「誰?」遥はスマートフォンをしまい、ドアの方へ歩み寄った。
「私に決まってるでしょう、お姉さま。もしかして、他の誰かを待ってたの?」ドアの向こうから、知世が華やかな笑みを浮かべて現れた。その口元は微笑んでいるが、声色には冷たさが滲んでいる。
「あなた、忙しいんじゃなかったの?それなのに、わざわざ私を探しに来たの?」
昨日の遠慮がちな態度とはうって変わって言い返す遥に、知世は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに面倒くさそうに言った。「好きで来たと思う?家にお客さまが来てて、あなたに会いたいって名指しされたのよ。」
「どなたが?」
「藤原柏山、私たちの三番目の叔父よ。」
「同じ藤原の名字なのに、よそよそしくしなくてもいいのに。」
「私が外の人だと言えば、外の人なの!質問はいいから、早く来て。」そう言うと、知世はさっさと歩き出し、遥がついてくるかどうかには構わなかった。
遥は、知世が小さな声で「厄介なものね、無駄に私の時間を取らせて」と呟くのをかすかに聞いた。
それ、私のことを言ってる?
違う。知世はもともと遥のことなど気にかけていなかった。今回はたまたま使いに来ただけだ。この愚痴は、むしろ下の「お客さま」に向けたものだろう。
知世が三番目の叔父にこうした態度を取るのも、これまでの経緯を考えれば不思議ではない。
彼が遥を指名して会いたいと言ったのも、きっと良い理由ではない。
遥は少し興味が湧き、早足で知世の後を追った。
一階の玄関ホールには、ソファに一人の老紳士が座っていた。年の頃は六十代か七十代、年齢を感じさせない鋭さを持ち、痩せた体はまるで鞘に収まった刀のよう。上品な雰囲気の奥に、どこか危うさを秘めている。頬骨が高く、冷徹な計算の跡がうかがえる顔立ちだ。
目元の皺は深く、微笑むと穏やかに見えるが、無表情の時は蛇のような冷たさが漂い、思わず身がすくむ。
左手の親指で独特な模様の翡翠の指輪を弄び、よく見ると小指には古い傷跡があった。
さっきまで偉そうだった知世も、今は柏山の前で姿勢を正し、にこやかに微笑みながらも、どこか従順な様子を見せている。まるで先ほどの悪態などなかったかのようだ。
「今日はどうしてわざわざいらしたの?前もって知らせてくれればよかったのに。父も母も兄も、みんな出かけていますけど」と知世は柔らかく問いながらも、目は笑っていない。
狡猾な人だ、こんなタイミングを狙って来るなんて。両親が家に残したのは私で良かった。もし遥が一人でこの人と相対していたら…。
柏山は口元をゆっくりと上げた。「それは違うよ、知世……いや、今は君が二番目になったんだったね。」わざとらしく言い直し、「遥が昨日帰ってきたと聞いてね。伯父として、忙しくても挨拶ぐらいしなくてはと思って。遥はまだ降りてこないのかい?」
知世の笑顔が一瞬固まるが、すぐに取り繕う。「あの子は、のんびりしてるんです。外で育ったから、家のしきたりもまだ分かっていなくて。」
「妹として、そんな言い方は感心しないな。本来なら君が持つべきものは、全部彼女のものだったんだ。今は仲良くしてあげないとね。」柏山はそう言い、遥にも聞こえるようにわざと声を強めた。
「三番目の叔父、前は私の味方だったのに……今じゃ私まで怒られるのね」と知世はふくれっ面を見せる。
「ははは、昨日も家でひと騒動あったと聞いたけど、まだ機嫌直ってないのか?」
「叔父さまは本当に耳が早いですね。」
そのとき、遥がそっと近づき、「三番目の叔父、こんにちは」とおずおず挨拶した。態度は控えめで素直だ。
「お、いい子だ。立っていないで、こっちに来て座りなさい。」柏山はにこやかに言い、遥の顔をしげしげと眺めると、目の奥に計算高い光が一瞬浮かぶ。
遥はただうつむくことしかできなかった。
ただ、知世だけがその様子を見逃さず、表情が徐々に冷たくなっていった。
「聞こえなかったの?三番目の叔父が呼んでいるんだから、さっさと動きなさい!」知世は遥を強く叱りつける。
「知世、そんな言い方はよくないよ」と柏山がたしなめる。
遥は驚いたようにしながらも、柏山の隣のソファへ座ろうとした。
「待って!」知世が再び口を挟む。「年長者を差し置いて座るなんて、礼儀がなってないわ。叔父さまが気を遣っているだけよ。こっちに来なさい!」その高圧的な態度に、柏山も眉をひそめた。
「もういい、ここでは堅苦しいことは気にしなくていい。遥、好きなところに座りなさい」と柏山が言った。
結局、遥は知世の隣に腰掛けた。
「今日はささやかながら、君の帰宅祝いを持ってきた。これからは家族として仲良くやっていこう」と柏山が言うと、後ろに控えていた従者が桐の箱を遥の前へ差し出した。
遥はそれを慎重に受け取り、「ありがとうございます、三番目の叔父」と丁寧に礼を言った。
知世は箱をじっと見つめ、口元を上げる。「大きな箱ね。きっと高価なものなんでしょう?お姉さま、開けてみたら?」
遥が箱を開けようとすると、柏山が「いや、慌てなくてもいい。部屋に戻ってからのお楽しみにしたらどうだい」と制した。
知世は目を光らせ、すぐに指示を出す。「佐藤さん、大きいお姉さまの贈り物を部屋に運んでおいて。」
「かしこまりました、知世さま」と佐藤が即座に動いた。
しばらく雑談が続いた後、柏山は微笑んだまま立ち上がり、「顔も見たし、贈り物も渡せたし、今日はこれで失礼しよう。まだ用事があるからね」と玄関へ向かったが、ふと振り返り、変わらぬ笑顔で言った。「遥、お見送りしてくれるかい?」
遥が立ち上がろうとすると、知世が素早く前に出て、「叔父さま、この子は作法を知らないので、私がご案内します」と割り込んだ。
「いや、思い出した。車のトランクに、彼女にぴったりのものがもう一つあってね。ついでに一緒に取りに行こうかと思って。」
知世はやや冗談めかして、「私が代わりに取ってきますよ。叔父さま、まさか私が姉の贈り物を横取りするとでも?」と返した。
「そうか。じゃあ、頼むよ。」
知世は柏山を玄関まで送り出した。遥は興味を抑えきれず、遠くからそっと後をつけた。