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第9話 斗佐藩からの来訪者


 華凛かりん鈴姫すずひめに引っ張られるようにして、陣屋の裏へ続く板橋を駆けていた。


 時折煽られそうな強風が吹く中、鈴姫はうきうきしている様子で森の方へ進んでゆく。


穂積ほづみとなな……あの二人って前々から何か怪しいと思ってたんです。両方独り身だし、しょっちゅう二人で会ってるみたいだし……ぷくく。ね?」


「ね? って言われても困るけど……それより鈴姫様、二人がどこにいるか分かるんですか?」


「大丈夫! 私知ってるんです! あの二人、内緒話する時は社蔵の中だって! ……あ!」


 と、鈴姫は突然立ち止まり、道脇の桑畑の方に向けて手を振った。


「宮ノ下のミツさん! 咲さん! 萌さん! こんにちはー!」


 見ると三人の百姓がポリバケツを抱えて畑から帰る途中のようだった。若い娘二人は親しげに笑い、鈴姫に向けて腰を折って挨拶を返したが、母親らしき中年の女性は鈴姫の視線を避けるように会釈を返しただけだった。


 鈴姫はそんな態度の違いに気付いた様子もなく再び歩き出した。陣屋の裏手にある鎮守の森へ入りしばらく進むと、鳥居の奥に不釣り合いに大きな土蔵が見えた。正面にある大扉は閉まっているが、その隣にある通用口の扉が少し開いている。


 鈴姫は駆け寄って扉に張り付き、隙間から覗き込んだ。


「あれ?」

 と鈴姫は小首をかしげた。華凛はその頭上から内部を覗き込んだ。


 薄暗く広い空間にショベルカーやクレーン車、中型トラックが並び、その隙間に押し込まれるようにして、あの〈秋水しゅうすい〉とかいう小さな御霊機おんりょうきがあった。鳥居を模した固定柱梁の中に注連縄で吊り下げられ、胴体部にも注連縄しめなわが巻かれていた。


 そしてその足元に、こちらに背を向けて機体を見上げている姿があった。蓮太郎れんたろうでもななでもない。男のようだが、中が薄暗いせいでよく見えない。


「あっ! 鈴姫様……!」


 華凛が止める間もなく、鈴姫は扉の隙間に身を押し込んで中に入って行ってしまった。


 その男は足音に気付いたのか、素早い身のこなしで振り返った。鈴姫に続いて蔵の中に入った華凛は、暗い中で徐々に明らかになっていく男の姿に目を見張った。


 まず驚いたのは男が背広を着ていたことだった。涼やかで整った若い顔に整った髪型。右手には中折れ帽を持っていた。


「おお……!」

 男は鈴姫を見て驚愕と感動の入り混じった表情をした。


「そうですか、あなた様が鈴姫様ですね……! まさかお会いできるとは思いませんでした。穂積さんもなかなか憎いことをしてくれますね……」


「え……?」

 鈴姫は戸惑っている。この男と微塵も面識がないのは明らかだった。


「ああ失礼。心打たれてしまいまして」


 男はつかつかと足音を鳴らして鈴姫に近づき、帽子を胸に当てて片膝をついた。


「お初にお目にかかります。僕は斗佐とさ郷士ごうし公文くもん寅美とらみと申す者です」


「斗佐藩……⁉」


 華凛は思わず声を上げた。斗佐の郷士といえば、旧幕時代、反幕勢力の一角として様々な志士活動をした連中ではないか。


 公文寅美と名乗った男は立ち上がり、華凛の容姿をしげしげ眺め、

「そうですか、あなたが幕府陸軍の丹治たんじ華凛さんですね」


「な……どうして」


「さてね」

 公文は華凛を冷淡にあしらい、再び鈴姫の方に顔を向けた。


「いやあ、それにしても驚きました。あなた様の御威光……お母君と同等、いやそれ以上です」


「お母、様……⁉」

 鈴姫は驚愕し、息を詰まらせながら言った。

「あ……あの、どういうこと、なんですか……⁉」


 公文は神妙な表情になり、重々しく言った。

「ええ……実は大変なことが起こりつつあるのです。僕は今日、これを伝えに参りました。鈴姫様、いいですか。神河こうが藩に危機が迫りつつあります。一刻も早く手を打たねば、大勢の人が死ぬことになるでしょう……」


