都の街は、深い夜の闇と、それに絡みつく穢れの澱みに沈んでいた。
狂ったように点滅するネオンサインの下を、清良はまるで操り人形のように歩いていた。
その瞳には光がなく、ただ斎宮邸の地下へと続く道のりを示すかのように、一点を見つめている。
彼の背後には、マネージャーが必死に呼びかけながら走り、その傍らを影縫が厳重な警戒態勢で付き従う。
「清良さん!戻ってください!」
マネージャーの声は、濁りきった都の空気に吸い込まれていく。影縫は、マネージャーを庇うのに手一杯だ。
辺りはまるで終末世界の様に人々はぐったりとしてしまっている。
奇声を上げながら歩くものや、その場に倒れ込むもの。
まるでゾンビ映画である。
影縫が庇わなければ、マネージャーもただでは済んでいないだろう。
しかし、影縫自身も意識が持っていかれそうになる瞬間がある。
正直かなりキツイ。
主はどうしたんだ。
救援を求めた筈だと言うのに、なかなか姿を見せない。
阻害されているのか?
影縫は清良の霊気が微かに抵抗しているのを感じ取っていたが、呪詛の力が強すぎて手が出せないでいた。
このままでは、清良は儀式の贄となってしまう。
一方その頃、茨木は清良の予定を確かめ、テレビ局へと急いでいた。
都の異変が尋常ではない。人々は錯乱し、建物から黒い靄が立ち上る。
清良の身に、一刻の猶予もないことを本能が告げていた。
「茨木!!!」
急ぐ茨木の耳に裂帛の声が入り、ハッとして足を止める。
「裂帛?九尾は良いのか?」
「九尾は落ち着きを取り戻している。落ち着く必要があるならば、お前だ!」
焦った様子で口調が荒くなっている裂帛。
彼には幼少の頃に父親の様に叱られた記憶がある。
茨木の中では裂帛は頼りになるお父さんポジションであった。
「とにかく、俺の背中に乗れ!」
「う、うん」
裂帛の剣幕におどろきつつも、懐かしさと落ち着きを取り戻す茨木。
裂帛の背中に乗る。
ふと、清良の霊気を感じ取った。
テレビ局とは真逆の方向、斎宮邸の方角へ強く引かれている。
「まさか……清良さんが、あそこへ!?」
直感的に清良の危機を察した茨木。影縫からの緊急連絡は届いていない。
連絡を阻害された?
まさか清良さん、土河兄弟に……
いや、彼なら歌で対抗できるはず……
しかし、確実にテレビ局から出て斎宮を目指している。
どうなっている?
更に混乱してしまう茨木だ。
裂帛が来てくれて本当によかった。
都の東通りと中央大通りの交差点。
穢れの澱みが最も濃く、人々の混乱が頂点に達している場所だった。
そこで、茨木の視界に、目的の人物が捉えられた。
「清良さん!」
声を上げた茨木の目の前で、清良はまるで糸が切れたかのように突然動きを止めた。
その顔は蒼白で、虚ろな瞳は茨木を映してはいない。
背後では、マネージャーが息を切らし、影縫が悔しそうに歯を食いしばっている。
「主!申し訳ありません。清良様が……!」
影縫が叫ぶより早く、茨木は裂帛から飛び降りると、清良の元へと駆け寄った。
清良の体に触れると、まるで氷のように冷たく、その霊気は、土河兄弟の呪詛によって強く絡め取られているのがわかった。
「……ッ!」
茨木は怒りに顔を歪め、数珠を取り出す。
経を唱えて呪詛を解きにかかった。
清良の体内に渦巻く穢れと呪詛が、茨木の霊力に激しく抵抗する。
呪詛を受けた時間が長い。
前回よりも解呪に時間がかかる。
茨木は歯を食いしばり、眉間に皺を寄せ、全身の霊力を集中させた。
辺りの空気が震え、清良の体を覆っていた黒い靄が、パチパチと音を立てて弾け飛んだ。
清良の虚ろだった瞳に、徐々に光が戻り始める。
「いば、らぎ……くん?」
清良の掠れた声が、茨木の耳に届いた。
呪詛が解け、意識が戻ったのだ。
清良は状況を理解できず、呆然と茨木を見つめていた。
自分はテレビ局にいたはずだ。
それなのに、ここは何処だろう?
なぜ、茨木くんが?
その直後、交差点のすぐそばから、一つの影が勢いよく現れた。
絡繰童子だ。
「主、ご無事でしたか!」
清良を少し離れた場所から操っていた土河成満と成道は、その光景に目を見開く。
呪詛が解かれ、正気を取り戻した清良。
そして、茨木の傍らに立つ絡繰童子と裂帛、影縫。
「馬鹿な……呪詛が、解かれているだと!?そして、なぜヤツの眷属がここに……!」
成満が怒りに声を震わせる。成道もまた、警戒と焦りの表情を浮かべていた。
彼らの目論見は、完璧に打ち砕かれたのだ。
「清良さんを、どうするつもりだったんだ?」
茨木の瞳が、冷徹な光を帯びて土河兄弟を睨みつけた。
確かに姿は見えないようにしていたと言うのに、茨木は確実に二人を見ていた。
そして気づけば背後で、絡繰童子と裂帛が戦闘態勢に入る。
不利を悟った土河兄弟は、顔を見合わせた。
「……ちっ、一旦引くぞ!朔夜様のもとへ!」
成満が叫び、成道と共に、黒い煙となって姿を消した。
静まり返った交差点で、茨木は清良を抱き締めた。
清良はまだ震えていたが、意識ははっきりとしていた。
「い、茨木くん……どうして……?」
「大丈夫です、清良さん。もう、僕がいますから」
茨木の腕の中で、清良は安堵に息を吐いた。
しかし、戦いは、まだ始まったばかり。
都の穢れは収まるどころか、むしろ一層濃さを増している。
土河兄弟が引き上げた先は、間違いなく斎宮朔夜のもと。
決戦の場は、斎宮邸の地下祭壇になるだろう。