顔で冷蔵庫を開く朋子。
中を一目見た途端、横目で希美を睨みつけてくる。
「希美ちゃん」
「はい……」
「ちゃんと自炊しなさいって言ったよね」
「そ、それはその……ちょうど今切らしてて……」
デマカセを口にするが朋子はまったく信じた様子がない。
「ごめんなさい、嘘です」
観念して項垂れる希美。
朋子は大きく溜息を吐くと、ポケットから財布を取り出して中身を確認した。
「しょうがない。今夜はコンビニでお弁当でも買うとしましょう」
「ま、まさか、この恰好で買いに行けと!?」
焦る希美に朋子は意地の悪い目を向けてくる。
「そうだね。約束を破った罰だし」
「そんな~~~っ」
へたり込んで希美はイヤイヤをするように首を左右に振った。
「冗談だよ。さすがにそこまで酷なことはしないよ」
普段の微笑みを浮かべる朋子を見て、希美は心底ホッとした。
「買い物はわたしがしてくるから、希美ちゃんはゆっくりしてなさい」
「あっ、お金はわたしが出します」
「それはダメ。奢るのは先輩の役目。後輩に奢らせるのは悪い先輩だから」
持論を口にすると、そのまま玄関に向かい、ドアノブに手をかけたところで思い出したようにふり返った。
「リクエストとかあるかな?」
「いえ、お任せします」
苦手なものもないではないが、いつもお弁当を作ってきてくれる朋子だ。そのあたりのことはとっくに把握している。
「じゃあ、行ってきます」
「はい、お気をつけて」
出かける朋子を見送ったあと、希美はベッドに寝転がって一息吐いた。
思い浮かべるのは、さっき戦ったマリスのことだ。
未来の言うとおり、錯覚かもしれないが、やはり気になってしかたがない。
「そもそもどこに行ったんだ……深天」
あるいはザンキが一緒なのだろうか。
ふたりのことはもちろんのこと、耀は他の
彼らは篤也の判断によって円卓に引き渡され、国外にある異能犯罪者専門の収容施設へと送られる運びとなった。
そこで更生プログラムを受けることになるらしいが、ハルメニウスによって植え付けられた凶悪さから、彼らが脱却できるのかどうかは希美にも分からない。
深天と槇村の人格形成に関しては、ふたりが与えられた役割ゆえに、ハルメニウスも干渉を避けたようだが、やはり自分の出自を知って大きな衝撃を受けたことは疑いの余地もない。
姿をくらましてしまった気持ちも理解できなくはないが、こうなってくると、なおさら心配だ。
もっとも、いくら深天と槇村が負の感情に囚われているとしても、ふたりの想いだけでは、そうそうマリスの発生には結びつかない。それゆえに未来も気のせいだと考えたのだろうが、それでもなお気になるのだ。
とはいえ人捜しは希美たちの専門外だ。
その手のことを得意としているのは警察で、彼らは円卓からの指示によって優先事項とされたふたりの捜索を行ってくれているが、今のところ何の手がかりもつかめていない。
「彼らにも無理となると、残るは……」
希美の脳裏にぼんやりと浮かぶワードがあった。
「探偵か……」
もちろん希美が思い浮かべたのは、ただの探偵ではなく魔術や異能力にも精通した特別な探偵だ。
財布を取り出すと、挟んであった名刺を取り出して、そこに書かれた文字を読み上げる。
柳崎探偵事務所――葉月昴が所属する探偵事務所だ。彼らならば深天と槇村を見つけ出せる可能性が高い。
しかし、ひとつ問題がある。
「あの超能力姉妹は人の心が読めるからな……」
希美には絶対に暴かれてはならない秘密がある。
「まあ、あのふたりにだけは会わないように気をつければいいか」
直接昴に頼めば大丈夫だろう。
ひとまず希美は方針を定めた。
◆
葉月昴が居候している高月邸は六年が経過した今も、あまり変わった様子がない。小ぎれいな印象もそのままだ。
当時、未来がここを訪れた時は昴の敵としてだったが、もちろん今はただのお客だ。そんな立場で、この家の敷居を跨ぐ日が来るとは夢にも思わなかった。
昴に促されるまま中に入ると、出迎えに出てきた由布子とバッタリ顔を合わせることになった。
彼女にとって未来は死んだはずの人間という以前に、自分の命を脅かした相手だ。驚くなという方が無理だろう。
実際に由布子は、しばらくは茫然としたように目を丸くしていた。何度か目をパチクリと開け閉めした後、一度だけ昴に視線を移してから、未来に向き直ると、ようやくやわらかな笑みを浮かべて、やさしい声を響かせる。
「お帰りなさい」
恨み言でもなく、事情を詮索するでもなく、第一声にそれを選んだ彼女の思いやりに、たまらなく胸が熱くなる。
目尻に涙の粒を浮かべながら、未来は何とか言葉を絞り出した。
「ただいま……」
「うん」
うなずく由布子の瞳にも涙が滲んでいる。
六年前のあの日、陽楠学園の屋上で、地球防衛部の面々は未来を赦してくれていたが、やはりそれはあの時ばかりのものではなく、心からのものだったのだ。
疑っていたつもりはないが、やはり心のどこかでは怯えていた気がする。
「さあ、上がって。とりあえずコーヒーを……あ、もしかして夕ご飯はまだかしら? 今なら特製カレーライスを御馳走できるけど?」
「わ、わたしは……」
「遠慮なく食べていけよ。美味いぜ、うちのカレーは」
昴に促されて、未来は素直にうなずいた。
正直、胸がいっぱいで食欲は感じなかったが、彼らの厚意を無下にしたくはない。
「とりあえず俺の部屋に上げるよ」
「それじゃあ狭いでしょ。みんなも呼ばないといけないし、お父さんに言って居間を空けてもらうわ」
「わかった」
先に由布子が奥へと戻っていき、そこで家族に事情を説明しているようだ。
恋しい人は隣で微笑みかけてくれていて、憧れた人たちが自分を迎えてくれようとしてくれている。
なんだか現実感がなく、未来は夢見心地で溢れんばかりの幸せを噛みしめていた。