「ひっ――‼」

 鈴姫は青くなって竦み上がった。


 華凛は思わず鈴姫を庇って公文の前に進み出た。

「ちょっと、やめてよ……!」


 その時、扉の開く音が蔵の中に反響し、全員がその方を向いた。


 蓮太郎がいた。今は肩衣姿ではなく、またあの作業着姿で、ベルトには蝋色鞘ろいろざやの太刀。後ろにはななの姿も見える。


 蓮太郎は華凛の後ろで青くなっている鈴姫の姿に瞠目し、次いで公文に向けて烈火のような視線を浴びせた。


「寅、お前――‼」

 大股に歩きながら、蓮太郎は左手で鞘を握り、柄に右手を掛けた。


「蓮太郎っ‼」

 背後からななの刺すような声を浴び、蓮太郎は足を止めた。


 鈴姫の怯えた視線は今や蓮太郎に注がれていた。蓮太郎は顔を歪め、刀から手を離した。


 張り詰めた沈黙が流れる中、公文が沈んだ声で言った。

「……申し訳ありません。事態の大きさに焦る余り、つい失念してしまいました。やはり鈴姫様も、お母様と同じく……まことに、まことに申し訳ございませんでした」


 公文は鈴姫に向けて深々と頭を下げた。鈴姫は曖昧に頷き、「いいんです」と小さく答えた。


 蓮太郎は華凛の方に身を寄せ、低い声で言った。

「あんたが主上を連れてきたのか……?」


 すると鈴姫が耳ざとく聞きつけて蓮太郎を振り返った。

「ちゃうの! うちが無理言うて付いて来てもらったの! 二人が何話すんか気になって……」


 蓮太郎は膝をそろえて蹲踞そんきょし、床の土間に視線を落として言った。

「……主上、御陣屋にお戻りください。このような場所に足を踏み入れてはなりませぬ」


「でも……」

 鈴姫は公文の顔を見た。


 公文は訳知り顔で頷き、

「差し出がましいようですが穂積さん、これほどの重大事、いずれは陣屋中に広まります。僕もこの後、貴藩の老中方にお取次ぎを願い、事の次第を伝えるつもりです。どの道あとで知ることになるなら、ここで聞いていただいてもよろしいかと」


 蓮太郎は公文の顔をじろりと見上げた。

「……御為おためよろしからず」


「よろしくなくない!」

 鈴姫は反発の声を上げ、公文に向けて言った。


「聞きたいです! 話してください! 何が起ってるんですか⁉」


 その隣で華凛も同じく詰問する。

「ねえ、それってもしかして、雪彦山せっぴこさんにいるっていう不逞浪士ふていろうしと関係あることなの? 私、その対処を幕府に命じられてここに来たの」


「……穂積さん、こうなったからには、もう」

 と、公文は蓮太郎に向けて言った。


 蓮太郎は忌々しげに息を吐いたが、何も言わなかった。


「ではお話ししましょう。……鈴姫様」

 公文はたっぷり間を取ってから、大仰に言った。

敬神けいしん派の浪士達が出雲松江いずもまつえ藩を占領し、さらにこの神河藩をも狙っています」


 ―――― ◇ ――――


 蓮太郎は鈴姫の方を見ないようにすることで妥協したらしく、今は腰を上げて公文を監視するように見据えている。公文は中折れ帽を両手でくるくる回しながら話した。


「一月ほど前のことです。出雲松江いずもまつえ藩領境港さかいみなとに、国籍不明の貨物船舶が寄港し、多数の御霊機が揚陸されたとの情報を察知しました。それからすぐ後、松江藩庁との連絡が完全に途絶えてしまったのです。恐らく、松江城は敬神派の浪士達に乗っ取られてしまったとみて間違いないでしょう。そして雪彦山に屯している浪士達というのは、ここを攻めるための偵察拠点であると思われます」


