俺の名前は、
どこにでもいる大学生――だった。
ドキュメンタリーを映画を撮るのが夢で、映像学科で日々カメラと格闘していた俺はある日……
ダンジョン配信番組 「ザ・ダンジョンドキュメント」に衝撃をうけた。
冒険者たちが命懸けでモンスターと戦う姿を、 まるで映画のようなクオリティで映し出す地獄の配信。
いったいどうやったらこんな映像が、リアルなドキュメントが撮影できるのかわけがわからなかった。
そもそも高レベルの配信者が全滅するような危険な現場から、カメラマンやスタッフは生還しているんだろうか?
そんな疑問を……好奇心を抑えきれず、気がつくと俺は番組アシスタントの募集に応募していた。
そして今、俺は——最恐と言われるS級ダンジョン「灰の竜の咆哮」最深部の熱気にむせ返りながら、撮影機材を背負い、命がけで現場を記録している。
ちなみに、今日の現場……その生還率は10%以下だそうだ。
正直、映画を志す大学生がアルバイトで来るような場所じゃない。まさに”場違い”だ。
ダンジョン「灰の竜の咆哮」の奥に進むたび、空気は重く、熱く、濃くなる。
天井から滴るのは水ではない。溶けかけた鉱石の液体。
黒く煤けた地面には焦げた骨と、焼け落ちた鎧の破片。
風はなく、立っているだけで肺が焼けるような錯覚に陥る。
すると撮影隊の先頭を歩いていたカメラマンが、ふと足を止め、前方を指差した。
「……あの岩が見えるか?」
そこには、赤黒く歪な形状に溶けた岩が鎮座していた。
おそらくはドラゴンブレスの灼熱を浴びて、あのように変形してしまったのだろう。
俺は思わずごくりと唾を飲む。
「……やばいですねアレ。”ここに立てばこうなるぞ”って警告に見えますね……」
いつになく真剣な顔でカメラマンはうなずいた。
——俺は思った。
さすがの彼でも、最恐ボスと言われる「灰の竜」との戦は、緊張しているのか——と。
だが、——認識が甘かった。
「そうでなくては困る。ドキュメンタリーとは——恐怖こそが最高の演出だからな」
「……えっ?」
「つまり、あの岩が今日のベストポジションだ。俺はあそこでカメラを構える。お前たちは少し離れてろ」
「いやいや、あそこにいると“ああなる”ってことですよね!? 溶けるっていうか、死にますよ!」
「ん? だからいいんじゃないか!つまり最高の絵が撮れるベスポジってことだぞ!」
……やっぱこのカメラマン、いかれてる。
彼の名は大林建造。
この配信番組を撮り続けてきた映像カメラマンだ。
しかし、世間一般の人はおろか、視聴者にすら、彼の存在は知られていない。
「ドキュメンタリー撮影スタッフは、空気や石ころであるべき」
それが彼の持論だ。
ただし、ダンジョンの現場では“最強カメラマン”と呼ばれ、数々の伝説的映像を世に送り出してきた。
その腕前は――確かに本物だ。
突如降り注ぐ矢の嵐も、火竜の咆哮も、彼のカメラが捉える映像は一糸乱れず、常に“ベスポジ”から撮られている。
この番組は、どんな高速な攻防でもしっかりカメラは追従してるし、時にはモンスターよりも早く移動し視点が先回りしたりもする。
よく考えてみたら、その時点でおかしな話なのだ。
しかも彼は 話したり指示したりする自分の声を”カメラ乗せない”『スニーク』というスキルを持っている。
さらに、『縮地』と呼ばれるスキルを使い、最小限の動作で超高速移動しながらベスポジをキープすることが出来る。
その他にも「撮影に使えるスキルはすべて獲得した」と言っていた。
——いや、撮影用のスキルなんてないだろうとツッコミたくなるのは分かる。
本来は戦いに使うべき上位スキルを、撮影に転用していると解釈してほしい。
だからこそ、どんなに激しい戦闘でも彼は、観る者に自分の存在を意識させずに撮影し続けることが可能なのだ。
この「ザ・ダンジョンドキュメンタリー」の映像が、不自然なまでに完璧な“神構図”な理由。
それは、この最強カメラマンこと大林建造が、とんでもないからなのだ。
「よし、今日も死者4名。バッチリだ……いい絵が撮れたぞ」
死にかけたもうひとりの撮影助手を横目に、彼は真顔で呟く。
そして、超上位レベルのヒーラーしか使えない「超回復スキル」で怪我したスタッフを手早く治療する。
ちなみに、彼は”探索者を”絶対に助けない”。
”やらせ”はダメという、謎の彼のルールがあるからだ。
まあ”やらせ”が良くないのは俺にも理解ができる。とはいえ……だよな。
そして今日も彼は、汗ひとつかかず、血の雨を避けながら、静かにカメラを回し続ける。
「映像のブレは、心のブレだ」
そのごもっともな言葉に、俺はいつも背筋を凍らせていた。
ちなみに彼が使うカメラは、SS級ダンジョンの最深部から回収された特殊素材でコーティングした“神器級”の化け物機材だ。
高濃度魔素で強化された超硬度結晶樹脂により、あらゆる物理、魔法攻撃に耐えることが出来るらしい。
しかし、レンズも含めるとその重量は420kg超……
それを片手で持ち歩き、走り、構え、耐える――そんな芸当ができるのは、世界広しといえど彼一人だろう。
なぜそんなことが可能なのか?
