「シア様っ! 大丈夫か!?」
記憶回復ポーションを飲んでから、随分と時間が経ったらしい。
心配そうに声をかけたキールによって、ルシアナははっと我に返った。
「大丈夫です、少し昔の記憶が一気にフラッシュバックして」
「それで、苦味は?」
「あ、それは……すみません、お水を貰えますか?」
キールから水を貰ってゆっくり飲む。
ただの水を飲んでいるのに、煮詰めた砂糖水を飲んでいるような気分だ。
口の中いっぱいの甘味はそれでも無くならない。
苦いよりは遥かにマシだが、かなり辛い。いまなら、砂糖不使用のスコーンを食べても美味しく食べられそうだ。
今度、試してみようとルシアナは思った。
(まさかお兄様が、私のことを羨ましいと思っていたなんて)
カイトがルシアナのことを嫌っている原因はそこにあるのかもしれない。
だが、今回のことで、わかったことがいくつかある。
まず、苦味を甘味に変える薬はカイトの友人が用意したということ。
そして、魔法とは別の力が使われているということがわかった。
そのことをキールに話す。
「魔法と別の力か……それってなんだ?」
「それがわかればいいのですが……」
と考え、ルシアナの中に一つの仮説が浮かんだ。
「もしかして、呪法なのでは?」
「呪法? って、マリアの記憶を消したり、蟲毒で鬼を作り出したあの呪法かっ!?」
「ええ、そうです。キールさんは呪法に対していい思いはありませんね」
「ああ、シア様の呪法で眠らされたのも嫌な思い出だ」
「…………」
ルシアナは露骨に視線を逸らす。
あの時、散々キールに怒られたが、今でも根に持っているようだ。
「でも、呪法でそういうのは可能なのか?」
「呪法を魔力液に込めるなんて試したことはありませんが、でも、呪法は精神や感覚に左右するものが多いので、味覚に左右する呪法というものがあっても不思議ではありません。そして、これは呪法を込めた魔法薬――いいえ、差し詰め呪法薬と言ったところでしょうか」
「そんなもん、飲んで大丈夫だったのか?」
「大丈夫ですよ。キールさんだって、呪法で眠りましたが、後遺症はないですよね? それと同じで、要は使い方の問題です」
「理屈はわかるが……」
「それに、私はたぶん、この苦味を甘味に変える以外に、呪法薬を知っています」
「本当か?」
「ええ。森の民が持っている記憶を消す薬――あれも呪法薬なのではないかと思うのです」
前世では、恐らくキールが飲んだことにより、人の道を外れ、ルシアナを殺すきっかけを作った薬でもある。
「森の民は、記憶を消す薬の製法は知っていると言っていました。魔力液が使われているとしたら、侍従長から頂いた薬が呪法薬である可能性が高いです」
ルシアナはそれを確かめるため、マリアとともに開拓村に戻った。
村の入り口では、神獣がルシアナに頼まれた通り村を守ってくれているように、待っていた。
神獣はルシアナが歩いてくるのを見つけると、尻尾を振って近付いてきたので、優しく頭を撫でる。
そして、神獣と一緒に、森の民の族長のところに向かった。
「確かに、記憶を消す薬には、魔力液が使われております。ですが、呪法を込めたりはしていません」
「呪法を込めていない? ではどうやって作っているのですか?」
すると、族長は少し黙り、逡巡する。
そして――
「他ならぬ聖女様の質問ですから答えましょう。神獣様の念が込められているのです」
「えっ!? そうなのですか、神獣様」
驚くルシアナだったが、横にいる神獣が頷いた。
「わふ」
「そうだったのですか……てっきり、呪法によるものだと」
ルシアナの早とちりだったようだと、思ったときだった。
「わふ」
さらに神獣が続ける。
「えっと……生命の力を術に変換して効果を発揮しているので、人々が言う呪法と同じものだと神獣様は仰っています」
「えっ!? じゃあ、やっぱり記憶を消す薬も呪法薬っ!? 神獣様、他に呪法についてわかりますか?」
「わふ」
「呪法については神獣様も詳しくないそうです。ただ、痛みを消す薬ならできるそうですが――」
痛みを消す薬と聞いてルシアナは残念に思った。
その薬なら、辛味を消すことはできても、苦味を消すことはできない。
「わふ」
「森の賢者なら知っているかもしれない……なっ、神獣様っ! それは――」
森の賢者。
ルシアナは初めて聞く言葉だったが、森の民の族長が言うからには、きっとただ事ではない。
「族長さん、森の賢者というのは?」
「かつて、神獣様と森の覇権を争った相手です。その戦いは数千年と続きましたが、大森林をファンバルド王国が侵攻したことで、その勝負は結局決着がつかないまま終わりました」
「そうですか……本当に深い因縁があるのですね。そんな相手に神獣様も聞くわけにはいかないでしょう。わかりました、他の方法を考えます」
「わふ」
「神獣様は仰っています。森の賢者とはいずれ決着をつけないといけないと思っていた。少し村を留守にする。三日以内には戻る――お待ちください! あまりにも危険――」
だが、次の瞬間、神獣から腕輪が外れて落ちた。
その瞬間、その全身の毛の色が、灰色から純白へと変わっていく。
だが、それを確認できたのはルシアナだけだった。
「神獣様っ! いずこにっ!」
族長が叫ぶ。
そう、その魔道具がなければ、ルシアナ以外には見ることができないのだ。
神獣は優しい目でルシアナを見ると、遥か彼方へと消えていった。
そして、神獣は約束の三日を過ぎても帰ってくることはなかった。
四日、五日、六日と経過するごとに、村人たちの間に不安が広がっていく。
ルシアナも神獣に無茶な願いをしてしまったと後悔した。
そして、ちょうど一週間が経ったときだった。
「わふ」
神獣が帰ってきた。
その身体は小さな引っかき傷が無数にあり、壮絶な戦いがあったとルシアナは直ぐに理解した。
「神獣様っ! いらっしゃるのですかっ!」
声だけは聞こえる族長が周囲を見回して言う。
「おかえりなさい、神獣様」
ルシアナはそう言って、尻尾を振る神獣様に回復魔法を掛けようとした。
その時、神獣の背中が動いた気がした。
だが、本当に動いたのは背中ではなく、背中に乗っている白い毛玉のようなものだった。
「え? もしかして、この方が――森の賢者様?」
神獣の上に乗っていた白い毛玉のような生物は、真っ白な小さい猿だった。
「ウキ?」