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 茨木の指先が黒ずんだ書物に触れた瞬間、書庫全体が眩い光に包まれた。

 それは、物理的な光というよりも、膨大な情報と記憶の奔流が視覚化されたかのようだった。

 茨木の意識は、光の渦に飲み込まれ、遥か過去へと引きずり込まれる。

 彼の脳裏に、断片的な映像がフラッシュバックのように押し寄せた。



──斎宮家と『穢れ喰らいの儀』の真実──



 かつて、斎宮家は都を守護する陰陽師の宗家として、その名を轟かせていた。

 彼らの使命は、都に澱む穢れを祓い、人々の安寧を守ること。

 しかし、時が経つにつれて、穢れの質は変化し、量も増大していった。


 清らかな祈りや祓いだけでは対応しきれない穢れに対し、斎宮家の一部の者たちは、より強力な、しかし危険な術を模索し始めた。

 それが、この「穢れ喰らいの儀」の原型だった。

 この儀式は、都に蓄積された穢れを一時的に特定の場所に集中させ、それを「贄(にえ)」とすることで、一気に浄化するというものだった。

 しかし、その贄は単なる物ではなく、極めて強い霊力を持つ存在、あるいは特定の血筋の者でなければならない。

 贄は穢れを一身に引き受け、それを浄化する代わりに、その存在自体が穢れと一体化し、消滅するか、あるいは異形へと変貌してしまう、という残酷なものだった。


 斎宮家は、この禁忌の儀式を最後の手段として秘匿し、代々、その知識を継承してきた。

 しかし、年月が流れるうちに、儀式の目的は「浄化」から「支配」へと歪んでいった。

 穢れを喰らい、その力を操ることで、都、ひいては世を支配できると考える者たちが現れたのだ。


 そして、その流れの最中に、茨木は生まれた。

 斎宮家は、彼の内に宿る「異形の力」が、この穢れ喰らいの儀の究極の贄、あるいはその穢れを完全に御する存在として利用できると考えた。

 しかし、当時の当主であった茨木の父親は、その危険性と残酷さに耐えかね、まだ生まれたばかりの茨木を逃がすように九尾ノ峰に捨てたのだ。

 それは、斎宮家の血に流れる呪われた宿命から彼を遠ざけるための、苦渋の決断だった。

 父親は愛する赤子をただ助けたい一心だったのだ。

 九尾ノ峰を統べる妖狐は心優しく、力も強い。その霊力は茨木の霊力を隠す隠れ蓑としてはうってつけであると考えたのである。


 一方で茨木の双子の兄である斎宮朔夜は都の穢れを根絶するという「正義」に憑りつかれていった。

 かつて斎宮家が犯した過ち、そして彼自身が経験した都の穢れによる悲劇が、彼を狂信的な「浄化者」へと変貌させたのだろう。


 朔夜は茨木を異形として捨てられた弟としてしか認識していなかった。

 それは茨木の父、そして九尾、さらに寺の住職、ひいては茨木の使役する妖怪たちの力によって何十にも守りがかけられているからだ。

 彼は茨木を取るに足らない者としか認識出来なかったのである。

 しかし、そのせいで朔夜の目は清良の「歌声の真実」に向けられてしまった。

 清良の歌声が持つ根源的な浄化の力は、贄の能力を増幅させ、穢れを完全に「喰らい尽くす」触媒となりうると。

 それは、清良自身を穢れの渦中に引きずり込み、最悪の場合、彼を贄として消費しようという意図に他ならなかった。




 突如として膨大な情報が流れ込み、茨木の意識は朦朧となる。


「しっかりするのだ刻哉(ときや)!」


 身体を支えられ、揺すぶられたことで意識がはっきりとした。

 気づけば書庫だ。


 そうだ、俺は斎宮の書庫に……。


 額からは脂汗が流れ落ち、呼吸は乱れていた。

 茨木は自身の出生の秘密、斎宮家の忌まわしき歴史、そして「穢れ喰らいの儀」の真の残酷さを知ってしまった。

 膝から崩れ落ちる茨木を支えているのは宗源である。

 彼の顔には、深い後悔と悲しみが刻まれていた。


「すまぬ……。お前を、あの忌まわしき宿命から遠ざけるためだった。だが、結局は……」


 宗源は言葉を詰まらせた。

 茨木は荒い息遣いのまま、宗源を見上げる。


「なぜ……なぜ、俺を捨てた……。そして、なぜ、清良さんを贄にしようとしている!?」


 茨木の怒りと絶望が混じり合った声が、揺れる書庫に響いた。

 真実を知らされても、すぐに「そうだったんですね」と許せるほどに茨木は人が出来てはいない。

 そして清良を贄にしようなどと、許せることではなかった。


「清良殿は……彼こそが、斎宮の血筋が探し求めていた『真の器』なのだ」


 宗源の言葉に、茨木は息を呑んだ。


「彼の歌声は、穢れを浄化するだけでなく、その根源を『喰らい尽くす』力を持つ。朔夜はその力を利用し、清良殿の命と引き換えにして都の穢れを完全に消し去ろうとしている」


 宗源は苦しげに顔を歪めた。


「朔夜は、かつて都を襲った大災厄で、家族を失った。その悲劇が、彼を狂信的な『浄化者』へと変えてしまった。どんな犠牲を払ってでも、二度とあのような悲劇を起こさせないと……」


 宗源の言葉は、朔夜の行動の根底にある悲しい動機を明らかにした。

 しかし、それが清良を犠牲にする理由にはならない。


 その時、茨木と宗源は異変を感じ取った。

 視線を合わせる。


「これは、都の方角」


 都の街全体から、人々の苦痛と恐怖が混じり合ったような、重苦しい波動が押し寄せてくる。


「くっ……儀式が本格的に始まったか!」


 宗源が呻いた。

 茨木の胸にも、焦燥感が募る。

 清良の身に危険が迫っていることを、本能が告げていた。


「このままでは、清良殿は……。朔夜は、穢れを喰らい尽くすことで、新たな『都の主』となろうとしている」


 宗源は、茨木の腕を掴んだ。


「わしは、朔夜を止める。刻哉……お前は、清良殿の元へ急げ!彼を、朔夜の魔の手から守るのだ!向こうの扉から出れば直ぐに地上に出られる」


 宗源の瞳には、茨木への信頼と、そして斎宮家が犯してきた罪への贖罪の念が宿っていた。

 茨木は宗源の言葉に頷き、書庫の扉へと駆け出した。


「宗源殿、あなたは……」


「わしは、わしのすべきことをする。お前は、お前のすべきことをするのだ!」


宗源の言葉を背に、茨木は教えられた扉から飛び出した。

 足早に急な階段を駆け上がる。


 入った場所から出る事ができた。

 都の方角は不気味に赤く染まっているように見える。


 急がなければ。


 都の悲鳴が、耳に届く。

 清良の元へ。一刻も早く。

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