星野侑二の口元が鋭く歪んだ。一歩踏み出したその身からは、圧倒的な威圧感が漂っている。
「俺たちの間に、取引なんてあるのか?」
低く響く声は周囲の空気さえ震わせるほどに重かった。
深山は落ち着き払い、わざとらしく病床の私を一瞥した。
「星野社長、分かり切ったことをわざわざ聞く必要もないでしょう?」
こうもあからさまに星野に告げたいのだ――
自分、深山彰人が私を狙っていると。
星野の顔色は一瞬で険しくなり、言葉一つ一つに力が込められた。
「彼女は俺の妻だ。なぜお前のために彼女を差し出す取引をしなきゃならねぇ!」
深山はわずかに眉を上げた。
「イタリアの市場はすでに失い、今回はもし浅田信を県知事の座につけることができなければ、星野家であんたの座を狙っている連中が、またしても牙を剥くんじゃないですか?」
星野家という百年の歴史を持つ一族には、権謀術数はつきものだ。
かつて、星野の両親もまた、権力闘争の中で命を落とした。
星野は星野家の嫡孫であり、名実ともに正当な後継者だった。
だが、志津県で事故に遭った直後、彼の叔父がすぐに台頭し、後継者の座を奪い取ったのだ。
最終的には、星野は見事に返り咲き、星野グループの支配者となり、叔父を海外へ追放し、永久帰国禁止に追いやったが……。
しかし、星野家の野心家はあの叔父だけではない。
彼の地位は、依然として盤石ではなかったのだ!
星野は深山に指摘され、瞬時に理解した。
「浅田信の件……貴様が仕組んだのか!」
深山は一切隠さなかった。
「そう。」
星野の瞳に、血の気を帯びた冷たい光が揺らめいた。
「で、その全てが……彼女のためだと?」
深山の返答はきっぱりしていた。
「ああ!彼女のためだ!」
星野にとって、これは挑発に他ならない!
またしても、あからさまな挑発だ!!!
星野は鼻で笑った。
「深山家が適当に担いだ人選、徳田栄治ごときが、浅田信と比べられると思っているのか?」
浅田信は星野家が血のにじむような努力を重ねて育て上げた人材だ!
深山は極めて友好的な口調で忠告した。
「星野社長、ここ数ヶ月、神川県の実情への関心が足りなかったようね。今の徳田栄治の支持率は、浅田信に決して劣らないよ」
確かに、先ほど浅田信から星野にかかってきた電話は、明らかに焦りを感じさせるものだった。
それは、徳田栄治が彼に危機感を抱かせ、最大の資金提供者である星野に助けを求めずにはいられない状況だという証拠だ。
星野が深山を鋭く睨みつける。
「お前のように深山家の核心から外れた閑職のご身分で、どうやって深山家の行動決定権を握れるというんだ?」
「それでも現状、深山家に徳田栄治を支援させることができた。事実でしょう?」
二人の間に漂うピリピリとした雰囲気が、瞬く間に張り詰めた空気へと変貌した。
こうなったら、深山は回りくどい言い方をやめ、取引内容を直接切り出した。
「宮崎麻奈を引き渡せば、浅田信を当選させる」
星野は一瞬の迷いもなく、鉄の意志で拒絶した。
「絶対に不可能だ!」
「お前は彼女をこんな生死不明の状態にまで追い込んだ……それでもまだ手放さないのか? 本当に彼女の死を見届ける気か?」
「どうした、麻奈に情けをかけているのか?」星野の目には怒りが渦巻いていた。
「言ったはずだ、彼女は俺の妻だ。誰にも渡さん!」
たとえ今、あの女が俺を心底憎んでいて――
死を賭けてでも道連れにしようとしているとしても。
それがどうした!
あの時、彼女は俺を裏切っていなかった。身ごもったのは俺の子だ。
だが今はどうだ!他の男ができた!
裏切った以上、当然、罰を与え、俺のそばに閉じ込めて、一生を過ごさせる!!!
