目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

3

「主も清良さんも、一旦落ち着いてください!」


 声を上げたのは絡繰童子だ。その言葉に、茨木は絡繰童子を見る。いつものキラキラとした可愛らしい視線は、今は茨木を心配そうに見つめていた。

 自分は冷静ではなかったのか……

 確かに気が急いてしまっていた。


「ごめん、僕、茨木くんを急かすようなことを言ってしまったね」


 清良も絡繰童子の言葉にハッとなる。「どうするの?」と、普段は急かすように尋ねることのない清良が、無意識に気が動転していたのだ。

 歌声が届かず、茨木も苦戦しているようだった。そして、あの疫鬼という妖怪が再び暗示を使って事件を起こしていると思ったら、恐怖心が芽生えてしまったのである。

 また茨木が苦しめられるのではないかと……。

 疫鬼は裂帛や影縫でさえ取り逃してしまうような強敵だ。今のところ、太刀打ちする術も、居所を突き止めることもできない難物だった。

 清良も茨木も、無意識のうちに不安を感じ、焦ってしまっていたのだ。


「清良さん、すみません。俺のために歌ってください」


 茨木も気づく。ずっと清良は歌ってくれていた。妖怪を落ち着かせるための歌であるとしても、毎回茨木の心には染み渡っていた。それが、今回は耳にも届かなかったのだ。自分は清良の歌声に耳を傾ける余裕もなかった。それに気づいた茨木は、悔しい気持ちになる。


「……分かった」


 「今?」と一瞬思った清良だが、茨木も自分も今は冷静ではない。お互い冷静さを取り戻すためにも、普段やっているようなことをするのは効果的に感じた。


「えっと、じゃあ茨木くんもみんなも『頑張ろうの歌』!」


 清良は茨木と結界を張り続けている妖怪たちを見て、ひらめいた歌を口ずさむ。

 茨木も妖怪たちも心が軽くなるように、いつものようなホッとする感覚を確かに感じた。清良の歌声は、まるで温かい風呂に浸かる感覚に似ているかもしれない。そして、清良はそのホッとした表情を見て、自分もホッとするのだ。


「ありがとうございます、清良さん」


 茨木は清良にお礼を言って残滓に向き直る。今もなお、ゆるゆると動く暗い影は茨木に手を伸ばしていた。


 大丈夫だ。落ち着け。あの闇は俺まで届かない。みんなが結界で抑えてくれている。よく見るんだ。


 茨木は残滓を見据える。これは暗示によって凶暴化した残滓であるなら、本来の姿とは別のはずだ。


「茨木くん、よく見ると黒い靄の中に光が見える気がするよ」

「光?」


 茨木は清良の言葉に目を凝らす。確かにうっすらと明るいものが見えた。あれが本体かもしれない。


「この悲鳴は疫鬼による暗示によって苦しんでいる声だ」

「なるほど!」


 清良に言われて思い出す。無音も苦しんでいた。


「二つ声が聞こえる。一つはこの残滓の悲鳴。もう一つが何だかわからないんだ。複数の音色が降りてきて、頭が混乱する」


 清良はよく聞こうと耳を傾けるほどに、複数の音色が不協和音のように聞こえて頭が痛くなる。


「清良さん、無理をしないで。一つは残滓の悲鳴、もう一つは……」


 茨木は視線を凝らす。あの光、もしかしたら残滓とは別の何かで、妖怪と霊が一体化してしまっているのかもしれない。霊ならば、寺で習ったお経が効くのではないか?


「主、清良様、押さえがもう……一旦、ここから出て下さい!」


 影縫が限界を感じ、叫ぶ。


「待ってくれ、もう少し……」


 もう少しで糸口が見える。

 茨木は、すぐに数珠を取り出すと念を込めてお経を上げ始める。すると、清良は「聞こえた!」と、顔を輝かせた。清良は聞こえた音色に歌詞をつけ、歌い上げた。

 揺らめく影はグツグツと煮えたぎるような音を上げて小さくなっていく。そして、最終的には無色透明なスライムのようなものが残った。茨木がお経を唱えるのをやめると、清良はまた別の賛美歌のような美しい歌を披露した。

 光の玉はパーンと、散り散りにはじけ、キラキラと輝きながら消えていく。


「ここで隠れ住んでいた過去の人たちの想いが、空に還って行けたよ」


 そう優しく微笑む清良。残ったのは透明なスライムだ。壁に張り付いていた。敵意はなさそうだ。妖怪たちも結界を解く。


「なにか、隠しているような」


 茨木は側へ歩み寄る。完全に嫌な妖気は消えていた。


「『何も隠してないからあっち行け!』と、言ってます」


 スライムの言葉を翻訳する絡繰童子。


「このスライムは残滓なのか?」

「あ、いいえ、このスライムはまた別の妖怪ですね。神隠し的なやつです。残滓は清良様が浄化しました」

「あの光の玉が残滓だったんだな」


 妖怪のことを説明してくれる絡繰童子。


「ちょっとごめんな」


 悪意が全くないスライムを無理やり剥がすというのも気が引けたが、茨木は妖気で網を作ってスライムを捕まえる。スライムは水状になり、流れ落ちた。

 一瞬だが、中が見えた。中にホームレスたちが住んでいる様子が。一瞬見えた茨木に「うわっ!」と怯えた様子を見せた。


「ホームレスたちを匿ってあげていたのか」


 スライムはまた元の姿に戻って壁に張り付いてホームレスたちを隠した。


「この妖気は昔からこの土地を守っていたようです。隠れたいと思う人々を隠してあげていた。残滓になってもまだ隠してあげていたんですね」


 茨木は絡繰童子の言葉に頷く。


「そっとしておこう」


 隠れたい人々を隠してあげている妖怪と、隠してもらっている人々をあえて外に出すのはかわいそうだ。このままにしてあげよう。事件は迷宮入りにさせておけば良いか。報酬はもらえないが、別に構わないと茨木は思った。


「スライムくん!僕に歌わせてほしいな!スライムくんも聞くといいね!ホームレスさんたちー、僕のリサイタルへようこそ!!」


 清良は声を張ると「スライムくんとホームレスの皆に捧げる歌」を熱唱した。スライムは最初警戒していたが、清良の歌声を聞いて徐々に溶け、ホームレスたちにも清良の姿を見せて歌声を聴かせる。ホームレスたちは感動して手を叩いていた。


「はい、僕のサインも置いていくね。ここで、元気を取り戻したらまた僕の歌声を聞きに来るといいよ!」


 清良はウィンクを飛ばすのだった。

 そして、スライムはまた壁に張り付いてホームレスたちの姿を隠すのだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?