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第11章 謎の儀式とその真実

1

 夜が明ける前、都の空はまだ深い藍色に染まっていた。

 まだ寝ている清良を起こさないようにそっと家を出た茨木は、影縫を呼び出す。 


「斎宮邸の警戒はどうだ?」


「はい、主。厳重です。通常では考えられない数の呪符と結界が張り巡らされています。しかし、屋敷の裏手にある朽ちた蔵の地下に、隠された抜け道があるかと。そこならば、警備が手薄な可能性があります」


「よくやった、影縫。清良さんの護衛は頼んだぞ」


「承知いたしました」


 影縫は頭を下げると、再び闇に溶け込んだ。



 茨木は身を隠すようにして都を横切り、斎宮邸の裏手へと向かった。

 かつて妖狐に育てられた際、気配を完全に消す術を習得しており、並の陰陽師には彼の存在すら感知できないであろう。

 妖怪であり、気配を察知されるおそれのある影縫はなかなか深くまで探れなかった様子であるが、茨木には可能かもしれない。


 朽ちた蔵は、蔦に覆われ、見るからに廃墟のようだ。

 しかし、茨木が慎重に近づくと、微かな霊力の流れを感じ取った。

 影縫の言う通り、ここに何かがある。


 茨木は蔵の床に張り巡らされた複雑な呪符を避けながら、慎重に足を踏み入れた。

 地下への抜け道は、厚い板戸の下に隠されていた。

 戸を開けると、湿った土の匂いと、冷たい空気が流れ込んでくる。茨木は懐からペンライトを取り出して、暗闇の中を進んだ。

 ペンライトは清良のツアーライブ最終日に貰った彼専用のアイテムらしい。清良直筆のサインも入っている。茨木のお守り代わりだ。


 地下道は長く、迷路のように入り組んでいた。

 壁には古びた呪術の痕跡が残っており、斎宮家の歴史の深さを物語っている。

 やがて、茨木は広い空間に出た。そこは、地下深くに位置する広間であり、中央には巨大な祭壇が据えられていた。

 祭壇の周りには、見たこともない複雑な呪文が刻まれ、禍々しい霊力が渦巻いている。


「これが、『穢れ喰らいの儀』の準備か……」


 茨木は祭壇に近づき、その呪文を読み解こうと試みる。

 文字は古く、彼が知るものとは異なる書体だったが、霊力を集中させると、その意味が微かに流れ込んできた。


「…都の穢れを集め、喰らい尽くし、新たな命を…」


 しかし、それ以上読み進めようとすると、激しい頭痛と吐き気が襲った。

 祭壇から放たれる悍ましい霊力が、茨木の心を蝕もうとしていた。


 カッカッと、広間の奥から微かな物音が聞こえる。

 茨木は素早く身を隠した。足音が近づいてくる。

 現れたのは、斎宮朔夜と、土河成満、成道の姿だった。彼らは祭壇の前に立ち、何やら話し込んでいる。


「……触媒の準備は滞りなく進んでいます。あとは、清良を確保するのみ」


 成満の声が聞こえた。


「奴の歌声の根源を暴かねばならぬ。その『真実』こそが、穢れを完全に喰らい尽くす鍵となる」


 朔夜の声は、普段通り感情を帯びていないが、その言葉には確固たる意志が感じられた。

 茨木は息を殺し、彼らの会話に耳を傾ける。

 清良の歌声の「真実」とは一体何なのか。そして、この「穢れ喰らいの儀」の真の目的とは。茨木の胸に、新たな疑問と強い焦りが募っていった。




 広間の隅に身を潜めたまま、彼らが立ち去るのを待つ茨木。


「すっと近くを彷徨いていた怪しい影の気配が消えたな。動くなら今だろう」


 朔夜はやはり、影縫の気配を察知していて近づけさせないよう手を打っていたのだろう。


「我が眷属からの連絡だが、茨木も今は清良の側を離れている。もう一度ミコトを接触させるか」


「やつが居ないなら好機。我々が行きましょう」


 朔夜の言葉に名誉挽回のチャンスだと、成満が声を上げる。


「我々にお任せを」


 成道も前のめりでだ。


「ならばお前達に任せよう。今度こそ清良を連れて来るのだ」


「はっ」「はっ」


 朔夜の命令で二人は瞬時に姿を消した。


 まずい。清良さんが狙われている。


 焦る茨木だが、今自分が動くわけにはいかない。影縫も側に居るし、何かあれば影縫の方から緊急連絡を入れてくるはずだ。ここで気持ちを乱れさせると朔夜に気づかれてしまう。

