「朋子先輩にはお世話になってばかりですね」
コンビニ弁当をつつきながら、バニーガール姿の希美がつぶやく。
場所がワンルームマンションの平凡な部屋であることも含めて、いろいろとアンバランスだが事情が事情だけにしかたがない。
少しばかり面白がっていたことを反省しつつ、朋子は笑みを浮かべて答えた。
「気にしないで。後輩の面倒を見るのは先輩の務めだから」
「面倒くさい後輩ですみません」
神妙な顔をして頭を下げてくる。
「他人行儀なのはやめて」
苦笑いで告げると、希美はそこでイタズラめいた笑みを浮かべた。ふざけていただけなのかもしれない。
(けど、よく考えたら、わたしはこの娘のことを、なんにも知らないんだよね)
少々、慌ただしい日々が続いたこともあるが、一段落した後も、朋子は希美の過去について詮索しようとはしなかった。
部活の先輩後輩というだけの間柄ならば、それはむしろ自然なことかもしれないが、地球防衛部にとってお互いは共に死線をくぐり抜ける戦友だ。
エイダに対してもそうだが、もう少し距離を縮める努力をするべきかもしれない。
ただ、エイダはともかく希美は、それを歓迎しない気がする。
現在判っていることといえば、百戦錬磨の魔術師である篤也でさえ舌を巻くほどの、凄腕の魔術師であるということ。当部活のOBである葉月昴と縁があり、彼に片想いしていること。物心つく間もなく両親に捨てられて幼少期は施設で暮らしていた――というていどのことだろうか。
当然のことながら、これだけの説明では希美が、今のような人間になったことの説明はまるでつかない。
何か重いものを抱え込んでいるのは間違いないが、それでも希美は
だが、その一方で現在に対する執着が希薄なのではないだろうか。
仲間や友人とのふれあいで少しはマシになった気もするが、このまま卒業すれば糸の切れた凧のように、どこへともなく消えてしまいそうな気がする。
朋子自身は一学年上のため、先に卒業するのはやむを得ないが、できることなら卒業後も仲間との縁は途切れさせたくない。
そこまで考えたところで、ふと肩の力を抜く。自分の悩みが、いかにも平凡なものであることに気がついたからだ。
卒業して道が分かたれれば地球防衛部に限らず、大半の若者が仲の良い友人と疎遠になるだろう。いつまでもずっと友達でいようねと約束したところで、実現するのはほんの一握りだ。
それでも叶うことなら朋子は希美にとっての、その一握りになりたい。だが、希美の場合は、そもそもその一握りを誰にも求めていない気がするのだ。
「希美ちゃんは進学のこととか考えてる?」
思いついたまま問いかけると、希美は小首を傾げた。
「えらく気が早いですね。わたしはまだピカピカの一年生ですよ」
「三年なんてあっという間だよ」
「確かに」
希美は寂寥を感じさせる眼差しを、部屋の片隅に置いたヴァイオリンケースに向けた。
その中には折り畳まれた
思えば希美は、これを手にするためだけに陽楠学園に来た少女だ。進学のことなど、まったく考えていない可能性もある。
「これから考えますよ。わたしの場合、人生は普通の人よりもずっと長いですから」
老いがゆるやかなのは強い力を持つ魔術師の特徴だ。そのため彼らの多くは大人になると、朝日向耀のように老け顔を偽装するか、世俗から離れて生活するようになるという。
平然と人前に出てきている秋塚千里や篤也はかなりの変わり者で、普通であれば超常的な力の存在を人々に知らしめかねないとして、裏社会から抗議され、場合によっては処罰されることになるらしい。
そうならないように裏で円卓に働きかけている人物が地球防衛部の先輩の中にいるらしいが、これについては朋子もよくは知らない。
希美の場合はどうなのだろう。
人里離れた場所に引きこもって魔術の研究に没頭するのだろうか。
想像してみたがピンと来ない。
なんとなくだが、一所に止まらずに、ずっと旅をしていそうな気がする。
もしこの考えがあたっているなら、やはり卒業後は二度と会えなくなる可能性が高そうだ。
そうならないようにするためには……。
「鎖で繋いでおくとか?」
真剣な顔でつぶやくと、希美は素早く後ずさりした。
「な、何か今、特殊なことを考えませんでしたか!?」
「え? いや、うちのワンちゃんの話だよ。マコって名前の黒犬なんだけど最近ヤンチャでさぁ」
慌てて誤魔化すが、希美はよけいに混乱したようだった。
「それは鎖に繋ぐのが当たり前なのでは? まさか放し飼いですか?」
「う、うん、うちの敷地は壁に囲まれてるから基本はそうなんだけど、最近花壇を踏み荒らして困るんだよね」
「な、なるほど。でも、これまで自由にさせていたのに、急に繋いでしまうのはかわいそうですよ」
「だよね~」
頭をかきながら誤魔化す朋子。
何か話題を変えようと視線をさ迷わせたところで、先ほどのヴァイオリンケースが目についた。
「そういえば希美ちゃんって、ヴァイオリンが弾けるんだよね?」
「音が出るってていどにはですが」
「弾いてみてよ」
頼みはしたものの、実はあまり期待していなかった。断られる気がしたのだ。だが、意外にも希美はしばし迷った末にうなずいた。
「じゃあ、いつもお世話になっているお礼に少しだけ」
「やった」
小さく快哉を叫ぶ。実際、これは嬉しい誤算だった。
希美はヴァイオリンケースではなく、部屋のクローゼットを開くと、中から別の箱を取りだしてフタを開いた。
布にくるまれたヴァイオリンが顔を覗かせる。布を固定していた紐を緩めて本体を取り出すと、艶のある綺麗な木目が姿を現した。一目で手入れが行き届いているのが分かる。
一緒に仕舞ってあった弓を取り出すと、そこで希美は大きく溜息を吐いた。
「よく考えたら、この恰好でヴァイオリンを弾くとか、相当マニアックなシチュエーションなんじゃ……」
「写真撮っていいかな?」
「ダメですよ!」
慌てて拒否する希美。残念だがしかたがない。せめて脳内にしっかりプリントしておこう――などと、朋子は心に誓った。