 華凛は我慢できずに口を挟んだ。

「敬神派って、つまり倒幕派でしょ? まだそんなことが続いてるなんて……」


 公文は華凛に向かって、口の動きだけで笑って見せた。

「幕府ある限り、倒幕活動はなくなりませんよ。お嬢さん」


 華凛はむっとして食って掛かった。

「それじゃ、なぜあなたにはその連中が敬神派の浪士だと分かるの? 何故その連中がここを狙ってると分かるの? 声明でも出したわけ?」


「いえ、今のところ彼らは沈黙しています。なぜ知り得たかというと、僕は斗佐藩の政情探索方として諸藩の武士と付き合いを持っており、彼らから得た情報をもとに……」


「主上の御前で偽りを抜かすな――」

 低く重い声が響いた。蓮太郎は公文を睨みながら言った。

「隠し立てせず言え。その浪士達とやらは、お前の仲間だと」


「えっ――?」

 華凛と鈴姫が同時に声を発した。


 公文は苦笑しつつ、

「それは言い過ぎです。元、仲間……とも言い難いですね。僕自身は彼らと行動を共にしたことはありませんでしたから。……ただ、ごく最近まで連絡を取り合っていたことは事実です」


「待って、それじゃ……」

 華凛は後ずさりしたい気持ちを抑えて言った。

「あなたは……倒幕の志士なの……?」


 公文は笑顔を崩さず答えた。

「倒幕は望んでいません。僕は出来る限り武を用いることなく、血を流すことなく志を遂げたいと思っています」


「志って……?」

 華凛の問いに、公文はすぐには答えず、後ろを向いた。


「斗佐郷士の志はただ一つ――」

 そして鳥居の中に立つ〈秋水〉を見上げながら、言った。


「――平等」


 公文が放ったその言葉の重さに、一同はしばらく沈黙した。


「……話を戻せ」

 蓮太郎が歯を食いしばるような声で言った。


「おっと失礼。ともかくそういう訳でして、松江藩を占領している連中は僕の仲間ではありませんが、その目的が神河藩への攻撃にあることは明らかです。僕はそれを伝え、防衛するとあらばそれを手伝うために来たのです」


「ねえ待ってよ……」

 華凛には最初から引っかかっていることがあった。

「私は松江藩のことなんか聞いてなかったわよ。もしあなたの言ってることが確かなら、幕府が気付かないわけ……」


 華凛の言葉を途中で遮り、公文は言った。

「もちろん幕府も気付いてはいるはずです。しかし自慢の陸軍機甲兵部隊も、その大半は蝦夷地えぞちの防衛に充てられ、いきなり御霊機の大部隊を送り出すのは不可能です。かといって放置しておくわけにもいかず、とりあえず雪彦山の浪士だけでも対処しようと、大坂駐屯地の兵を動かしたのでしょう。もっとも、対処どころの話ではない結果に終わったそうですがね」


 華凛は暗澹たる思いで俯いた。蓮太郎が公文を威圧的に見据えて、

「……もういいだろう、寅。聞くべきことは聞いた。あとは藩の応接方に話せ」


「穂積、待って! まだ聞いてへんことがあるの!」

 鈴姫は公文に向き直った。

「公文さん! その敬神派浪士という人達は、なぜ神河藩を攻撃しようとしているんですか⁉ その人達が狙うような何かが、この藩にあるんですか⁉ それに、公文さんはどうして今のお話を、殿様とか家老さんじゃなく、穂積とななに伝えようとしたんですか……⁉」


 公文は困り切った表情で鈴姫と蓮太郎を交互に見た。


「主上……!」

 蓮太郎は鈴姫に呼びかけ、両膝を揃えた。

「どうか、御陣屋にお戻りください……! これ以上聞くべきことはございませぬ……!」


「なんでよ! 神河藩が、うちの故郷が危ないのに、その理由を何で聞いたらあかんの⁉」


「何卒……!」

 蓮太郎は土間に両手両膝をつき、頭を沈みこませた。

「何卒、御陣屋にお戻りを……!」


「穂積……!」

 鈴姫は泣きそうな顔で蓮太郎の頭を見下ろした。

「そんなんしてほしくないの……うちは知りたいだけ……。ねえ教えてよ、何を知っとんの……? この藩の何が狙われとんの……? 昔、うちの知らん何かがあったの……?」


「御為よろしからず‼」


 蓮太郎の絶叫じみた大声は広い土蔵の内部に反響し、その場の全員の動きを制止させた。


 鈴姫は両手を握り締め、身体を小刻みに震えさせていた。やがて弾かれたように振り向くと、長い髪を波打たせて出口の方へ走って行った。


「鈴姫様……!」

 華凛はその後を追おうとした。


 が、何者かに肩を掴まれた。どうせ蓮太郎だ、と思い強く振り払おうとして後ろを見ると、


「…………」


 それはななだった。


 ななは、深い悲しみの中に決意を滲ませたような力強い目で、華凛を見つめていた。



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