 茨木は、ペンライトを強く握り、自分を落ち着かせた。

 幸い、朔夜は茨木に気づいた様子は無い。


「我らの計画は正に光。邪魔する者は容赦しない」


 朔夜は誓うように独り言を呟くと、その場を離れた。

 足音が遠ざかり、再び静寂が戻ると、茨木はゆっくりと物陰から姿を現した。


 祭壇から放たれる禍々しい霊力は、茨木の肌をひりつかせた。

 しかし、今はそれよりも情報への渇望が勝る。

 広間を見回すと、壁の一角に隠された扉があるのを見つけた。

 巧妙に偽装され、霊力で感知しなければただの壁にしか見えないだろう。

 茨木は扉に触れ、微かに力を込めると、カチリと音を立てて扉が開いた。


 扉の向こうは、ひんやりとした空気が漂う廊下だった。

 奥へと進むと、重厚な扉が現れる。

 扉には古びた錠がかけられ、幾重もの複雑な呪符が貼られていた。

 ただならぬ気配に、茨木は警戒を強める。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか」


 茨木は錠に触れ、霊力を流し込む。すると、錠に張り巡らされた呪符が光を放ち、茨木の霊力に反応して解けていった。

 茨木は緊張しつつも扉を開け、中へ足を踏み入れた。


「これは……図書館か、あるいは書庫か?」


 そこは、天井まで届くほど高い本棚が立ち並ぶ巨大な書庫だった。

 夥しい数の古文書や巻物が所狭しと並べられ、埃と古い紙の匂いが満ちている。

 霊力を感知する限り、ここには強力な結界が張られており、部外者はもちろん、斎宮家の一部の者ですら立ち入ることが許されていない禁断の場所だと分かった。


 茨木は慎重に書架の間を進んでいく。

 彼の目的は「穢れ喰らいの儀」に関する情報、そして斎宮朔夜の真意を探ることだ。

 やがて、彼は一際厳重に封印された書架を見つけた。

 中央には、他の巻物とは明らかに異なる、黒ずんだ古びた書物が置かれている。

 茨木がその書物に手を伸ばそうとした、その時だった。


「誰だ!」


 背後から、低い声が響いた。

 茨木は素早く振り返る。

 そこに立っていたのは、一人の老いた陰陽師だった。

 白い狩衣を身につけ、鋭い眼光を放つ老人は、斎宮家の歴代当主の中でも特に奥深い知識を持つとされる斎宮宗源(さいぐう そうげん)。

 朔夜の師でもあり、斎宮家の生き字引とも呼ばれる人物だった。


 宗源は茨木を見るなり、その瞳に驚きと、そして微かな悲しみを宿した。


「貴様……まさか、あの時の……」


 宗源の表情が変化するのを見て、茨木は直感した。

 この老人は、自分のことを知っている。

 いや、自分の過去を知っているのかもしれない。


「何者だ、貴様は。なぜ、この禁忌の書庫に足を踏み入れた」


 宗源は杖を構え、警戒を露わにする。

 しかし、彼の声には、敵意とは異なる、複雑な響きがあった。

 茨木は返答に詰まる。

 彼の目的は情報収集であり、ここで老陰陽師と争うことは避けたい。

 その刹那、書庫全体が激しく揺れ始めた。

 遠くから、何か巨大なものが動くような、不気味な地鳴りが響いてくる。


「何だ!?」


 宗源が動揺した隙に、茨木は一瞬、彼から目を離し、揺れの震源を探った。

 これは、都で感じていたあの澱みが、さらに膨れ上がったような感覚だ。


「まさか……朔夜め!この儀式をもう始めたのか!」 


宗源の顔色が変わる。彼もまた、都の異変を察知していたのだ。

 茨木は宗源の隙を突き、封印された書物へと手を伸ばす。


「待て!それは、触れてはならぬ書物!」


 宗源の声は届かない。茨木の指先が、黒ずんだ書物に触れた瞬間、書庫全体が眩い光に包まれた。

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