理由は単純だ。
彼は、どんな冒険者よりも場数を踏み、すべてのダンジョンから生還している。
生還率1%とされるSS級ダンジョンから、すでに300回以上。
それだけの“経験値”を積んで、レベルが上がらないわけがない。
……ていうか、聞くところによるとレベルが999でカンストしてるらしい。
世界最強の探索者ですらレベル200に届いてないらしいのだが……
しかもステータスはすべて“カメラマンに必要な能力 ”筋力・敏捷・耐久"に極振り。
それら数値もすべてカンスト。
ただし攻撃スキルはゼロ。
とはいえ戦えないわけではなく、むしろ逆。
その異常な筋力と速度は、素手でS級ボスを瞬殺できるだけの殴打力があるらしい。
ただし、彼が撮影中にそれを使うことはない。
なぜなら、“戦闘には一切介入しない”というプロの流儀を貫いているからだ。
この最強カメラマンには、三つのルールがあるという。
一、「カメラを絶対に止めない」
二、「ベストポジションは死守」
三、「戦闘には一切介入しない」
どれも狂っているが、彼は本気でそれを守っている。
まあ、同じドキュメンタリーを愛する者として少し尊敬できるのが複雑な心境ではある。
……そのとき、洞窟が震えた。
地鳴り、噴煙、火花。
ついに「灰の竜」こと焦熱竜グラゾールが現れたのだ。
その咆哮が、重低音が、まるでウーハーを耳元へ押し当てたように響き空間を貫くと、圧倒的な熱と音の暴力が襲いかかる。
探索者パーティメンバーのひとりが恐怖にかられ悲鳴を上げる。
ちなみに撮影スタッフはまったく動揺していない。
さすがだ。長年この偏狂カメラマンについてきているだけのことはある。
そして恐怖のボス戦が始まった。
戦闘後は灰しか残らないといわれる、焦熱竜グラゾールの強さはまさに圧巻だった。
盾が溶け、魔法が弾かれ、武器が折れ、剣士が焼けた。
そして竜の喉元が膨らみ、その高熱で白く光を放ち始めた。
来る……最恐といわれる、灼熱のドラゴンブレスだ。
「全滅するぞ!逃げろッ!!」
その口から放たれた炎と熱風は、目を開けるのもはばかられるほど凶悪だ。
だがその中で、彼だけは――最強カメラマンは
ベスポジ岩の上で、カメラを構え続けている。
「いいね……ブレスが斜めに割れて、背景の影が美しい」
地獄の爆炎に包まれながらも、彼はまったく逃げる気配がない。
「爆発の粒子が逆光に映えて……これは、神構図なあ」
どうやらあれを耐えてるらしい、ていうか炎をレジストしてる?
ちなみに”スニーク”スキルによって彼の声は俺たちには聞こえるけど、カメラにはのらない。
俺はあまりの熱風に耐えきれず、地面に伏せるように倒れ込んだ。
だが、その視界の先――
やっぱり彼は一歩も動かず、灼熱の火線の中心で、平然とカメラを回し続けている。
「……よおし、完璧だったな」
火の粉に包まれながら、彼はそう呟いた。
誰が見ても、それは“狂気”だった。
あの焦熱竜グラゾールすらも完全にひいている。
そして俺は、心の中で呟く。
これが――ドキュメンタリーカメラマンとしての究極かもしれない。
でも……やっぱり、相当いかれてる。