深山はこうなることを予想していたとはいえ、星野侑二の後輩ちゃんへの執着は、彼の想像以上に強烈だった。
長い沈黙の後、彼はゆっくりと口を開いた。
「前に志津県で言ったことは、嘘。俺と彼女の間には何の関係もなかった」
星野の表情が明らかに「信じない」と叫んでいた。
「彼女のためにそこまでしておいて、『何の関係もない』だと?俺を三歳児だと思っているのか?そんなに騙しやすい顔してた?」
深山は深く息を吸い込み、次第に真剣な表情に変わった。
「彼女は俺の後輩であるだけでなく、親友だった宮崎
「当時お前は、彼が最も可愛がっていた妹を人質に取り、神川県で死を待つことを強いた」
「彼は、借金取りに公海で切り刻まれる直前に、俺にたった一つの遺言を残した――何が何でも妹の麻奈を守れ、と」
「宮崎衛が最愛の妹を託したんだ!お前にこれ以上、彼女を傷つけさせるわけにはいかない!」
「今回の取引、一歩譲ろう」
「俺が彼女を連れ去る。その代わりお前も、彼女を復讐の道具ではなく、一人の人間として扱うことだ」
感情を込めてすべてを語った後、深山の目尻が少し赤くなっていた。
星野は深山をじっと見つめた後、冷たく言った。
「取引に追加条件をつける。今後、お前は二度と彼女の前に現れないことだ」
深山もまた星野を睨み返した。
「お前がもう二度と彼女を傷つけないと約束できるのか?」
星野は言葉を噛みしめるように答えた。
「俺は……もう彼女に手を出さない」
言質が取れて、深山もまた躊躇せずにうなずいた。
「よし、交渉成立だ」
星野は目を細めた。
「では、お前は、即刻ここを立ち去っていただきたい」
深山はベッドの上の私を見つめた後、何も言わずに背を向け、まっすぐに去っていった。
―――
病院を出て車に乗り込む。
運転席に座っていた青野千里は、後部座席の深山を振り返り、少し戸惑った表情で尋ねた。
「深山さま、宮崎衛が親友だなんて、知らなかったのですが……?」
神に誓って、彼はボスの側に十年も仕えている。
それなのに……全く知らなかった。ボスが外に男を持っているなんて!
深山は目尻の涙(実在しない)を拭い、わずかに眉を上げた。
「ああ、さっきは適当にでっち上げた」
青野は口元をピクッとさせ、深山に親指を立てた。
「さすがです、あれだけ熱演されると、僕も信じてしまいましたよ!」
ボスが俳優にならなかったのは、才能の無駄遣いだ!
深山は青野の賛辞を無視し、眉間を揉んだ。
「星野侑二は今や狂人だ。宮崎麻奈を守ろうと思えば、彼女との関係を断ち切らねばならなかった」
彼が提案した取引は、全てはカモフラージュだった。
彼自身は「愛人」の役を厭わないが、後輩ちゃんが「浮気した妻」の汚名を着せられたままなら、今後どんな目に遭うかわからない。
自らがでっち上げた「汚名」を洗い流すためには、この方法しかなかったのだ。
青野は疑わしげに深山を見た。
「では、本当に深山家に徳田栄治への支援をやめさせるおつもりですか?でも深山家の連中は、そう簡単には承知しないでしょう!」
星野家の内部闘争が激しいのと同様、深山家だって例外ではない。
深山は黙り込み、窓の外を見つめた。その表情は影に覆われて読み取れなかった。
「承知しようがしまいが、やってもらう」
今回こそ、本気で宮崎麻奈を守りたい!
青野は思わず小さくため息をついた。
「志津県にいた時、僕、言ったでしょう?挑発すべきじゃないって……ほら、自分で招いた災いは自分で始末しろってことですよ」
深山が青野を一瞥し、一言で黙らせた。
「最近、少し口数が多すぎやしないか?そんなにキャンプに戻りたいのか?」
青野はビクッとして飛び上がり、すぐに口を閉ざし、おとなしく運転を始めた。
―――
病室内。
星野は椅子に腰かけ、嘲笑に満ちた冷たい表情を浮かべていた。
「ただ宮崎衛に代わって、妹の面倒を見るだけだと?」
男だからこと、男の本心を見抜くものだ。
兄の代わりに妹の面倒を見ているうちに、いつしか恋仲になるのがよくあるパタンだ!
星野侑二はゆっくりと立ち上がり、ベッドまで歩み寄った。彼は私の頬を撫でながら、瞳に狂気を迸らせた。
「この顔さえ潰してしまえば……もう他の男を誘惑することもなくなるだろうな!」